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乱反射をつかまえて
「隊には所属できません」平日十八時の指定でボーダー本部食堂に集合し、テーブルを挟んで向き合っていた諏訪には頭を下げた。諏訪はカレーをひと口かふた口分残して、は生姜焼き定食の付け合わせのキャベツも全部食べてしまって、肉だけがひと切れ残っていた。好きなものは最後までとっておく派だと、そういえば言っていた気がしないでもない。
本日の目的はこの話であったはずなのに、はそれまでの時間ネットフリックスのドラマを観たことがないとか、煙草が1,000円になってもやめないとか、なんでもない話をし続けていた。要は、断りを入れるには唐突であった。間合いをはかることを諦めたのだろう。そういう話は最後までとっておくモンじゃない。
──今後はどちらかが犠牲になるんじゃなくて、どちらも残れる方法を考えてほしい。
そう言ったらおめーは頷いたじゃねえかよ。今後は助かる道をいっしょに探すということは、転籍の流れじゃなかったのか? 口は開かずとも諏訪は困惑の色を隠せなかった。
「人事の仕事を疎かにしたつもりはない。でも、一定のラインを超える仕事はしなかったのは事実。そのフォローを、みんながしてくれていた。これ以上優遇してもらうわけにはいかない。だから、もう防衛任務にも出ない」
「だれかに迷惑だと言われたのかよ」
「バカ。うちにそんなことをストレートに言ってくる人はいません」
では陰口や本心ではそう思っているだろうというの推測なのだろう。そしてそれは当たらずも遠からずにちがいない。という人間はまわりの人間の醸し出すものを一般的な人間よりも感じ取りやすいのだから。もちろん被害妄想というのも否定はできない。なぜならが平日に防衛任務にあたることはマレなことであったからだ。いまいち腑に落ちない様子の諏訪に、は、
「それにね、やりたいと思っていたことが、あるの」
表情をくずして、グラスの水をひと口飲んだ。
「なんかこう、1.5軍みたいな人を、増やさないといけない。1軍にだって何があるかわからないわけで」
1軍というのは太刀川や風間といったA級ないしB級上位のこと、1.5軍というのはB級中位以下を指しているのだろう。諏訪はカレーをすくって続きを待った。
「じゃあ2軍のC級を鍛えようと思ってもね、そのためのデータが今のボーダーという組織には足りないんだと思う」
弱点が内角低めだとしたら、そこを重点的に練習させればいいけど、それすらわからない子たちがたくさんいる。と、は言う。隊員が隊員を育てるにしても、数百人規模になろうかというC級全員をみるのは現実的に無理な話だ。現に諏訪も優秀な訓練生、ないし欠点のはっきりしている訓練生にばかり目が向く。
「たとえば10人の洸太郎に同じ練習をさせて、何人の洸太郎が一定の成果を上げられるかとか、そういうデータを集めて分析して、必要な人に渡してあげたい。そこからは隊員同士の試行錯誤だろうけど、大局的かつピンポイントなデータが必要だと思ったんだ」
もはや人事というか、マーケティング感あるけど。そうは笑って、残していた最後のひと切れを箸でつまみあげた。
「それが集まればみんな適材適所で働ける可能性が高くなる。どこかしら居場所をみつけられると思うの」
一生懸命になれるかは知らない。できるかもわからない。たぶんわたしがやらなくてもそのうちだれかがやる。こんなことだれでも考えられるから。でも、そういうことがしてみたいとは思った。
保険をあるだけかけたような言い回しに諏訪は苦笑した。この人の自己肯定感の低さと、それに負けず劣らずのプライドの高さは人間くさいと思うのだ。それははじめて会った日に感じたそれと似ているが、どこかはっきりとちがう感覚だった。
「それはさ、洸太郎と現場にたくさん出たからよりリアルに感じられたことでもある。だから、いろいろありがとね」
そんな真面目な話の照れ隠しのごとくはもぐもぐと咀嚼する。
「さんのデータで俺──いや、みんなが助かって、みんながだれかを助けられるんだな」
「……そうなるといいな。だから、おたがいの手の届く範囲のことを地道にやろう」
の出した答えは諏訪に否定や意見を許さない、決定的なものだった。クロージングまで完璧であった。
「……だな」
それぞれ置かれた場所でおたがいの道を、叱咤激励しながら歩むのだ。が防衛任務につかずとも隊に属さずとも、こうして、仕事の話を、くだらない話を、これからもし続けるのだろう。防衛隊員として訓練に明け暮れるの姿よりも、よっぽどスムーズにイメージができた。眉間に皺をよせ、悪態をつき、文句を言いながらも求められるデータを出し、最後には笑って解散する。C級隊員に囲まれながらあることないこと話をする姿。弱音をはく彼らの背中を支えたり叩いたりする。それが感覚だけでなくデータという根拠もあるうえで行われることは、彼らにとってもにとっても、幸いなことだろう。
これまでどおり、続いていくのだ。これは最後の晩餐なんかじゃない、噛み締める必要なんてないのだ。むしろここからが、自分にとっても目の前で手を合わせてごちそうさまと小さくつぶやく女にとっても、正しくスタートであることに違いなかった。
――諏訪隊って攻撃手とか狙撃手入れないのかな。もともと狙撃手いたらしいよ。ちゃんでしょ? えっ防衛隊員だったんだ。確かにトリガーのこととか戦術も相談乗ってくれるもんな。東さんの入れ知恵よ! って言うけどね。あの人諏訪さんより年上だよね? 東さんと同期じゃなかったっけ。なになに、なんの話してんの? 諏訪隊とちゃんの話。ああ、諏訪さんと付き合ってたけど別れて隊員やめたって聞いたけど? エーッッッッ!? そもそも付き合ってたのー!?!?!?!?
諏訪隊作戦室に頭を掻きながら入って来た堤はC級の子たちが噂してましたよと、その内容を告げる。堤はその噂を否定も肯定もせず、ただただ自分が見つからないようにと気配を消してラウンジを離れたそうだ。温和な顔は面倒見がよさそうに見えるが、堤は出来る限り面倒ごとは避けたいタイプである。とくに身内の関係する噂話というのは身内が中途半端に介入すればどちらに転がるかわかったものではないということを堤はよく知っていた。ビジネスチェアに腰掛けていた噂の登場人物のひとりであった諏訪もそれを理解していたので堤に対して文句は垂れずに背もたれに全力で体を預け天を仰ぎ、アーだとかハーだとか発声した。
転籍もなにも元々人事部なんだっつの、それに諏訪隊に属したことはないと諏訪隊周知の事実を述べれば、そこを訂正してもあまり意味ないんじゃんと小佐野は飴をガリガリ奥歯で噛んで諏訪の訂正を一蹴した。諏訪はポケットから煙草のケースを取り出すと同時にのっそりと立ち上がり、行き先を深く考えずに作戦室の扉の前に進んだ。
ふたつの缶コーヒーを縦に重ねて喫煙ブースの縁に器用に置いたの背後から近づく。自動ドアの開閉音振り返ったは、
「本部内で堂々と煙草吸うのやめて。監督不行き届きってなんでかわたしが言われるんだから」
諏訪の口にくわえられていた煙草を引っこ抜いた。
「もうほぼ二十歳だからいいだろ」
「ほぼって……」
あからさまに呆れた表情をつくりあげたはそのまま諏訪から没収した煙草を自分でくわえた。諏訪はその動作をとがめることなく、壁に背中を預けた。
「C級のやつらがとんでもねー噂してたらしいが?」
「どんな?」
「俺と別れてちゃんが諏訪隊抜けたー、って」
今日はじめて喫煙をした中学生のようにはむせこんで、その噂を払うかのように顔の前で手をゆらした。
「うわ、ことごとく事実無根。直接訊かれたら訂正しとくわ。こっちから訂正に入ると余計ややこくなる」
──どっちが振られた設定なの。わたしやったらイヤや~。そーゆー問題? プライドの問題。
「てか、ほんと見慣れないわ……いい色だけど」
は横目で諏訪を見上げる。明るく、でも少しくすんだ金髪のツーブロックがその顔のいかつさを際立たせているようにみえる。見慣れない、けれど、どこかくすぐったくなるその色には目を細めずにはいられない。
「だれの髪色引き継いでやったと思ってんだ」
「頼んでなーい! あと、煙草も頼んでなーい! もはやそっちは続けてるからますます必要なーい!」
「照れんなって」
「照れてなーい!」
――まだ付き合ってんじゃね? 諏訪さんちゃんの頭なでてんですけど。あ、ちゃんが蹴り入れた。てか、その話だれから聞いたわけ? 風間さんと東さんあたりがそんなことを話してて……。だれか本人たちに聞いて来いよー。あっもう行ってる! まあでも、ちゃんも諏訪さんも、よく気にかけてくれるしさ。あの人たちいなかったら、俺たちはこうしていられてなかったかもだし、まあ、別れてボーダー辞めるとかじゃなくてよかったな。えっなに? ちゃんが諏訪さんと別れてボーダー辞めんの!? ちがうちがう! もー。多分噂ってこうやってねじ曲がってくんだよ。 ちょっとー! 付き合った事実がないので別れることもできません、ってよー! えーなにそれー!!!