5杯目

ワンカップ程度の衝撃

 2月を目前にひかえ、三門市にも雪が降った。
 スナックの常連数名から通勤途中の雪景色をとらえた写真が送られてきていた。昨晩から降りはじめた雪は、わたしがのっそりと起き上がったお昼のワイドショーの時間にはやんでいた。わたしも三門市に住んでいるのだから、この街が雪に覆われていることは知っているよ。いや、惰性でスマホのアプリゲームをつついていた深夜二時ごろのわたしはまさか積もるだなんては想像していなかったけれど。
 どいつもこいつも、なにを浮かれているんだ。それしかわたしと話す話題がないんか。すごーい、とか、帰りも気をつけてくださいねー、とか、てきとうに返したら、追送の写真。もうええ。仕事してくれ。
 リビングに鎮座しているこたつに下半身だけでなく肩までぞんぶんにつっこんで、背後にあるソファへと目視せずスマホを投げ捨てようとしたところで、ポコポコ、とふたたびメッセージの受信を知らせる音が鳴る。地鳴りのようなうめき声を発しながら画面をスワイプすれば、麻雀卓のアイコンの横に2の数字が光っている。ひ、と猫が首をしめられたのかというような声───しめたことないけど───が出たと同時に反射的に親指が画面を叩いてしまう。
 まさかね、と両手でつつんだ端末を眼前に近づければふたつの雪だるまの写真と、今何してる? というシンプルなテキスト。諏訪、おまえもか!
 いちど開いてしまったメッセージをそのままにしておくのは生理的にできない。おこたでぬくぬく、と高速フリック入力をきめて紙飛行機のボタンを人差し指で押す。任務完了。
 顔面に端末を乗せて目をとじたところで、テケテテケテテケテテーン、と無料通話の着信音が大音量でわりと近くにある鼓膜を刺激して、情けない叫び声が出た。なんだよ! と右手で音源との距離をとれば、つい数秒前に視界にはいったアイコンと名前が無機質に表示されていた。
 通話開始するかしないか、数コール分ためらったのにはざっといくつか理由があったが、諏訪にはすでにわたしが堕落した春休みをスタートさせていることがバレている。自ら伝えてしまった。鳴り終わることを知らぬ音に観念するしかないのだろう。
 起床してからまともな喉の運動をしていない女の、はぁい、というしゃがれた声に自分で呆れた。諏訪はいつもと同じような声色で、おー、とわたしの声に反応する。まるでわたしからした電話を受けているかのようだった。スマホの向こうからはコンビニの自動ドアが開閉するときの音楽が響いているのが聞こえた。

「ちょっと出てこいよ」
「やだよ! 寒い」
「んなこと言わねーで、ワンカップあっためたやつで暖とろうぜ。梅干し入り」
「ええー……建物の中でならいいよ」
「屋外に決まってんだろ」

 なんで決まってんだよ。おかしいだろ。どうしてわざわざあたたかい場所から寒いおんもに体力を消費しながら向かわないといけないんだよ。頭おかしいんじゃないの。どうしてなの。
 わたしが悪態をつき続けているあいだに、諏訪が46番、と煙草の番号をレジで伝えて電子決済が完了した音がして、また開閉音が聞こえてから、鈍い機械音がぐうぐうと鳴っていた。
 わたしをなだめることに飽きた、かつわたしが出てくることを確信しているのであろう諏訪が、んじゃ待ってるわ、と一方的に終了した通話から間髪入れずに送られてきた位置情報は我が家の近所のファミリーマートをさしていた。









 ファミマの横の長い坂道を段ボールもとい即席のソリでくだるつもりらしい。風間くんが。
 防衛任務のシフト終わりの諏訪と風間くんは、朝からやっている居酒屋で数杯ひっかけたのだという。そこに夜勤明けの雷蔵くんが合流して、成人男性3人、雪を丸めることに精を出していた。雷蔵くんが風間くんの愚行を止めようという素振りだけをみせているのを、わたしは首元と顔半分にぐるぐると巻きつけたマフラーのあいだからみていた。
 乙女の外出に費やす時間は5分とか10分で足りるものではないので、ワンカップがわたしのてのひらにおさまったときには、ぬる燗レベルの温度になっていた。
 文句を言えば、諏訪はわたしに手招きしてから身を翻し、歩きはじめて右手ににぎられているビニール袋がふらふらとゆれている。店内につづく自動ドアの前に、ゴミ箱とレンジが4台設置されている。諏訪がそのうちの1台の扉を引っ張って、わたしは手元のカップをそっと天板におろした。

「あのさ、どうして返事くれなかったの?」

 なぁんて、うざい彼女みたいなことを聞いてみまーす。
 そう、深刻にならないように必要以上におどけるわたしの問いかけに、諏訪は黙って袋から取り出したもう1缶をつっこんで、ワット数と時間を設定する。





 数週間前の大規模侵攻の翌日。微塵も傷ついていない我が家の自室で、わたしは1通のメッセージを受信した。[生きてるか?]。
 表示された見慣れぬアイコンと、見慣れた名前にわたしは思わず、おお、と新鮮な驚きを声に出していた。なんの意地だったのか、わたしと諏訪はふたりで時間を過ごすことが以前より増えてからも、個別にメッセージをやりとりしたことがなかった。わたしたちが連れ立ってでかけるときは、いつも"偶然"に頼りきっていた。それが、ついに諏訪はメッセージグループの参加者一覧からわたしのアカウントをタップして、わざわざ連絡を寄越したのだ。
 諏訪もまちがいなく前線で三門市をまもるために奮闘していたことだろう。[おかげさまで、生きてるよ〜]。
 生きてるもなにも、民間人の死者は出ていないと、報道を見聞きしている三門市民は知っている。ボーダー関係者の諏訪なら、当然だ。
 そこでどうしてか感じた、些細な違和感。わたしは打ち込んでいた文字を長押しして消して、打ち直すことにした。とはいえ、なにが正解で不正解なのかはまったくわからない。考えても到底たどりつけそうにもないので、わたしも努めて短いテキストを戻すことにした。
 [諏訪は?]。姿形を確認したわけではないが、生きていてくれないとこれは心霊現象みたいなお話になってしまう。あいにくわたしには霊感というものが微塵もないし、諏訪がわたしに死してなおコンタクトを取ろうとするような、強い理由は見当たらない。
 それでも、生きているのかと確認することにした。生きていても、死んでいるような感覚があるということを、わたしも知らないわけではないのだ。





 そうして、わたしは多少思慮して諏訪からのはじめての連絡にリアクションをとったのだけれど、今日まで諏訪から返事はなかった。不正解だったのだろうか。諏訪は自分の知り合い全員にコピペして同じ6文字を送りつけていたのかもしれない。思いちがいだったかもしれない。
 でも、やっぱりどうしてだか、そうではないとわたしの第六感が根拠もなくはしゃいでいた。

「なんて返せばいいか、迷ったんだよ」
「生きてるよ、で、いいじゃん」

 小さいころ、実家の電子レンジのターンテーブルがまわるのを眺めるのがすきだった。今や最先端をゆくモデルの我が家のレンジは今目の前にあるそれと同様、ぐるぐると回転してくれない。代わりに最近は、ドラム式の洗濯機がいそいそと仕事をしている様子をぼうっと観察している。
 隣の諏訪に気がつかれないように視線をくれる。諏訪もじいっと、暖色系の色をまとう箱の中身をみていた。

「そういう話ではないから迷ったんだろうけどさ。心配したんだよ」
「悪かったよ」

 それ以上なにも言わない諏訪の代わりに、あたため終了の電子音が空気を震わせる。
 けっきょく正解は提示されそうにないけれど、わたしが、諏訪が、導きたい正解とは、なんなのだろう。わたしも風間くんといっしょにまっしろな坂道を転がってみたら、なにか見つかるだろうか。