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潮騒

「あっ、いた!!!」
朝から細い雨が降っていた。土曜日、昼からの防衛任務の時間が迫っているのにあらわれないを探しに人事部のフロアまで上がった諏訪は背後からドタバタと駆けてきたに呼び止められた。探していたのはこっちだが、と諏訪は思ったがそう不満をあらわす前に、
「開発室に行くよ!」
手首をとられて、ともに走る羽目になった。


『守秘回線でーす。風間くん、木崎くん、あと、太刀川~。寺島くんからお話があるそうです』
防衛任務に入る直前に特定の回線に届いたの声に挙げられた人物たちは耳を傾けた。指名された寺島はいつも通りの声色で用件を話し、
『緊急脱出がきかない!?』
全員が復唱した。
『バグですね。戦闘体自体には問題ないです。ただ緊急脱出がきかなくて、本部に送還できません』
あくまでもあっさりとした口調で告げる寺島に大したことではないのかと錯覚しそうになるが、根幹を揺るがす大問題だった。

明らかに様子のおかしいエンジニアとすれ違ったは開発室に向かったところ事の発生を知らされ、諏訪はどこかと探しまわっていたという。開発室に似つかわしくない風貌の城戸と忍田はすでに腕を組み眉間にシワを寄せていた。
「とりあえず、さんは狙撃用トリガー以外抜いとくように」
諏訪は横にいたに忠告をした。狙撃手でいてくれるほうが安全だろうともちろん身を案じてのことだった。そもそも、正式な防衛隊員でないがこの場に平然とおり、しかも状況を説明する側にいるというのはよく考えてみれば違和感のあることだった。上層部はそれを止めずに、任せててしまっている。それほどが信頼されているということなのかもしれないが、そこまでの関係を築くような時間がにあったのかというのは疑問が残る。東がを買っているからなのだろうか。ただ、今のこの風景が答えなのだろうと諏訪は口をはさまなかった。

鬼怒田と冬島が先導して対応しているためひとまず寺島から報告したとが付け足す。
『今回がどうとかではなく、そういうことが今後も起こる可能性、というのが脳裏に刻まれるのが困るんだよね』

──ああ、少なくともこういう考え方ができるから、は評価されているのだ。今日いまからどうするのかと目の前の出来事をやり過ごすことしか考えていなかった諏訪は自分を恥じた。懸念点を述べたに風間が同調する。
『他はどうします? オペレーター含め』
『新人はシフトの都合と言って外してしまおうか。俺が二箇所見よう』
任務にあたる予定の面々をそれぞれに思い描きながら、木崎の提案に皆賛同した。昼間なのに珍しく古株多数の日でよかったね。てか、玉狛の予知はどうしたってのよ。垂れてもしかたがない文句をは無線を切ってつぶやく。
『他は伝える必要が出たら伝える、で問題ない。現場に任せる』
忍田の指示に各々『了解』の答があり、任務は表向き通常通りのスタートを迎えた。





『バカ! 一旦逃げんのよ!』
の声が響いた。モールモッド二体と十分な距離を取れずに相対した諏訪に向けての指示だった。バグについて知らされていないオペレーターの小佐野が、
ちゃん、大丈夫だよ』
そう呼びかけるが、
『ここからじゃ、射線通らん!』
グラスホッパーで移動しながらかき消す。もちろん、普段どおりであったなら『できるだけ食らわせてから死んでくれ〜』とも呑気に乱暴な言葉を吐いただろう。しかし、状況が状況であった。文字どおりに殉職する可能性がないことはないのだ。そんなことはとうぜん諏訪も勘弁していただきたいところではあったが、
『俺はグラスホッパーとかねーし。まあ、任せとけ! 堤となんとかする!』
その宣言とともに、空へと煙が広がっていく。おおよそ散弾銃二丁がフル稼働しているのだろう。諏訪と堤を目視できる位置にはおらず、レーダー上で堤の位置を確認する。ほんの数秒前まで、諏訪の現在地から離れた場所でと一体のトリオン兵の処理に当たっていた堤は、諏訪との合流にはもう数分はかかりそうだった。
戦闘体の状態であれば生身はかすり傷ひとつつかないという状況は守られていた。ただ、活動限界が来て生身に戻ったあと、攻撃を受けないようにすればいいだけだ。それでも、は目視できた諏訪と二体並んだモールモッドの間を目掛けて一気に加速、落下しながら、対象へ向けてライトニングを連射していた。霧雨に反射する光がまぶしい。キャップが舞って、金髪のポニーテイルがゆれる。それは諏訪が、また見たいと切望していた光景であった。

数年前までは誰かが暮らしていたはずの一軒家の瓦礫と、積み上がったモールモッドの上に諏訪とは向かい合って突っ立っていた。本部へ二体撃破の連絡を入れる堤は少し離れた場所でその姿を背にしていた。見てはいけないものだと、直感が働いた。
「普通は、弾があんなに飛んでる中には入ってこねーんだわ。背後にまわって堤の援護とか、あるだろ」
「背後は隠れるとこなかったもん」
ふたりとも活動限界に至るほどの攻撃は受けないうちに堤がモールモッドの背後に回ることができたことで、処理を完了することができた。結果は上々。ただ、諏訪はその過程が気に入らなかった。のグラスホッパーも抜いておけばよかったと諏訪は後悔したが、それを使って逃げても欲しかったので、しかたがない。
最悪の事態を考えるのはわかる。しかし、いちばん接近戦に向いていないが間に入るのは合理性に欠ける。

「……自分を犠牲にすれば、認めてもらえるんじゃないか、とか、思ったかも」
へらり、と歪な表情をつくったの発言の意味するものが、諏訪にはわからなかった。ただ、頬をたたく雨粒も蒸発させるほどに顔をとおって頭に熱がのぼった。
「……どういうつもりか知らねーけど、そんなヤツは俺の隊にはいらんな」
はっきりとした拒絶の言葉には手のひらの上で丸い明かりを灯すと、四角い板をいくつか遠くまで等間隔に配置してから活動をやめているモールモッドを蹴った。内部通話で行われたふたりの会話は地面を激しく打ちはじめた雨音がなくとも、だれにも聞こえていなかった。