13
sweet sniper
冬島さんと寺島が城戸さんに土下座していた。それは見られなくて残念だった。それで、迅はなんと言っていた。……読み逃したなと。そんなバカなことがあるか。これが必要だったとでもいうのか。──防衛任務終わりに本部ラウンジで交わされる風間と木崎の会話にうんともすんとも言わず頬杖をついている諏訪を見かねて、ふたりは諏訪の背中を物理的に押して風間隊作戦室に入室した。
「怒りは二次感情だからな。そこに至った理由があるはずだ」
二次感情などと小難しいことを言い始めた風間は横に腰掛けていた木崎を横目でみて、カフェラテを口に運ぶ。
「心配、悲しい、羞恥、残念、不甲斐ない──そういう感情が積もり積もると怒りになる」
木崎がていねいに引き継いで詳細を述べた。だから、怒るという行為のそれ自体は無駄だと言うのだろうか。諏訪は長く息をはいた。
「……そんなのが瞬時に理解できたら苦労しねーわ」
本屋で見かけたアンガーマネジメントの実用書でも読んどきゃよかったとでも言うのかと諏訪は毒づく。こいつらはそれを回し読みでもしたのか。仮に読んでいたとしても自分が冷静に対応できたとは到底思えない。木崎が諏訪に向けたペットボトルの水を受け取ってキャップをひねった。
「──自分を犠牲にすれば、認めてもらえるんじゃないか、って思った」
「さんがそう言ったのか」
「おう」
「自己犠牲のように熱苦しい非合理的なことからは縁遠い女だと思っていたが」
全員否定をしなかった。同一見解である。
ひと口、ふた口と水が喉を通り抜けて、諏訪は生身を実感する。の言動がどうこう以前に、少なからずあの状況下で自分が精神的に疲弊していたことに気づかされた。
は職場放棄することなく、その後も防衛任務にあたった。しばらくしてバグの修正がすんだことが報告され、交代の時間を告げる声を無線が拾った瞬間、は銃口を自分自身に向けて緊急脱出してしまったので、諏訪はを問い詰める時間をとることはできていなかった。
「……俺を助けようとしたということは、俺は信頼されていない、ってことだよな」
ぽつぽつと喋り始めた諏訪に、風間と木崎は安堵する。諏訪の抱える曇った感情に反していつものゆるい空気が徐々に部屋を循環しはじめる。
「さんは、自分は今、認められていないと思っていて、自分の今の価値を否定したってことだろ」
俺は、今のさんがいいと思ってるのによ。それを伝えてたつもりだったけど、俺は伝えてもらいたい人間じゃねーから響かねぇのかと思って、そういう風に考えてること、話してもらえてなかったのかって。
──諏訪は恥ずかしいやら、情けないやらという気持ちで今はいっぱいだ、とこぼす。
「俺たちは死んだ人間をそばで見ているからな、無駄に命を捨てるなどというつもりは毛頭ないが」
「そのへんの気持ちは諏訪だからわかったりするんじゃないのか」
いや、わかるかよと諏訪は仰け反って天井を見上げる。
「死んだ人にしか死の話が書けねーなんてわけねぇのにな」
「犯罪物をすべて犯罪者が書いているというなら恐ろしい世界だな」
木崎が腕を組んでうなずく。とんでもない世界である。実際出所した殺人犯が執筆した本というのも存在しているが、それでも人間に想像する能力があってよかった。それこそには想像力が人よりあるではないか、と諏訪は思う。なおさら、自分のやったことをどのように思われるかを、検討してみてほしかったのだ。そうする過程をすっ飛ばすほどに、が潜在的に自分の無価値を感じているのだと思わされる、その事実に諏訪はいたたまれない気持ちになる。
「みんな経験したことが違うからこそ、それぞれ役割があるって。俺はそれをさんに改めて言われて、隊をもとうとしてんだぜ?」
じゃあてめーもそういうつもりで行動しろって。言い出したのおめーだろって。おい諏訪、またキレてるぞ。
「一瞬の話だったんだ。さんだって、ぐるぐると考えた結果飛び込んできたわけがないだろう」
なだめるように木崎が数時間前の状況をなぞる。
「犠牲になる、といっても、死んでいいとは思ってなかっただろうな。助かる算段があって、飛び込んだ」
「それは、諏訪のことを信頼しているからこそだろう」
諏訪の当初の見当と真逆の見解を風間と木崎は示して、諏訪は頭に手をやった。ここで当事者以外と話していても、今後当事者と腹を割って話さないかぎり、雨がだんだんと土を削って行くようにふたりの間に埋めようのない谷をつくってしまうだけだろう。
「……ありがとな」
諏訪はペットボトルを振って、作戦室からの退出挨拶代わりにした。
地下通路と本部をつなぐ出入り口の手前でC級の男女五人に囲まれているを、諏訪は見つけた。帰路につこうとしていたところだったのだろう。間が悪かったな、と、ナイス妨害、と相反する感想を抱いた。へらへらと笑っているは諏訪に気がつかず、集団に属していない訓練生のひとりが諏訪の存在に声を上げた。その声には肩をわずかにゆらす。それは突然の大声への衝撃だったのか、諏訪という存在が近くにいることへの拒否反応だったのか。どちらもだろうが、それに構わず諏訪はの前に進んで、
「ちょっと借りてくぜ」
手首をとった。これはこんどこそ本当に、誘拐や強制連行のたぐいである。
「悪かった」
連れ込んだ麻雀部屋のドアが閉まるよりはやく、諏訪は謝罪の言葉を発した。
「……違う、わたしが、ごめんなさい」
ソファに腰掛ける間も、手首をつかんで離さない大きなてのひらを振りほどく間も与えられず切り出された本題には息を細くはいて、覚悟を決める。
「東さんにいらないと言われても、あっ、はい、そうですよね、ってなってたと思う。……でも洸太郎に言われたら、心臓つかまれたみたいだった」
諏訪はどんな言葉をかければよいのか、語彙力の引き出しをあけ広げてみてもみつけられなかった。自分の言葉がにとっていかなる理由であれ温度をもって届いていたことに、どうしてか少し高揚感があったのだ。が自分のことを必要としているからこそ、不要と突きつけられてうろたえたのだ。では東のことはそうではないのかというと、そんなわけではないだろう。ただ、どういった違いなのか具体的に端的に述べられずとも、が東と諏訪にそれぞれなにか決定的に異なる意識を向けていることの証明であった。
「脚のひとつくらい折れば、たいしてがんばってないのに、がんばったと、評価してもらえるんじゃないかって思ったの。一生懸命やった、って」
それが、認めてもらえるかも、と言った馬鹿げた理由だよ。
は健気に笑顔をつくろうとするが、悲壮感が抜けきらない。そんな自身の表情を察したは目線を床に落とした。
「いらねーわけがねぇんだ。でも、自ら危険な状況に突っ込んで、なにかを得ようとするのはやめてくれ」
ふたりの前で吐き出した感情を、諏訪はの前でも落としたかったが、うまく口から出てこない。
──だから、今後はどちらかが犠牲になるんじゃなくて、どちらも残れる方法を考えてほしい。どちらかだけじゃ、困るんだ。
諏訪のしぼりだすような声には二度首を縦に動かした。
「……俺は今のさんが好きだ。でも、それが求めてる自分でないなら、そう言われても困っちまうよな」
見慣れたの頭頂部に、諏訪はかろうじて選び取った言葉を落とした。に向けた熱のあるものというよりは、ほとんどひとりごとに近いものだった。隠すことを放棄し、掘り起こした本心だった。自分が好きな女は、自分のことが好きではないという。では、自分が好きな女は何者なのだ? 好意を伝えることは間違っているのか? 諏訪はその事実に戸惑っていた。
今にものほそいそれを折らんばかりに離せない手に力が入ってしまい、はますますこうべを垂れる。
「俺がいつも、さんを見てるよ」
優等生がはじきだす正解が諏訪にはわからなかった。でも、これだけははっきりとしていた。どんなのことも自分がそばで見ているのだと。自分が過去通り過ぎてきた女たちにそうしてもらいたかったように、えぐられたようにみえる溝も迂回路も、いっしょに歩んでやりたかった。そうして自分も、できることならばに見ていてほしかった。それを人は同情と呼ぶのだろうか? それでもまったく結構だった。
顔をあげたの瞳には水面のようにきらきらと光がはねかえる。やっぱりいつもの表情をつくれないは取り繕うことを諦めて、代わりににぎられている諏訪の手首にそっと、自分のてのひらを重ねた。
「そういう顔も、見たいから、いーんだよ」