灯台サンドリヨン

「あーあ、誰かおんぶして寮まで送り届けてくれないかなあ」
 廊下に嗅ぎ慣れた匂いを覚えたときに感じた悪い予感は、見事的中していた。
 遅くなった昼寝のために足を運んだ保健室のベッドのひとつに、自分の腕を枕に横向きで寝転んでいたは、俺を見上げて懇願の色を示した。
「そりゃ、少なくとも俺ではねえなあ」
 が被っている羽毛布団を足元から捲り上げる。
 魔力ゼロの人間に魔法で治療を施すと治りが遅くなるという通説にならい、保健医はに対して古典的な治療(湿布)のみを提供したらしい。足首には白いテープが貼られている。おそらく、腰にも同じものがあるのだろう。
 布団から手を離し、ベッドの横に置かれている丸椅子に腰掛けて足を組む。視線はある程度同等になり、吊り上がっていたの眉も下がった。
「エペルとグリムは持ち上げてたじゃないですか」
「さあて、記憶にねえな」
 昼メシを食ったあと、ラギーに引きずられ放り込まれた教室の窓から、無茶な箒の操縦をしているハーツラビュルの一年坊ども(エースとデュース)が、ふたり揃って箒からずり落ちていくのは見えていた。
 推定落下位置にと毛玉がおり、先に気がついた毛玉がを突き飛ばし、落下物はバルガスが衝撃吸収の魔法を施し、毛玉はちょうど落ちてきたエースの股の間にいた。ただし、は足を挫き、地面に置かれていたほかの生徒の箒が腰にめり込んで負傷した。
 ──というのが、たった今から聞いた事の顛末だった。
 締め殺す勢いで抱きしめたくらいには、怪我した自分を見て震えていた小さなモンスターには感謝してますよ、とは目を細めた。その余計な突き飛ばしさえなけりゃあ、お前は今ごろ無事だったのになあ、という余計な言葉は慎んだ。
 毛玉も、咄嗟に防衛魔法でなく手(脚)が出るなんぞ、ここでのお勉強がまったく身になっちゃいねえ。
「レオナ先輩にしか、こんなこと頼めないんだけどなあ」
「見せモンになんだろ。お断りだ」
「善良な生徒は今授業中ですから大丈夫ですよ」
「隠そうって気がお前にはねえのか」
「何を?」
「何をって……」
 当然、こんなヤツと積極的に交流をもっていることだ。
 自ら広げられた両腕に飛び込んでいると知れば、間違いなく基本的には放任主義なコイツの保護者・クロウリーだっていい顔をしないだろう。その他教師も。どっかの寮長・副寮長も。生徒もだ。
 どこにも属さないことで〝オンボロ寮の監督生〟はその存在を確固たるものにしつつある。オンボロ寮という、中立国。もはや片脚分くらいは入寮していそうな茶ばかりしばいている寮があるにせよ、あくまでも良好な関係を築いている他国である。
「レオナ先輩は勝手にマーキングしてアピールしてるのに、何をいまさら?」
「うるせえ。そんな露骨にしちゃいねーよ」
 矛盾したことをしているのは理解はしているが、反省することはない。要するに〝特別〟が浮かび上がってこなければいいだけの話だ。
 この監督生サマは、学園で巻き起こる騒動にもれなく巻き込まれ、親しくしている生徒は多い。俺もそのうちのひとりだ、と主張する分にはなんらおかしなこととは思われない──まあ、うちの大半の寮生を除けば。逆に言えば、うちの寮生くらいしかそんなモンには気がつかねえから、とくに大きな意味合いはない。
「してはいるんですね……。まあ、いいです。大人しくふたりと一匹を待ちます」
「……おい、何が俺にしか頼めねえだ」
「嘘じゃないですよ? 彼らにおんぶは頼みませんから」
 送り迎えはリドルとトレイの厳命。あとはしばらくのあいだエースとデュースにオンボロ寮の家事をやってもらうことで手打ちにした、とは笑った。
 リドルが顔を真っ赤に沸騰させて一年坊どもに雷を落としている様子が一点の曇りなく想像できた。しおらしく縮こまっているふたりを見て、トレイはリドルをなだめ、落としどころを提示してやったのだろう。
「なんか、怒ってます?」
「べつに」
 ちっ、と舌打ちをすればは眉根を寄せる。
 素直におねだりを聞いてやって、とっとと連れて帰っときゃよかった。迎えがあると聞いてしまった手前、今さら言い出せるわけもない。
「なるほど、お気に入りの枕がしばらく使いものにならなさそうだからですね?」
「ああ、そうだ。残念だなあ」
 たしかに送り迎え付きかつ負傷しているオジョウサマと行動をともにするのは、一定期間難しいだろう。
 しかし俺はの脚を高級枕だと認識しているわけではない。まさか、コイツの一撃で折れそうな脚の寝心地がいいわけがあるはずもない。
「……この世界に魔法がなかったら、死んでましたよね」
「あ? 大袈裟だな。そもそもお前、魔法で助けてもらってないだろ」
「そうじゃなくて。エースとデュースが、です」
 片腕をついて半身を起こしたは「まあ、そもそも魔法で飛んでるんであれですけど」言葉を続ける。
「あんなとこから落ちたら、普通は生きてないですよ」 
 ツイステッドワンダーランドの普通は、魔法があることなんだが。
 コイツの元いた世界には、魔法や魔法使いという概念こそ存在していても、それはあくまでおとぎ話といったファンタジーの世界の話。実際に大手を振って生活の中で魔法を使用している生き物はいなかったらしい。
 つまり不慮の事故はたいてい、他者の犠牲か奇跡をもってでしか、避けられないということだ。
「祖父母も健在で、身内が亡くなった経験もまだなくて。だから、その事実を自分がどうやって受け入れて消化していくのか、想像もつかないんですよ」
 は自分の足先のほうを見つめながらつぶやく。 
 魔法の使えないは自分の身を効果的に守る術をもたない。よっぽど俺たちより死ぬ可能性は高い。
 それなのになぜお前が見送る側なんだ、というコメントはに悲壮感こそないにしても明らかに場違いだ。何も言わずに耳だけ傾ける。今日の俺は配慮の塊だ。
「会えないのは、もう死んだも同然ですけど。それを目の当たりにしなくていいなら、生きていると仮定することもできるし、まあ、いいのかな」
 自分の力ではどうすることもできない現実を、はまるでこのたった数か月で見切ってしまったように振る舞う。
 そんな簡単に割り切れるわけがない。他人の死よりもずっと重たい、生きている限り、覚えている限り、解けない呪いとなるはずだ。
「ってことで、レオナさん。あなた、勝手にどっか行ったり、どっかで死んだりしないでくださいよ」
「……はあ? なんでそういう話になる」
 俊敏な動きを表す効果音が字面で見えそうな素早い動作で首を動かし、は視線の先に俺をとらえた。
「せめて宣言してからにしてください。受け入れるための準備期間をもらえると助かります。わたしの知る魔法使いたちは、だいたい敵国とか最大最強の敵と死闘をくり広げはじめるんですよ。勘弁してほしい」
 の触れてきたフィクションは、ふわふわ夢心地なご都合主義の物語ではなかったらしい。
 とはいえ現状、政治的に安定しているツイステッドワンダーランドで、戦争なんざ起こりそうもない。わざわざプライベートモードに切り替えてまで切迫した要求をする必要があるだろうか。
「あいにく、俺には自己犠牲の精神はねえんだ。お人よしじゃねえからな、とんずらこくぜ」
 だだっ広い砂だけが積もった陸地で、ひとり佇む姿を想像した。風も吹き抜けない、木の葉も舞わない、分厚い雲に覆われ陽光の差し込まない一面の空。絵に描いたような孤独だ。
「……それにな、。お前が受け入れざるを得ねえ、受け入れがたいモンに対峙することになったときは────」
 自分がそうされたかったように。今もそうされたいように。眠りから醒めて見上げた先に、アングルのせいもあってとてもではないが整っているとはいえない小さな顔があるように。
「え……何ですか?」 
 困惑の声とともに、授業終了の鐘が仰々しく鳴り響いた。
 弾かれたように教室を飛び出してくる草食動物どもと狸が目に浮かんで、重い腰を上げる。寝損ねた。
「なんでもねえよ。じゃあな」
 ひとつ、まあるい頭を叩いてから向けた背中に、
「大事な話の途中で鐘の音で逃げ帰るなんて。シンデレラしか許されないですよ」
 サンダルの一足でも置いていけば、コイツは俺をどこまでも追ってくるのだろうか。
 灰かぶりの監督生に追いまわされる第二王子なんざ、おとぎ話にもなりやしない。

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