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ちゃん、お見合いしないか?」

 生物委員会の仕事の一環で、しゃがみ込んで池の鯉に餌をやっていたところに、背後から山田利吉に持ち掛けられた提案はの考えを随分と跳躍していったので、振り返るより先に「はあ?」と凄みの効いた声を出してしまった。年上の売れっ子フリー忍者に向かってなんてことを、と、利吉の姿を確認して自らの粗相に気が付いたは、すみません、と鯉の餌袋を持っていないほうの手で口を隠した。利吉はあまり気に留めていない様子で、「どうかな」との返答を催促する。利吉が忍術学園に足を運ぶ機会はそんなに多くはないので、きっと「はい」もしくは「いいえ」のどちらかの選択をするのが正しいのだろう。
 なんにせよは、何故このフリー忍者にこんなことを言われているのか不思議で堪らなかった。まわりが結婚や挫折をしてここを去っていく姿を何度となく見送っても、は一度もそれに続きたいと願ったことはなかったのだ。そんな自分がどうして、そこまで親しくもない人に「お見合いしないか?」と開口一番言われなくてはならないのか。
 
「します、します!」

 ここで言う「はい」のほうの選択肢を声高らかに叫んだのは当人のではなく、同じく生物委員会の竹谷八左ヱ門である。虫籠をガタガタいわせながら茂みからこちらへ駆け寄ってくる八左ヱ門の目は学園に熊が迷い込んできた時のようにきらきらと輝いていた。

「ハチ、勝手なこと言わないの」
「えー、だって、絶対面白いぜ?」
「それは私にとって面白いのではなくて、あんた達が話の種としてそうである、ってことでしょう」

 “あんた達”というのは、生物委員会の面々と、五年生の忍たまたちのことを指している。「それも一理あるな!」と下品な笑い方をする八左ヱ門を横目に、は利吉に向き直って、どうしてお見合いの話になんてなったのか、理由を述べるように言った。

「仕事で親しくなった城の主が、私の息子に相応しい女性はいないのかと煩くてね。その息子が、きっとちゃんみたいな顔が好みだと思ったから形式的だけにでも紹介しておこうかと思って」
「利吉さんの株上げに協力しろ、ということですか…」
 わざとらしく呆れた顔を作ると、利吉は困ったように笑った。

「ははは、まあそんなとこだ。勿論タダでとは言わない、茶菓子くらい奢ってあげるよ」
 まったく、とは毒づいて手元の鯉の餌袋を振った。カラカラと残りが少なそうな音がしたので、はて、まだ在庫があったかしら。と記憶を辿る。そういえば用具委員に虫取り網の修繕を頼んだら、もう寿命だと言われた。うーん、そろそろ町へ買い出しに行かなくては。

「日取りは決まってるんですか」
「そうだね、明後日が都合いいかな」
「わかりました。じゃあ、鯉の餌と虫取り網の新調の序に、お見合い、しましょう」
 ヒューヒュー!と八左ヱ門が囃したてるので、餌袋を顔面に投げつけてやった。利吉は懐から待ち合わせ場所と時間の書かれた紙を出してに手渡した。準備してあったということは、が話に乗ってくれることを疑わなかったという証拠だった。フリー忍者がひらひらと手を振りながら学園を後にする背中を八左ヱ門とは最後まで見送った。



 予習はしていなかったし、まず、まだ習っていない範囲だった。そう、”色”の授業はあと数日後にある予定だった。は、それが少し早まっただけだったのだ、と速すぎる心拍数と拭いきれない不快感を抱えて学園へと戻る道をずんずん進んだ。
 当然ながらが色仕掛けしたわけではない。単純に、見合い相手に手を出されたのだった。こりゃまずい、と思った瞬間にはすでに押し倒されており、利吉の言った通りに、は彼の好みだったらしい。いや、誰でも良かったのかもしれないが、この際、そんなことはどうだってよかった。口を吸われ、胸を弄られながら、ここで強引に逃げたら利吉さんの顔に泥を塗ることになるのかしら、と割と冷静に考えている自分にひどく幻滅した。見合い相手だった城の跡取り息子の満足そうな寝顔を確認してから、乱れた着物を直して城を出た。

 はお見合いに着ていけるような着物を持っていなかったのだが、事情を説明して山本シナに拝借していた。着物は幾分独特な生臭いにおいをしていたし、それはの吐き気を誘うには十分だった。どうせ山本シナには誤魔化しは効かない。正直に全てを話すのだ。人を殺めた記憶はすぽんと抜けるくせに、人に執拗に触られた感覚は隅々まで覚えているのね。羞恥、心細さ、不信感、いろんなものが込み上げてきて、我慢できずに脇道の茂みに嘔吐した。