03
スープカレーを泳ぐ
に気に入られる理由はとくになさそうだったが、嫌われてはいないようだった。いっしょに防衛任務につかないかとメッセージを送るなり口頭で誘うなりすれば、は休日の予定を調整して任務を優先させるからだ。諏訪はあの日のようにひらりと舞うを間近でみたかったが、そうそう機会はなかった。しかも、全ポジションをひと通りこなしたというは基本的には狙撃手固定としていたが、その時々で弧月を装備してみたり『風間くんに新技教えてもらった!』『マジで邪魔! 風間シバく!』、銃手・射手用トリガーを使用してみたり『バイパー!』『無謀なことすんじゃねー!』と、散々諏訪の足を引っ張り本部オペレーターの手を煩わせたが、なんだかんだできちんとトリオン兵は捌いていた。出鱈目な戦い方をするとはいえ、当然訓練生や正式入隊したばかりの隊員よりは安定感はある。それだけ場数は踏んでしまっているのだろう。はなかなか使い勝手のよい人員なのだった。
ただし、本当に射手の才能だけはないので俺の前では金輪際やってくれるなと、諏訪は必要以上の損壊を与えた建物の瓦礫を背に本気でに頼んだ。おおざっぱな人間にバイパーはお取り扱い不可だ。
「そもそも諏訪くんと組むとき以外で狙撃手以外のトリガーは使わないけどね」
は平然の言ってのけた。あっさり諏訪への嫌がらせを認めたのだ。
はすでに戦闘体を解除して、パンツスーツに茶髪をゆるくひとつにくくっていた。正隊員以外にはあくまでも人事部の一職員として接しているから、本部内をうろつくときは生身なのだ。とはいえ以前本人が言っていたとおり、戦闘体の金髪キャップ姿ならバレることもそうないのだろうが、を探している訓練生が声をかけられない状況は避けたいのだろう。諏訪もなんとなく、合わせて換装を解いた。
「てか、さんの勤務体制ってどうなってんの?」
土曜に防衛任務につくことが多いに問う。毎度休日出勤だ。
「入社当初はそれこそ一般職員は昔馴染みで揃えたベンチャー的なアレだったし、なんとなくフレックス的に休んでたよー」
たしか、も東に誘われて入社したと言っていたと諏訪はいつぞやの麻雀卓を囲んだ日を思い出す。
「けど、今はとくに振替休暇もないよ。わたしも討伐数に応じて、お金発生しているしね」
てっきり平日にどこかで多少調整を入れていると思っていた諏訪は罪悪感におそわれるが、同時に優越感のようなものも覚えた。隣を歩く女は、俺のリクエストに休日を返上してこたえてくれているのだと。
「なんでそんなにがんばるんですか?」
「え、がんばっているようにみえる?」
「いや、ふつう、休日出勤はしたくねーだろ」
はあ、まあ、そうねとは空を掴むような返事をする。そう簡単には諏訪の望む言葉は返ってくるものではない。
「そういや、さんの趣味は? 麻雀と飲酒は除く。趣味にさく時間あんのか?」
「えー? 読まない人よりは本を読む。観ない人よりは映画を観る程度だから、問題ないかな」
「なんだそれ、普通に好きって言っとけ」
「だって、そう言ったのに、なんだその程度かとか、思われるのいやじゃん」
履歴書やマッチングアプリの趣味欄を埋めるのには苦労する、とは笑った。マッチングアプリて。聞き捨てならない。諏訪はそれについて深掘りしようとしたが、
「ちゃん、ここ寒い!」
と、食堂に入ってすぐ、窓際の席に座っていた訓練生の男がの名を呼び足を止めさせた。諏訪は馴れ馴れしいその声にまじまじと男の顔を見る。おそらく高校生あがりたてくらいだろうと、あどけない顔を見て想像した。
「席移動したらええやーん」
「周り見て? 満席!」
誇らしげに食堂の空間を指差す男には淡々と、
「空調は全館共通なもんで調整不可です」
と事実を述べながらも、腕を上げて風の通り道を探している。ふむ、たしかに寒い、というようには頷いている。男は換装しているが、訓練生のそれは体温調整など細かくはできない一括設定だ。
中高生は家で飯を食えやと思うが、安上がりな食堂で夕飯を済ませてきてくれることを親はよろこぶのか、家の夕飯だけでは育ち盛りは足らないのか、昼どき夕どきの食堂は大盛況である。
ブーイングする男に諏訪は、無性に腹が立った。単なる戯れなのだとはわかっていても、というキャラが成せる交流なのだとわかっていても、なぜだか虫の居所が悪かった。
「あ、ほらそこの席空いた。そっち行け。わたしらがここ座る」
食堂の空間を睨んでいたが顎で誘導する。
「その前に、こちらの諏訪さんに挨拶をしなさい」
男は諏訪に平謝りして名を名り、今後ともよろしくお願いしますとビジネスマンのように挨拶をしてから定食がのったプレートごと席を立った。
「おー、気にすんな」なんて、普段の諏訪なら間違いなく声をかけるであろうタイミングだったがそれをしないことに決めた。
その姿を見送ることもせずは何事もなかったようにテーブルにパソコンを置き、トートバッグからがま口の財布を取り出す。およそ社会人の女性が持っていそうなそれではない。
「ちゃんて。せめてさんでは?」
「別に諏訪くんもそう呼んでいいよ」
苦しゅうないと笑うの声と重なるようにして今度は若い女の声が諏訪を呼んだ。
「こないだはありがとうー!」
制服姿の女子高生はそうお礼を言うやいなや、
「えっ、ちゃんだ。意外な組み合わせ!」
諏訪との顔を交互に見くらべた。
さっきの男子高校生に限らず、みんながみんなちゃん呼びなのか。新任の若い教師みたいだなと諏訪は苦笑いを浮かべた。ほんとうに訓練生はが防衛隊員として今も活動しており、正隊員とそういう意味で懇意にしていることを知らないらしい。
「ちゃん、また話聞いてね」
「はいはい。わたしを若返らせてくれよ」
小走りに去っていく女子高生の姿を目で追わず、おたがいに目を合わせる。
「訓練中の動きを見てて気になったことがあったからさ、ちょっとアドバイスしてみただけだけどな」
聞かれてもいないのに諏訪はなにに感謝をされたのかをに教えた。
「わたしはおもに、恋の相談を受けているよ」
甘酸っぱい話は栄養だと、休日も働くプライベートの時間が同世代よりも少なかろうは笑った。ますます高校教師感が増した。
「さーて、ちゃーん、何食べるー?」
諏訪がポケットから財布を取り出しながら揶揄うように問えば、はポケットからスマホを取り出して耳に当てていた。そのまま食券機に向かって歩きはじめるので諏訪は頷いてそのあとについていく。電話口に、空調ではなく通気口からの風が冷たいので、できればそこを塞げないかと、しっかり敬語を使って依頼をしていた。電話先は人事部か? 開発室か? 設備を管理しているのは一体どこの部署なのだろうか。疑問には思ったが問題はそこではなかった。
「あんなの、放っておいたらいいのに」
電話を切ったはむくれている諏訪の顔を見て、
「些細な不満も即解消してもらえたらうれしいと思わんかね、洸太郎」
それをあのおバカが気がつく日は来ない気がするけど。と、至極まっとうな見解を述べた。
悪ふざけの応報に諏訪は血が逆流しているのではないかと思った。何がここ寒い、だ。むしろ俺が戻るまでにもっとガンガン冷やしてくれてて結構。それか今すぐ換装したい。
──を休日に誘うべきは防衛任務ではないかもしれない。
ぐうの音も出ない諏訪は、代わりに自分の財布からひとり分の定食代より多めに紙幣を取り出した。ひとまず今日のところはこれで勘弁してほしかった。