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So, you
自動販売機に諏訪がスマートフォンをかざしてコーラのボタンを押そうとしていたときだった。背後に人の存在を感じて振り返ると、の上司である人事部の水沼がいた。「お疲れさまです」
「お疲れさま」
ゴン、とペットボトルが落下する音と入れ違いに、水沼が小銭を入れて缶コーヒーのボタンを押す。滅多にふたりきりになることのない水沼にこの際聞いておくべきこと、お願いすべきことがあったような気がして諏訪はその動作を横にずれたまま見守っていた。
「……諏訪くんはさんに、防衛隊員に転籍してもらいたいと思ってる?」
先に口を開いたのは水沼だった。はあだとかまあだとか、曇った相槌をした。先日の勧誘時、いいじゃんいいじゃん! と騒ぐ太刀川とその発想はなかったと顎に手を置く冬島と、黙って日本酒を口に含む東と、そしては当事者であるのにそのまま席を立って換気扇の下に移動した。
「オペレーターが見つかるまでにどうするか考えてくれよ」
その背中に諏訪は声を投げた。否定も肯定もしなかったということは、完全にその選択肢がにないというわけではないのだ。
「あまりこう言う話を他人にすべきではないと思うけどね」と、水沼は前置きをする。
「彼女は面接のとき『志望動機として無責任かもしれないけど、自分の居場所を探したい。そして同じようにだれかの居場所をつくってあげる手伝いがしたい』と言ったんだよ」
――だから、わたしからは人事部の仕事やめようかとも、現場はやめようかとも、言うつもりはないんだ。彼女の判断に任せたいと思っている。上層部はそろそろ現場に出すなと、トリガーを正隊員にひとつでも多く渡せと言い出すかも知れないが、強くは言ってこないよ。幸い、うちは利益を追求している会社でもないからね。──生ぬるいかな?
「でもそうやって、わたしの部下を評価してくれていて、わたしはすごく誇らしい気持ちだよ」
諏訪のイメージしていた上司という存在からつむがれそうにない言葉をもらして、水沼は笑った。社交辞令などではなく、ほんとうに誇らしげだった。
その日、は三門市にいなかった。その日というのは、言うまでもなく三門市を襲った第一次近界民侵攻と名称を定められている災害が発生した日である。は実家に帰っていたのだ。対岸の火事のように崩れた三門市を、はテレビの報道で見て、少し、なぜだかワクワクしている自分にひどく幻滅した。なにかしらのなにか──なんだろう──が欠落しているとしか思えなかった。自分にもこんなに悲劇的なことが起こるんだ! と、は驚いたのだ。
三門市立大学も当然ながらしばらく休講ということであったし、どこかの大学へ編入したり、このまま退学するという人の話も聞いた。とくに市外、県外から通っていた人たちは親からの三門市へ戻ることへの反対の声が強かった。そのいっぽうで、は戻った。どんな理由があってもちゃんとひとつの大学を卒業すべきだと、世間体を気にする両親はそう言い、またそんな両親に育てられたもまた、その通りだと思ったからだった。
名前や顔だけを知っている大学の人やバイト先のお客さんが亡くなったという話も聞いた。それでも、どこまでも他人事だった。実際、他人のことだった。自分以外は他人なのだから。だからは、都度悲しむふりをした。悲しみ、そして落ち込めばだれかが自分のこともなぐさめてくれるかと思ったが、みんなより不幸だった。はみんなのことを、なぐさめた。
だから、は、そんな自分がボーダーという組織で働くというのは少々皮肉がききすぎてはいないかと思った。
家は貧しいというわけではなかったが、まったく裕福ではなかった。幼いころから他の子どもとくらべて金銭的な理由で行動を制限されていたため、は自分が求めていることを両親に伝えるということをはなから諦めるようになっていた。親の望むことをちゃんと返すことこそが正しいと考えるようになるのも無理ないだろう。そのせいか、人との接し方がよくわからなかった。友人は少なくはなかったが、小中高といずれも関係が続いている人間というのは少ない。節目節目には問題を起こした。「わたしなどいらないだろう」と相手を試すようなことをして、距離を置かれてしまうのだ。当の本人は自分から離れてやったのだと思っていたがそんなことはない。「必要だよ」という言葉を求めていたことに気がつくのには、かなり時間がかかった。家庭環境を言い訳にしてもいいのは、せいぜい二十歳までだろう。そういうわけで、は自分には人より秀でているものもないと思うし、なにもかも差し置いてやってみたいことなんかもなかった。
でも、やりたい仕事もないなあ、このままバイトから社員に上がれたら楽だよなあ、就活をしなかった、ではなくてする必要がなかった、と言えるしなあ、とぼんやりしていたには、東の誘いはとてもありがたい話ではあった。東はいつも、自分に手を差し伸べてくれる。はそれをちゃんと理解していた。そしてその期待に応えたかった。それはあいかわらず人の反応ばかりを気にしているのではないかと言われることかもしれなかったけど、ひとまずはそれでいいと履歴書を書いた。それをわかって受け入れるのと、わからずに受け取るのとでは話が違うはずだ。
戦闘経験のない人間が隊員になにを言っても響かないだろうと考えたのは本心だった。亡くした経験のない人間が亡くした人間にどんな声をかけても届かないのと同じだと考えたからだ。ところが、意外にもは戦闘もそれなりにこなすことができた。居場所がふたつあるというのは、いいことだと思った。人事部と、防衛隊員。みんながみんなできるわけではないことをやれば、捨てられない、と思った。
だから、どちらかひとつではだめなのだ。
ルール上、一般職員と正隊員の掛け持ちは不可能だった。人手不足だったボーダーの状況もこの一年でがらりと変わった。が防衛任務にあたることを禁じられるのは、正直時間の問題だと思う。禁じられる、というか、不要と切り捨てられる、と言ったほうが正しいか。人手は多いほうがいいだろうが、わざわざに出てもらう必要はなくなるだろう。防衛隊員としてが有能かといわれれば、無能ではないが、特別優れているというわけではなかった。それは、訓練を重ねれば埋められるものなのかどうか、にはわからないし、わかりたくなかった。一生懸命訓練をして、やっぱりだめだったか、と自分の無能さを改めて突きつけられるのは怖かった。
が諏訪隊に所属するということは、防衛任務を今後も続けるということは、人事部を辞めることと等しかった。そして、ランク戦などで自分の至らなさを暴力的に突きつけられる。それに年齢的にも隊員でいられる時間は長くはないかもしれない。
それでも、は考えずにはいられなかった。自分をスカウトしてくれた人間への期待に応えることを。
──多分、そんな話を、したと、思う。
沢村の家で、はめちゃくちゃ飲んだ。しこたま飲んだ。太平洋の海水量くらい飲んだ。なんで家で飲むと異常に酔っ払うのだろう。やっぱり安心感があるからなのか。外だと帰巣本能がストッパーになるのか。夜勤帯の防衛任務を控えていた沢村は多少迷惑そうな顔をしたが、夕方までに寝床を貸した。のろのろと帰宅のために靴を突っ掛けるに沢村は、
「訓練になら吐くほど付き合うよ」
「今吐きそうなんだわ」
「人事部にも、迎えに行く」
がどちらの選択をしても味方だと、笑っていた。
そんな吐瀉物にまみれそうな夕暮れどきであった。繁華街から奥まったちょっと洒落た店が立ち並ぶエリアで、は諏訪と女を正面にとらえた。咄嗟には横道に入る。まだ結構距離はあったので、向かい合って喋りながら歩いていた諏訪には気がつかれていないだろう。
女は美人だった。は女のルックスについて自分が厳しい目を向ける自覚があったが、それでも美しいと思った。なんてことだ。
──大学は夏休みだろ。わざわざ連絡とって会ったのか。
まず、はそう思った。いや、そもそも夏休みでなくとも今日は土曜日だ。そしてそんなことを二日酔いの頭ではじきだした自分に吐き気がした。
あの日も手を出されなかったなと、はわりと最近の記憶を呼び戻す。いや、また頭はなでられたし、手? 手首? はつかまれた。あれは手を繋いだというのか?
とにかく、あんなことは大学時代多数あった。ああいう遊びなのだ。ただ、ちょっと大学生相手に大学生時代を巻き戻してみたくなっただけだ。じゃれあいだ。そう思っていたのに、は途端に恥ずかしくなった。
──なんだ、あいつ、わたしのこと好きじゃないのか。
どこかで期待していた自分を、埋葬したかった。このまま入った道から遠回りで家に向かってもいいのだが、生憎は体調がよいとは言えなかった。いやむしろ悪かった。そろそろ通過してくれただろうか、と路地から顔を出す。
「あっ」
そんなバカなことがあるだろうか。これ以上ないタイミングで諏訪と女の前にはあらわれてしまった。狙撃手らしく隠密行動を徹底したかった。やはり自分には狙撃手の才能がないのかもしれないとは引きつった笑顔を取り繕う。
「さん」
頼むから、そんなに笑顔でわたしの名前を呼ばないでくれ。あんたの隣の美女にちょー睨まれてんだわ。吐きそうだ。
「ちょっとこの人に用事あっから」
諏訪はに睨みをきかせた美女に解散を宣言した。
「用事なんかない」
そう言いたかったけど、は黙ってふたりのやりとりをながめることしかできなかったので、美女が背を向け歩き出してから、そっと、その言葉を発した。
「なくてもいいじゃねーか」
「なによそれ……」
美女を連れて歩くことは諏訪の本意ではなかったのだろうか。贅沢な男だ、とはため息をつかずにはいられなかった。
「あ、そういえば引き出物のたくあんがあってさー、いらん? お婆さんとか好きじゃない?」
話を深掘りしてもおもしろかったかもしれなかったが、このなんとも言えない空気感を払拭したかった。昨日沢村にお土産として持参したたくあん二袋を思い出して、諏訪にも提供の意思を伝える。
「引き出物にたくあんとかあんのか」
「そうなの。たくあんが選ばれることってないんやろなと思ったらかわいそうで選んじゃった。そしたらほかの商品との価格的な釣り合いをとるためか、アホほど量あって困ってる」
「いくつかもらってく。明日実家帰るしちょうどいい」
届けられたたくあんは十本あった。切られたたくあんが袋に入っていたわけではない。円柱が十本だ。だれがこんなに食べるというのか。ひとりはもちろん、核家族でもきついだろう。それに、包丁でいちいち切らなくてはならないのもまた億劫であった。は酔っ払った状態でカタログギフトを開いた自分を殴りたかった。
あの美女はたくあんなど、選ばんし、食べんだろうな。──自分で話の軌道をそらしておいて、自分で戻そうとしてしまう。
「ババアが邪魔しちゃって悪かったね」
悪い癖が出ている。「そんなことねーよ」待ちである。それに、ババアというほどババアではない。まだアラサーに足をかけていない。そもそも4つしか変わらない。
耳がキーンと鳴る。
『また元カノと喋ってたでしょ! より戻したいの?』『なんで連絡くれないの、女と会ってたんでしょ』『結婚するんだったら煙草やめてよ!』『なんでお金貯めないの? 結婚する気ないんでしょ』──右も左もわからないほどヒステリックになっていた自分のことを思い出す。恋人という居場所がなくなることが怖かったのだ。妻という居場所がつくれないことが嫌だったのだ。なにをそんなにおそろしく思っていたのだろうか。世界は恋愛だけでまわってはいないのに。
「そんな女じゃないと思ってた」
と、男は言った。わたしもだ。わたしがいちばんがっかりだった。
「あの女が部屋でぐーたらすると思うか?」
の思考を中断させる声が、鼓膜に届く。
「ひとりのときはするかもね」
「人ん家では?」
「……さあ、しないんじゃない?」
「二日酔いになるほど飲むと思うか?」
「うーん、酔ったふりはすんじゃない?」
「……そーゆーこと」
どーゆーこと? と、は聞かなかった。
はじまれば、背後から終わりの足音がついてくる。またそれを聞くくらいなら、はなんの縛りもない今を踏みしめたかった。彼氏がほしい、結婚したい、子どもがほしい。そんなことを願いながらも自分が同じ過ちをくり返さない自信がどうしても、なかった。またこのまま懲りずにだれかと付き合ったり別れたりするなんて、そんな愚かなことはない。少なくとも、は横を歩く男をこれまでと同じ流れで消費してしまうことはしたくはない、と自分が考えていることに気がついた。
胃のあたりが締め付けられるのは二日酔いのせいだ。今日のところは、そーゆーことで終わらせてよ。