09
SUMMER NIGHT TOWN
大学生だというのに夏休みの宿題が出た。諏訪の基礎演習のクラスを受けもっていた教授は、とにかくなんでもいいので本を三冊読んで、感想を書いてくること。形式も文字数も問わない。そう課題を告げ、夏休み前の講義を締めくくっていた。試作品のトリガーの仕様を確認したいと東が──要するにそれに付き合えと──頼みに出向いたのは諏訪が本部ラウンジで、その読書感想文を終わらせるべくノートパソコンのキーボードを叩いていた金曜日の夜だった。
「いつもはに頼むんだけどな、今日は残業だと」
「借り出されてばっかだな、あの人」
「一人何役とやってくれるから大助かりだ。それに、防衛隊員じゃないからな」
「……じゃないから?」
なんなのだと諏訪はポケットのなかのトリガーをにぎって換装する。
「俺はどちらかというと、過程は見せたくないタイプだ。というか、それを見せないほうがいい」
「はあ」
「諏訪は見せるだろう」
「見せる見せないをそもそも考えたことがなかった、かな」
東の言うとおり、諏訪はこれといって自分の不出来や試行錯誤を同僚はもちろん訓練生に見せることも、またそれに付き合ってもらうことも気に留めていなかった。それでも信頼関係や緊張感のぬけた関係が築けるものだと身を以て理解していたし、またそれが自分にとっては居心地がよいということも実感していた。
「だから、諏訪にはみんな寄ってくるだろ」
「東さんにもな」
「ニュアンスが違う。で、どっちのタイプも必要だ」
「まー、言わんとすることはわかりますけど」
東が具現化した銃のスコープをのぞきこむ。諏訪に向けられている銃口はけだるげな男しかとらえていないだろう。いきなり俺にぶち込むのは勘弁してくれよと、諏訪はひとまず東の横にならび立った。
それから小一時間後、訓練室の操作ルームの扉が開いて迎え入れたのはスーツ姿のであった。東が操作していた端末はサーモグラフィーのような人影をうつし、そのところどころが星がまたたくように点滅していた。ふうん、追尾系。は端末から視線をうつしてガラス窓から訓練室をのぞきこみ、いたるところに弾を受けたその存在を確認する。
「悪いな、借りた」
「は?」
「諏訪」
「わたしのじゃないし……。手伝おか?」
東が協力を嫌がらなさそうな人員でいえば、太刀川もいたよ。これ、人多いほうがいいんじゃないの?──の申し出に東は片手をあげて、端末のボタンを押した。
『諏訪、助かった。俺はもうちょっと残るから』
室内に流れた東の声に諏訪もガラス窓を見上げ、その視線が交わる。東が親指を立てて横にし、二度となりの女を示した。
「今日は大丈夫だ。返却するぞ」
「ええー……」
「追尾用なんて、ふたりでやったって性能わかんないじゃん」
ショートカットの地下道を通り警戒区域外までの道をゆく。帰らされたことに不満があるらしいは駄々っ子のように頬をふくらませる。
「まあ、初期段階つってたからな」
なんとかメーカーって仮称がついていたぞ、とまずはその名前から、諏訪は手短に性能を説明した。はところどころ相槌を入れながら聞いていたが、途中からはほとんど興味を失ってしまったようだった。
「東さんなんてさ、きっとボーダーに入らなくても特別だったんだよ。太刀川はボーダーに入って、特別になれたね」
「特別?」
「人より優れたとこがある人だよ」
──東さんは頭いいでしょ、加えてにのかこは美形、冬島さんもバリバリ仕事できるし。太刀川はトリガーなかったらただのアホだけど、あったら最強じゃん。そういうことよ、特別とは。
ひとりでぶつぶつと呪文を唱えるかのようにその概要を説明するは、いたって真面目なようだった。
「それを言うならさんも、特別だろ」
だれにとってか。まあ、少なくとも俺にとっては、と諏訪は思う。
さきほどがあげた特別な要素というものには当てはまらないだろう。しかし同期に先輩に、可愛がられたりしているのは才能だ。新入隊生に懐かれているのも知っている。その人望が特別でなければなんだというのだろうか。一般職員ながら防衛隊員としても仕事をしているその姿勢は、自分には真似できない。
「わたしみたいなのは器用貧乏といいまして、上位互換が死ぬほどいるんですわ」
は煙草の煙を吐き出すのと同じように、吐いた。まるで言い聞かせているようにも聞こえた。
「でもね、それがわたしだとも思ってるし、居心地いいよ。ま、いてくれたら助かるけどねっていう周りの雰囲気がさ」
わたしの話はどうでもよくて、とは話を戻す。
そんな特別な存在である隊員だけを懇切丁寧にお世話しても、ボーダーという組織が強くなることとイコールではない。強打者がひとりいても、エースがひとりいても、勝ち続けられない。ていうか、野球にならん。守備で頼りになる、戦術に長けている捕手等、適材適所こそが組織の強み。
隊ごとに競うにしても、わたしたちは敵同士ではない。一隊では勝てなくても、複数隊一緒になって敵に勝てたらいい。あくまでも、個々・チームのレベルを上げるためにのみ内部で競うのだから、少し離れて、でも少し近くで個々の癖をみることで防衛任務や遠征で連携しやすくなるんじゃないかなあ。
そういったことを、はたっぷりと時間を使って話した。途中、いや、でも、ちがうな、うーん、まあ、などと話しが行ったり来たりしていたが、なりに語弊のない、かつ自分の考えを理解してもらえる表現を選びとろうとした結果だったのであろう。諏訪は邪魔にならないように相槌を挟みながら、その話を取りこぼさないように聞いた。
「でね、洸太郎も特別」
「……美形枠?」
「は?」
「は? じゃねーよ」
頭を小突けば、いて。とが自分の頭をなでる。こっちはクソ真面目な話をしてんだよ! 痛くねーだろ。心が痛いんだよ。
「うん、でさ、だから洸太郎も、隊をもてば?」
諏訪はその言葉に足を止め、数歩先にいる足を止めさせる発言をした女の後頭部をじっとみる。自分の目が虫眼鏡なら光を集めて火をおこし、その頭に穴をあけられる気がした。
星が落ちてくるように想定外なことであった。自分がぬるいボーダー生活を送ることに、は両手をあげて大賛成なのだとばかり思っていたからだった。
「最近みたいに、ポロポロとトリオン兵がお邪魔してくるだけならいいけどさ、またあの日みたいなことがあるかもしれない、というか、きっとあるのよ」
警戒区域外の空を見上げ、は手をのばす。諮ったのかというほどぴったりに、はマンションの前で立ち止まり、ここだと言ってかばんに手を突っ込んだ。
三門市立大学からほど近いそのマンションは、大学を卒業してからもが転居をしなかったことを示すのだろうか。それとも入学時期を外した学生街の家賃が下がるのを見計らって入居したのだろうか。そんなことを考えながら、が鍵を取り出すのを見届けようとしていたのだが、
「あ……」
「あ?」
「鍵がない」
それは達成できなかった。
コンビニに寄って夕食と酒と、「メイク落としある?」「あると思うのか?」「そうか、彼女いないのね」「おい」、が拭き取るタイプの化粧落としシートをカゴに放る。鍵の入っていないかばんからがま口財布を探そうとする手を制止して、諏訪はポケットに突っ込んでいた財布を取った。諏訪のおごりだと決まったからだろうか。レジ横を指さすの意図をくんで、焼き鳥も数本追加した。
かばんの中身を整理したいと突然思い立ち、人事部のデスクに中身を全部広げたのだが、そのときにしまい忘れたのだろうとは仮説をたてた。
①今歩いた道を引き返して取りに戻る②東か太刀川に何かしらの権力を行使して人事部に侵入し鍵を持って来てもらう、というふたつの選択肢をふたりで上げたが、③人の家に泊まり明日鍵を取りに行く、を追加提示したのは諏訪だった。
そりゃ名案だ! と返答してからはいちど首をひねったが、深く考えることを放棄したらしい。諏訪のアパートからのマンションが五分ほどしか離れていないことを、元ナースはわかっていたに違いなかった。めんどくさがりな女は、より近く、そして楽なほうを選んだまでだ。
エアコンにリモコンを向けてから、先週買って洗濯したばかりだったロックバンドとブランドがコラボしたTシャツと、着古したスウェットパンツを渡すと、はユニットバスに引っ込んでいった。髪の毛をタオルでまいて、ドライヤーはないのかとが部屋に戻って来ると、諏訪は自分に盛大な拍手を送りたかった。洋服に着られている、というのはこの光景を指すのだろう。大きすぎる衣服に身をつつまれ子どものようにちんまりしてみえるに庇護欲をかきたれられる。手を叩く代わりに、フローリングの上に丸められていたスーツを諏訪は何も言わずに拾い上げ、ハンガーにかけて壁につるしてやった。
「まだ買えてねーんだよ」
「おっけー」
その間、勝手に人の家の本棚を漁っていた自由な女は、
「これ、読みたかったのー。文庫になるまで待とうと思ってた」
これまた勝手に人様の本を引っ張り出して広げ、酒とつまみを相棒に本を読み進めることにした。アルコール入ってる脳みそで理解できんのか、と諏訪は思ったが頬杖をつきながらページをめくったり、あぐらをかいていた右足をたまに立てたり、煙草をふかしにベランダに出たり、鼻をすすったりする姿をのぞきながら、自分も積読本を消化することにした。
「ベッド使えよ」
テレビが天気予報しか喋らなくなったころ、気がついたときにはがテーブルに突っ伏していた。
「……………はみがき……」
は重そうに頭をもたげると、かばんから電動歯ブラシを取り出して洗面所へと歩いていった。諏訪はベッドの下から寝袋を引きずり出す。風間の置き土産であったが、これを使うのは風間ではなく諏訪だった。だから、今日もそうなのである。
遠慮なくベッドをめざして一直線に戻ってきたは、ベッドにダイブした。「えっ家主が寝てよ」「いや女を床では寝かせられない」「えっでも」的な会話がないところが、いかにもらしくて鼻がなる。諏訪は寝袋のファスナーを開けていく。冷えた部屋の温度とナイロンの生地感が心地いい。ふと視線を感じて顔を戻せば、
「なんだよ」
が起き上がってベッドに座っている。片腕が持ち上げられていて、諏訪に向かってのびていた。
「正しい睡眠は人のぬくもりあってこそだよ。知らないの」
はやく、と言うように手のひらがばたばたと動く。
「……知らねーよ」
なにがしたいんだ、この女は。そうは思っても諏訪もああだこうだ言い合いをしたくはなかった。眠かったのだ。半ば投げやりに握ったその手はぬくくて、おねむの赤ちゃんはこんな手をしているのだろうなと諏訪は触ったことのない感触を想像した。ベッドに諏訪が上がったことに満足したは壁に顔がめり込むのではないかというほどすみっこで背中を丸める。
それじゃあ、ぬくもりもなにもねーじゃねーかよ。──諏訪はその背中に手をまわすべきなのか、それをゆるされているのか。考えては見たものの、判断材料がまったく揃っていない。なにかがゆるされたからといって、その次の段階も許可されるわけではないだろう。ベッドサイドに手をのばし、リモコンのスイッチをおした。
「……おやすみ」
自然乾燥ゆえに心なしかいつもよりパサパサとしているその後頭部に手を伸ばしてしまうことは、過去にゆるされたことだろう。人はどうやって触れ合うことを既成事実とするのだろうか。相手からそれを望まれることで行動に移すことしかしてこなかった諏訪にしてみれば、ちっともわからないことだった。その丸みを何度か確かめていたら、そのうちに諏訪のまぶたは落ちた。
休日、彼氏や旦那が起きてこなくてマジで困る! という話をよく聞くがはおそらく、そう言われる側の人間であろう。諏訪がベッドから出てもそれに合わせる様子はなく、時折いびきすら聞こえた。やっと昼過ぎに目を擦ったは顔を洗って歯を磨いてからも、無口であった。グラスにいれたミネラルウォーターを差し出せば、は一気に飲み干した。
「昼飯、食うか?」
「たべる」
「ありものでなんかつくるわ」
「えっ 料理できるの」
「人並みには?」
肉と野菜をフライパンで炒めた、名前のないメインと白米、ついでに賞味期限をギリギリ過ぎていなかった卵を溶いたスープを出すと、は手を叩いてよろこんだ。天才だ、天才料理人がいるぞ、と、おめーはいつもなにを食べて生きているんだとため息をつきたかったが、悪い気はしなかった。ちなみに、諏訪がキッチンに立っているあいだ、はテレビの音声をBGMにスマートフォンでなにかゲームをしていた。内容はわからなかった。
そうして天才料理人の遅いランチを食べてからもはゴロゴロしながら小説を読み進めていたので、それに倣って諏訪もパソコンを開いた。
「もうこんな時間か」
市内の放送が夕方五時を告げる音楽にが鼻歌を重ねて、自分の滞在時間に気がつくまで、諏訪は帰らないのかと聞かなかった。鍵を取りに行かないのかと聞かなかった。暗に帰れよ、と言っているように取られるのはいやだった。実際諏訪はその逆のことを、人の家の景観に馴染みすぎている女を見ながら思っていたのだった。
「今日、ナイターだろ。野球観ながら飲まねー?」
「……ほう」
「明日鍵取り行けよ。俺も防衛任務あるし」
「ごめん、大学時代の悪い癖だね」
は自分の滞在の長さと自由気ままな行動について諏訪に謝罪した。
「いや、全然いい。居心地がいいから」
「それはわたしのセリフなんだけど」
にとって他人の家でぼやっとのびのび過ごすことは習慣らしい。それは諏訪にとってはあまり聞きたかったことではなかった。こんな夜を、一日を、だれと、なんど、どうやって過ごしたことがある? ──まだアルコールを入れていないのに愉快そうなの横顔にだまって問いかけるが、とうぜん返事はない。
「なに?」
諏訪の顔色を伺うに、諏訪は心のうちが読まれたかとどきっとする。
「……また足踏み外されちゃ、困るからな」
その動揺をに分け与えるようにして、諏訪はほそい手首をとった。
「……あっそ」
これでは誘拐犯と被害者だ。
口をとがらせ不服を表現しこそすれ、ウエストを2回折り曲げたスウェットに踵のずいぶんと余ったビーチサンダルを履いた化粧っ気のない田舎のやんちゃ娘のような風貌の女はその手を邪険にすることはなかった。