01
春の落下速度
仮入隊からしばらくが過ぎ、大学に入学する直前に、正隊員となることが確定した諏訪は今後防衛任務につくにあたって、東と本部作戦室でその実際の内容について見学する手筈となっていた。壁一面のモニターに映し出されている情報からは土曜日の早朝から昼すぎにかけての人員はたったの五名で、三名と二名で分かれての行動をとることになっているということが読み取れた。「え、人員これだけ?」
「だから、早く、そして多く活躍してくれると助かるよ」
本部周辺のみの防衛とはいえ少なすぎる。
例の会見後、入隊希望者は増加しているはずではあったが未だ圧倒的人員不足が否めないと諏訪はボーダーの現状を改めて理解した。察するに、中高生を現場に出すにはある程度の配慮が必要であり、たとえば高校を卒業しているとか、そこそこ自身の行動に責任が持てるやつから野に放とう、というところかと諏訪は結論づけた。
そのうちに警報が鳴り、投影されているレーダーを見ればちょうど二名であたっている範囲内にゲートが開いたことがわかる。ぱち、とモニターが三門市内の映像に切り替わった。落下してくるモールモッドにすぐさま攻撃体制に入った攻撃手が切り込むがダメージが浅い。その隙に一発狙撃手の射撃が入り攻撃手が再度狙いを定めるが反撃に合う。攻撃手は躱すことができずに片足を失った。これが初任務の隊員だと東は諏訪に教える。明日以降の自分の姿とその攻撃手の額に滲む汗をみて少しばかり頬が火照るのを諏訪は感じた。
「あ~」
本部作戦室の空気に似つかわしくない間延びした女の声が響く。声の主は一発銃弾を当てた狙撃手であった。モールモッドはさきほどの狙撃で理解した位置へと進行を開始していた。それをじっと見つめてため息をひとつ吐いた彼女はバッグワームを解除しグラスホッパーを起動。狙撃手がグラスホッパーとは意外なトリガーセットであるが、狙撃手の機動力の向上というのは「味方と合流する」「撤退」という行動を選択肢に確実に入れるためには必要なものかもしれないと諏訪は考え納得するが、その思考は瞬時に裏切られることとなる。彼女はそのままモールモッドのほうへこちらから出向いていったのだ。狙撃手は寄せられたら終わりではないか。それを自ら寄っていくとは何事か。他の応援もしくは片足の攻撃手を待つべきではないか。仮入隊当初、東に全ポジションの解説をされた際に聞いていた狙撃手のセオリーとは真逆のことである。
そのスピードに着いていけなくなった女が被っていたキャップがはらりと落下していき金髪のポニーテイルが揺れるのを、口を開けて諏訪は眺めた。
モールモッドとの距離を詰めながら起動していたアイビスからライトニングに切り替え連射すると装甲の硬いモールモッドもその数に怯み、攻撃手がなんとかかました一撃で留めをさした。ふざけた戦闘方法だと思った。それでも、その姿はとても鮮やかで、荒々しく、惚れ惚れするほど芸術的だった。
「大学からの付き合いなんだけどな、まあ、せっかちなんだよ」
東が頭をかくのを横目で見ながら今、撃破を無線で報告している狙撃手のことであろうと察しがついたがあの間合いではもはや銃手といったほうが正しかろうが。いくらライトニングの弾速がよいとはいっても、あれではリスクが高すぎるのではないか。
「東さんとは似ても似つかない感じっすね」
諏訪は俺も金髪しよっかな〜などと惚けたことを言い出す。自分のスタイルと女のそれを比較された東は苦笑いを浮かべ、モニターに映る狙撃手と新米攻撃手に視線を戻した。攻撃手に、そういうこともあると声かけを怠らない女はキャップを拾い上げ目深に被り直すとポケットから小さな箱を取り出して、煙草を咥えた。
親御さんに渡してほしい資料があるらしいからという人事部からの伝言を東に伝えられ、諏訪が人事部の入り口の内線を鳴らす前に自動で開いた扉の先にみたのはさきほどの狙撃手の女であった。本部指定のネイビーのパンツルックのスーツにキャップもなく、黒縁のメガネ――ボストン型といったか――をかけており、どうやら戦闘体の設定をいじっているらしい髪の毛は金髪ではなく落ち着いた茶色ではあったが、この煙草を咥えた口元はあの女だと諏訪にはわかった。小さい口から放たれる気怠い声と不釣り合いに挟まれる煙草は諏訪の鼓膜にも目にも焼きついていたのだ。
予定時刻よりも早い諏訪の到着に、目を見開いた女は煙草を箱に戻した。こちらははじめましてではないが事情を説明するまでのことでもないだろうと思い初対面用の挨拶を行った諏訪に待ってましたぁ、と諏訪を入ってすぐの応接室に通した。一般職員にもさまざまな働き方があるのだろうが、少なくとも人事部は土日祝日は休みのようだった。彼女以外の人影はみえない。
「射手の才能がなくて残念だった?」
テーブルを挟んで設置されているソファのうち奥への着席を手で促しながら、諏訪に問いかけた。
その攻撃の派手さから射手はボーダーの花型のように扱われている節がある。へらへらと笑っている女はメインを張れなくて残念か、という確認をしたいのだろう。──興味本位で。
「もともと銃手か狙撃手志望っす。んで、性格的に間違いなく前者」
「おお、努力の方向性を間違わないことはいいことだわ」
諏訪とほぼ同期入隊の二宮と加古は人間性の問題はさておき、射手としてすでに頭角をあらわしており一目置かれる存在であった。同期でありながらひとつ年下のふたりの活躍と今の自分の立ち位置を、諏訪は比較して恥じることはまったくなかった。
「あっ、名乗ってなかった。人事部のです」
出入り口に近いほうのソファへ腰掛けて膝に手をつき、ぺこりと頭を下げた。
人事部? いやいや防衛隊員だろというと諏訪が疑問を解消する前にはテーブルの上に用意されていた茶封筒に入った書類を滑らせてから、何か聞いておきたいことはあるかと尋ねた。なければ解散ということだろう。封筒を手元に引き寄せて諏訪は、あると言った。たった今できたのである。
「さっきの防衛任務見てました。掛け持ち? してるんスか?」
「おっと、よく気が付いたね! なかなかバレないもんなんだけど」
たしかに、金髪のインパクトは強く、それだけを認識している人がいることにも頷ける。
「闘い方に度肝抜かれたんで、ちゃんと覚えてますよ」
「あー、あれね。なんかもう、めんどくさかったからさ……」
仮に失敗しても死にやしないし、とはゆるく巻かれた髪の毛を人差し指にまいた。考えるのがめんどうだったから特攻したといっても自暴自棄で勝算度外視ではなかったはずだ。あれはある程度の訓練の上で行った動きだった。
「たまに借り出されてるんだけど……てか、わたしのことじゃなくて。質問ってそういうことじゃないし」
「もともとは防衛隊員だったんスか?」
「無視かい」
は天を仰ぎ、ポケットに手を突っ込み煙草を取り出し咥える。仮にも人事部の代表として隊員に接しているのだからその行動はいかがなものかと諏訪は思うが、諏訪自身がそれを気にしているということはまったくなかった。そしてそれをは理解しているようだった。
「わたしは新卒で人事部に配属されてるよ」
「じゃ、なんで?」
「なんでって……だから、人員不足」
なんでなんでと尋ねる子どもに疲れた母親のような適当な声色で続けたは間もなく、咥えていた煙草に火をつけた。これ以上の自分に関する質問は受け付けないというようだ。まあ、今日のところはそれでいい。今後いくらでも話をするチャンスはあるだろうと、諏訪はなぜだか確信めいたものがあった。というよりは、かならずそうするのだという決意に近かったかもしれない。
西日がブラインドの隙間からめざとくさしていて、紫煙をくゆらすその姿はこれまた絵になった。