教員長屋の前で着物が燃やされていた、と八左ヱ門が控えめな声で言った。それはが見合いの前に、八左ヱ門に見せた着物に違いないらしかった。
なんだ、私にもめかしこんだ姿を見せに来るべきだったろう。
などとはさすがに三郎も口に出さずに、代わりに、三郎は隣で味噌汁の入った椀に口を寄せている雷蔵に目配せをしたが、雷蔵は三郎に視線をくれなかった。代わりに三郎は伸びをして食堂を見渡す。の姿はない。
「山本シナ先生に借りたと言っていたんだから、それなりに高級な反物だったはずだ」
八左ヱ門が言うと兵助が豆腐に箸を入れながら
「場面に応じて使い分けているだろうから高級でないものもお持ちだろうけど、お見合いなのであればそれなりなものを着せただろうね」
重箱の隅をつついている感じは否めないが補足をし
「それをわざわざ燃やすなんてなあ」
と勘右衛門が口に茶を含む。
どう思う、と八左ヱ門は首を傾げた。
どう思うも何も。
使えなくなって処分したのか、そもそも処分する予定だったのか。本人に真相を聞けば済む話なのだが、つまりは五人ともこの数日、にどこかよそよそしさがあることに気がついているということだった。
隠法に遁法。はいやにそういうのは上手い。昔は無意識だったから厄介だったものの、意識的にやるようになって数年、完成形に近づいているといえた。それこそ三郎も意識的にを探さなくてはならなくなっている。
付き合いの長い三郎たち五年相手であれば尚更、行動の予測もつき策に嵌めやすかろう。現にこうしてはたいてい忍たまと食卓を囲むはずなのに、この数日いない。極めつけは着物の焼却処分というわけだ。
「悪い、判断材料が足りないよな」
そう言って八左ヱ門が白米を口に放り込んでから、忙しなく事の発端を話はじめる。その場にいたという勘右衛門は対照的に押し黙って黙々と漬物を咀嚼していた。
八左ヱ門が話し終えると三郎は一つ頷き
「利吉さんがを売ったのかもな」
今日のBランチはカラアゲだろうな、とでも言うテンションであっけらかんと三郎は言った。
「そりゃが言っていたように、利吉さんが自分の株をあげたかったんだろうけど。それが着物を燃やすこととどう繋がるっていうんだよ」
三郎と、そして雷蔵には実のところ思い当たる節があった。数日前の晩に、は忍たま長屋を訪れている。目的地はおそらく三郎と雷蔵の部屋だった。その日は見合いの日の夜だ。
しかしその晩は三郎も雷蔵も留守だった。ただ、部屋へ戻った時に明らかに普段と異なる香りがあり、不在時の来客に気がついたのだ。いくつか学園では馴染みのない香りもあったが、知った香りもあったというわけだ。
部屋の残り香だけでは見合いが成功したのか失敗したのかはかりかねたが(もちろん、あの種類の香りに覚えがないわけではなかったが)、後者であるならば。
燃やされた着物、残り香、見合いの日取り――点在していたキーワードが線で繋がっていくのは気分がよい。しかし同時に吐き気も覚えた。三郎はかつて雷蔵がみなまで話さなかったこと――山賊がに何をしたか――に考えを巡らす。その経験を教師が知らないと考えるほうが難しい。
うんともすんとも発していなかった雷蔵がゆっくり口を開いて、かつてがどんな目に遭ったのかということ、そして自室で嗅いだ香りについてを掻い摘んで話をした。
「薬を飲まされても本来、なら素人相手に屈することなんてないけれど、そういう事情があるから。山本シナ先生に着物を返却する時、それを隠し通すのは難しいよね。それで、燃やしたのではないかな。そんな着物、誰も使いたくはないだろうから」
雷蔵はそう言うと、ごちそうさまでした、と両手を小さく合わせた。この話題を終わらせたいのだろう。
「でも、利吉さんだぞ? 利吉さんがそんなことするか? 父親の職場の生徒相手に」
雷蔵の気持ちをよそに八左ヱ門は一定の理解を示し、その上で疑問を呈する。
「そういう仕事で金をもらっているのだったら、しないということもないだろう」
勘右衛門が言うと、八左ヱ門はわけがわからない、とでも言うように四人の顔を慌ただしく見やった。
「そうだとして、だったらどうすればいいんだよ」
八左ヱ門は勘右衛門に言う。
「どうもしないさ」
代わりに三郎が答えた。
どうもしないというのは何もしないということではなかった。このまま、三郎はいつも通りに学び、そして仕事をこなすだけだということだ。
「その宿屋がある城下町を三郎は嗅ぎ回っているだろう。あそこと敵対している城は利吉さんの贔屓だ」
当然三郎も知っているよな、と勘右衛門が視線で刺す。
「利吉さんは三郎のことを張っていたと思う。お前の行動は見られていたと考えたほうがいい」
毎晩のように任務終わりにのところへ行く姿だって。
「そろそろ片付けさせてちょうだいねえ!」
奥から食堂のおばちゃんの声が響く。周囲の六年生や四年生はすでに席を立っていた。五年は慌ただしく皿に残っているものを口に運ぶ。
つまり、これは利吉の商売の問題なのだ。
利吉が贔屓にしている城の不利益に繋がるであろう城――つまりが訪れた宿屋はそこの下町にある――と、三郎は深く関わりがあった。
暗に利吉は、三郎がその界隈を見ていることを知っていると示し、かつ、にちょっかいをかければ三郎の意識がにいき、一時的に手薄になる。そう考えた結果なのではないのかと、勘右衛門は考えているということだ。
それだけ三郎のことを勘右衛門が利吉が、高く評価をしているのは三郎にとっては有難い話ではあった。しかし、そうであれば尚更、利吉への報復という観点からしていえばこのまま三郎が忍務を遂行することこそであろう。を気にかけることなく。に手を出した宿屋を気にすることなく。セミプロとして完璧に任務を完遂し、利吉の目論見を無効とするべきだ。
――報復。
それを三郎がのためにする必要などあろうか。
言わんこっちゃない、という半助の声が聞こえたような気がして、三郎は虫を払うように頭を振った。
霧雨がさあさあと肌を撫ぜている。
学園から数里離れた峠道。三郎は単身で任務から戻る途中の利吉を待ち伏せていた。しかし、利吉を待ち伏せるなどという芸当が忍術学園の生徒にできるわけもない。利吉は三郎の前に現れてやったのだ。 そんなことは三郎もわかっていた。
「おやおや。こんなところで何を」
利吉はいつも通りの涼しげな笑みを浮かべている。胡散臭いが、それでもやはり目を奪われる。
「……あれは、私を牽制するための駒ですか」
三郎の声は地を這うように利吉へと届いた。 それを利吉は避けることなく、表情を一つも変えずに受け止めた。
「彼女には相応の対価が支払われたはずだ。忍術学園にいるだけでは学べない経験が」
やはり、わかっていて――!
三郎の鏢刀が空を裂いた。 手裏剣で応戦されて金属音が響き、火花が散る。
利吉は言い訳をしなかった。利吉の兄である半助から、三郎の学外忍務の件について相談を受けていた。ちょっとだけ、飛んでいる蝶々に気を取られるくらい、三郎が他所に目を向けてくれればいいなと利吉は考えていた。三郎にも灸を据える必要があるだろうな、と。
当然ながら利吉は万が一のことがあってもには切り抜けられるだけのスペックがあると踏んでいた。実際、切り抜けた。しかし、の過去が足枷になることは把握していなかったのだ。すでに利吉は、父である山田伝蔵に叱責されていた。
激しい体術の応酬の中、三郎の面が裂けた。 実力は拮抗しているように見え、実際は利吉のほうが上だ。利吉の肩口に切り傷をつけた代償として、三郎は腹部に痛烈な蹴りを受けた。
「君が弱みを見せるから、やすやすと大事なものが盤面に引きずり出されてしまうんだよ。八つ当たりもいいけれど、これを機に身の振り方を考えることだ」
三郎は膝をついたまま、すっかり失われた利吉の気配を執拗に追った。雨は全てを洗い流すことはできない。