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かぼちゃは馬車にならない
『指切った!』小指をからめて、約束を反故にしたら針千本をのますと契約したわけではない。電話口のは包丁で自分の人差し指を切ったのだと騒いでいる。
「マジか。大丈夫そ?」
『指はちゃんと繋がってるけど、血が結構出てる』
「吹き出すほど出てるわけじゃねーだろ?」
『そうだけども、止まらないね。……どうすればいいんだっけ?』
少し冷静さを取り戻した様子のはジャージャーと流水がシンクを叩く音を中継している。人差し指を水にさらし続けているようだ。
「心臓より高く上げといてください。んで、その調子だと多分貧血っぽくなるし座ってろ」
『わかった。血はあれだけど、わたしの心が落ち着いた』
スピーカーホンで通話をしながら硬いかぼちゃの皮を包丁で剥ごうとするなど、大雑把なにはハードルの高いことであったことに気がつくべきだったと諏訪は反省した。それに、かぼちゃに立ち向かう際は数十秒電子レンジでチンするものだと教えるべきだった。彼女の調理が進むなかで、スマートフォンはその機械音を拾っていなかった。否、はそうしたほうがよいことを知っており、あえてショートカットした説が濃厚か。は料理が嫌いだが、できないわけではないからだ。ただ、ひどく面倒くさがりで、せっかちである。から各隊に送られてくる新入隊者リストや訓練分析資料も、誤字脱字が散見とまではいわないがひとつかふたつ、いつもある。共同編集可能なデータであればそっと修正を加えていることは今のところは内緒だ。
「ばんそうこうは?」
『あー、お財布の中にあったような、なかったような』
キッチンを離れていく音が聞こえる。そういうときってのはだいたいないモンだ。加えての性格はその可能性を引き上げる。
「持って行きますよ!」
麻雀卓の上のスマートフォンに向かって叫び、ソファに放り投げていたバックパックの肩紐に手をかけた。「ないけど、大丈夫!」と、こちらも絶叫しながら申し出を拒否するの意見は無視。「座って待っとくこと!」、念押しして通話を終了し、開いていたノートパソコンの電源を落とした。液晶画面は金曜日の夜の八時を過ぎていることを示していた。
玄関で箱から開けて取り出しておいたばんそうこうを一枚手渡せば、感謝の言葉が返って来た。どうぞお上りくださいませとは長細いテープの紙を剥がしながらキッチンを通過し、ひとつだけしかない部屋に戻っていく。放置されたまな板の上のかぼちゃと包丁、そしてプルタブがあがっている缶ビールをちらとみて、スニーカーを脱いだ。
「救命講習、人事部も参加するかな~」
反省の色をにじませ、がぼやく。生身が傷つくことはほとんどない前提と言っても、防衛隊員には年一回、自動車教習所で実施されるような救命講習の受講が定められていた。指をちょっと切っただけで、大げさな。
「で、なんだっけ、C級でくすぶってる子らのデータだっけ」
中断してしまった、電話で話していた用件のつづきをはクッションチェアに座って切り出した。
「そ。東さんに銃手の訓練方法の見直ししろって頼まれてよ」
「頼まれて、っていうか」
「指示だな」
ははは、とふたりで声をあげる。
人遣い荒いし。だれしも東さんみたいになんでもかんでもできないし。それタダ働きだし。いっそてめーでやれって話だし。口々に小言を飛ばしながら、笑った。
「ランク戦のデータまだ分析しきれてないのよね」
「そりゃひとりじゃ厳しいだろ」
人事部のデータアナライズ担当と言えばいいだろうか。兼、C級専属カウンセラー。はそんな立場で日々業務にあたっていた。よっぽど二刀流をきめていた頃よりも忙しそうにしていた。
データを取るのはおもに開発室の仕事だが、はどのデータをどのような形でほしいのか指示をしているし、ランク戦の映像をみて自分なりに検討もする。そしてその集めただけではなく検証された仮説を、諏訪たちのように訓練生に目をかけるべしとされている隊員が活かした。ランク戦自体はみな次の対戦相手の研究のためにみるし、そこから得られることもあるが、その場しのぎであったりするのもまた事実。膨大なデータをかき集め仮説を立てるような手間を、が受け持つことは効率的であった。
週明けに送るわ。と、社用パソコンを自宅へ持って帰らないライフワークバランスを守り抜こうとするはばんそうこうをまいたほうの手をあげた。一生懸命というのはなにも時間を使えばいいというものでもないのだ。
「つか、なにつくろうとしてたんすか?」
「なんか、例の忌々しき硬いやつと、ひき肉の、甘じょっぱい感じのやつ」
負傷する元凶となったかぼちゃはもう名前すら呼んでもらえないらしい。
「そもそも、飲みながら料理するからそんなことになるんじゃね?」
「バレた。あ、缶置きっぱだったわ」
ほんとそういうとこだぞと諏訪はに突っ込まずにはいられないが、手負いの女に引き継ぎを申し出る。
「じゃ、俺があとはつくる」
「え!? ラッキー!……と、言いたいところだけどいや、むしろわたしがなにかしてあげたいのですが」
「なら、つくったものを一緒に食べろよ」
目をまるくして数秒、破顔する。お安い御用だとは立ち上がり、冷蔵庫からキンキンに冷えた缶ビールをふたつ、取り出した。