02
泡沫
「諏訪さん、訓練室までご同行くださいな」「ヤだわ! オメーら俺のこと蜂の巣にすンだろ!」
見慣れた光景だった。ラウンジで見かけた二宮と加古は何やら小競り合いをしている様子だったので、諏訪は見つからないように通りすぎようとした。しかしながらその目論見は失敗に終わり、彼らは諏訪の前に立ちふさがったのであった。
「付き合ってくださいよ」
「そうよ、同期のよしみでしょう」
「どの口が。一歳年上だからとジュースなり菓子なり集ってくるのはどこのどいつらだ、ふたりでやっとけ」
「的があるほうがいい」
「おい、誰が的だコラ」
ひとしきりツッコミを入れ、諏訪はそういえばと疑問を問いかけた。彼らとボーダーで出会ってからおよそ半年の間で問いかけたことがなかったことだった。
「ってかよ、オメーらはなんでボーダー入ったんだ?」
加古は右手に持っていた紙パックの飲み物をちゅう、と吸ってから、喧嘩の延長戦だと言った。ハァ? と、現状に行き着く過程がみえないその理由に意見すると、加古は話を続ける。
「二宮くんと委員会が一緒だったのだけど、その日も口喧嘩をしていたの。そしたら、殴れるもんならぶん殴ってやりてぇと、二宮くんが言って」
「違う、加古が言い出しただろ」
「いや、二宮くんよ」
「いや、加古だ」
「わーった、わーった、どっちかが言ったんだな。それで?」
諏訪が制して、続きを促すとこれ以上加古に余計なことを喋らすかと言わんばかりに二宮が我先にと口を開いた。
「壁際に立って俺たちをみていた風間さんが、じゃあ殴ってみるかと。怪我しない方法があると言い出した」
「いいわ、のぞむところよ、って」
「着いていったら、この通りというわけだ」
あはは、と笑う加古と、ため息をつく二宮。薄々そうだろうとは思ってはいたが彼らの因縁はボーダーに所属してからではなかったのだ。
「血の気盛んな高校生の発散場所があってよかったな」
喋り切ったふたりの間を割って諏訪が歩みを進める。
「あっ諏訪さんどこに行くのよ」
「訓練室行くんだろ?」
ふたりに背を向けたまま、諏訪は行くぞと手招きをした。
なかよく喧嘩しながらおたがいにスキルを向上させてゆく様はもはや清々しかった。おたがい天性のものがあったというのも完璧だ。青春漫画をみているようだった。そんなことをしなさそうな小綺麗なふたりだからこそ、なおさらだった。
諏訪と同級生である木崎、寺島からはそれぞれ一度、ボーダーへの誘いを受けていたが諏訪は首を縦にふらなかった。単純に、めんどうだったからだ。そして彼らもしつこく勧誘するようなことをしなかった。
結局は入隊にいたるわけだが、防衛任務で得られる給料や、就職活動のエントリーシートの自己PR欄を埋めるネタとして大学生である期間、ボーダーに所属することを選択したのだ。
そういうわけで諏訪は、とくに高い志というものをもたなかった。
想定はしていたが、多くの人間はもっと違うことのために隊員になることを希望していた。違うこと、というのは、トリオン兵に殺された肉親とか、友人のためにとか、そういうことだ。だからといってそんな目的のない自分を卑下することもなければ、逆にそういった人たちを見下すとか哀れむとかいうつもりもまったくなかった。自分には大なり小なり自分の目的がある。
とりわけ努力を重ねたわけではなかったが、運よくそれなりのトリオン量に恵まれていた諏訪は時間の経過とともに、正隊員になることができた。それがかなわずに諦めた人間も、泣いた人間も知っている。それはとても申し訳ないことのように、諏訪には思えた。自分よりも、ここにいるべきだった人間がいた。
諏訪にとって才能をもち、そして日々精進する二宮と加古という、ひとつ下の天才たちにかなわないことは当然であった。なにも恥じることはない。それでよかった。飛び抜けた存在の人間がいれば、自分の出来不出来はたいした問題にならないからだ。
そんなことを諏訪は誰かに話すつもりはなかったのだが、なぜだか、かいつまんで話していた。わざわざ無線を切ってまで話していた。今日も元気に休日出勤で防衛任務に借り出されていた金髪女は煙草をふかしながら、ぼんやりとしていた。およそ戦闘を控えている人間のそれではない。慣れというのはこわいものだと思うと同時に、その空気感に心底安堵する。自由ということは責任をもつことだと、高校の卒業式で教師の誰かが言っていたことをふいに思い出した。やはりにはそれなりに自信があるのだろう。
そうして、そんな煙草の煙のようにぼやぼやした話を防衛任務中に聞かされたは「まあ、わからんでもないわ」と頷いてから、「ところで諏訪くんは、麻雀できる?」。そう尋ねた。ところで、と言えばどんな話題転換も可能だと思っているのだろうか。ほんとうに、話を聞いていたのだろうか。聞いていなかったと言われても、驚かない。諏訪は簡潔にため息のようなイエスの返答をした。
かんぱーい、と缶がぶつかる。
未成年の大学生が飲酒するなどもはや合法のようなものだが、とはいえここは一企業である。
防衛任務後、に連行された先は麻雀卓が鎮座しているこの小さな部屋だった。すでに麻雀卓を私服姿の東・冬島が缶ビール片手に囲んでいた。成人済みの男ふたりは、未成年の参加をまったく咎めなかった。今日は長い夜になるぞー! とはしゃぐは部屋のロッカーに常備されていたのであろう寝巻きのようなワンピースに着替えていた。今までみえていなかったボーダー内部の大人たちを垣間見て、そんなに張り詰めた場所でもないのだなと思う。
「ポン」
冬島がの背後から耳打ちして発声する姿は船場吉兆宛ら。は麻雀は大学時代からやってはいるがいつまで経っても独り立ちできず、毎度誰かにこうして背後からアドバイスを貰いながらプレイするという。この場合負けて何かを手放すことになるのは女将役だというのだからたまったもんじゃなかろう。ボーダーでは基本的には覚えたての太刀川とふたりで東と冬島を相手にしているらしいが生憎太刀川は入れ違いで防衛任務中だ。「趣味嗜好がおっさんみたいな人だよなあ」。先日太刀川から聞いていた評はあながち間違いではないらしい。
「さんって、なんで防衛隊員もやってるんスか?」
「だから、人員不足だ言うたやろ」
「諏訪が聞きたいのはそういうことじゃないだろ」
はー? と不満の声をあげるは東の言葉へか、自分の手元を見てかはわからない。
「何も知らない人事部に何を言われても響かないだろうから、とりあえず全部のポジションをちょっとやってみたんだよな」
冬島が引き継いだ回答にシンプルに驚いた。このめんどくさがりな女がそんなことを。
「へえ、見かけによらず熱心なことで」
「暇だったからね」
なにもそんなに驚くことではないとは意見を足した。
「で、そこそこできたから、借り出されるようになったんだ」
締めくくりは東が担当し、諏訪が欲しかった回答が提示された。
「えらいよ。ちゃんは」
「はい、説明ご苦労さん」
は二度拍手をした。
おっさんみたいな人、とは言っても諏訪は、東と冬島はさも男友だちのようにと付き合っているようで、がこの会に関わるお金を一銭も出していないことも、東と冬島がの好物を選んでつまみや酒を買ってきていることも、そしてそのすべてに対してが心からの感謝を述べて小躍りしていたことも――要するに彼らが彼女を可愛がっているということを知っていた。そして、取るに足らない話をした俺に「みんな普段はこんなもん。やるべきときにやれればいいだけ」ということをわざわざこうしてすぐに示してくれた気の遣い方──そういうところは全然おっさんらしくはないなと諏訪は思った。いや、やはり飲みに誘えば解決すると思うのはおっさんの思考だろうか。
諏訪はたしかにこのメンツのなかではいちばん歳下であったが、今後自分よりうんと歳の離れた子どもがボーダーに溢れかえることは安易に想像できていた。そうなっていく先での漠然としたことを考えていたことまで、は想定していたのだろう。気負わずやれよ。そういうことなのだろう。もしかすると、彼女も同じようなことを考えていた、もしくはいまだ考えているのかもしれないと、諏訪は思った。
「諏訪くん、ビール取って」
「はいはい」
諏訪は麻雀卓の側に置いてあるクーラーボックスを足で開こうかと思ったが考え直して屈めば、握れば折れそうな棒のような脚がたくし上げたスカートからこちらを覗いていた。戦闘体のときも制服のときも、はパンツスタイルだったのでその脚はこれまで隠れていたものだった。細い脚だけど、太ももは太ももらしくある。やっぱりおっさんではないし、むしろおっさんみたいなことを考えているのは今の自分のほうであると頷いた諏訪は自分がある程度酒に飲まれていることに気がつきながらも、缶ビールをふたつ手に取った。