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 思い出したように突然「記憶が無い」と、は半ば投げやりに呟いた。三郎が教員長屋へ、が図書室へと向かっていた廊下での話で、青々と生い茂った葉に太陽が照り付けていて反射光がまぶしい。
 半月程前の初めての実践、同期全員戦場に出たこと、罠を仕掛けている最中に敵と出会してしまったこと、焙烙火矢を敵の目くらましと狼煙の代わり投げた後に三郎がやって来たこと———・・・覚えているけど、敵を殺した瞬間の記憶がすっかり残っていないのだ、とは言う。その後数回行われた実践で殺めたであろう回数分、その部分の記憶が抜けているらしい。

「最初は、必死だったもんで覚えてないのかな、なんて割と深く考えていなかったのだけど、やっぱり変な話なのよ。掌にその感覚は残っていたし、装束には血痕が飛び散っていたのだから、やっぱり私が殺したんでしょう?本当に、気味が悪い」

 話をする間中、はずっと三郎の目、顔さえ見らずに、じっと抱えている何十冊も積み重なった書籍を見つめながらただ前に進んでいた。

「私に殺される人は、誰にも最期を見届けてもらえないなんて、そんな悲しいこと無いわ。それがせめてもの罪滅ぼしなのだとばかり思っていたから」
 そう言い終わると三郎の相槌も返答も提案も感想も聞かず、は大量の書籍を抱えていつの間にか辿り着いていた図書室に入ってしまった。

そもそもの話、はなぜ忍術学園に籍を置いているのかというのは、なかなか言いたがらなかったが三年の頃に聞いたことがある。雷蔵の父親が戦争孤児となったのことをとてもよく気にかけてくれ、一人で生き抜けるだけの力が欲しいとつぶやいたに、息子をあてがい、忍術学園への入学を取り付けてくれたと言っていた。雷蔵は生贄になったのだなと私が笑えば、そう言われると思ったから言いたくなかったのよと、は口を尖らせた。

 三郎は図書室の扉をじとりと睨みつけて、低く唸るとそのまま目的地へと向かうことにした。今の三郎にの為に出来ることというのは、さっぱり思いつかなかったからだ。



 カコン、と鹿威が音を立てる。農業などに被害を与える鳥獣を威嚇し、追い払うために設けられる装置なので、間違いなくそれが三郎のことを威嚇しているわけではないのだが、直属の教師ではない土井半助の部屋へ呼び出された三郎にとってその音はあまり心地の良いものには聴こえなかったようだった。

「ご用件はなんでしょう」
 口を開いた三郎の声にはあからさまに棘があった。机に向かっていて入室してきた三郎に背を向けていた半助は、そっと筆を置いて、来客にゆっくりと向き直って静かに微笑んだ。部屋に他の人の姿はなく、同室の山田伝蔵は留守のようだった。
「まあ、そこに座りなさい」
 引き戸を開けた手も戻さず、そのまま突っ立っている三郎に半助は右手の手のひらを座布団に向け、三郎を促した。三郎は何も言わずに大人しくその通りにした。

「鉢屋、単刀直入に言うけれど、君のやっていることはとても危険だ、今すぐ手を引くことを薦める」
  なあんだ、その話ですか。と言いたげに三郎は天を仰いだ。数秒後半助の視線をしっかりと受け止める。

「私がヘマをするとでもお思いなんですか」
「私が君の能力を評価しているにしろ、していないにしろ、君はまだ忍術学園の生徒だ。実習以外の活動は認められない」
「自主練みたいなものです。知識ばかりあっても実践にうつさないならそれは全く価値が無い。兵助なんか特に、実に勿体ないことをしている」

 三郎は同学年の博学な男子の名前を出すと大げさにため息を吐いてみせた。もともと半助もそう簡単に聞き入れて貰えるとは思っていなかったようで、もういいよ、と三郎に退出を許可した。それじゃあ、と気だるそうに正座を解いて立ち上がった三郎の背中に「何かがあれば、君だけでは拭えないんだからな」言い放った。三郎は半助に背を向けたまま右手を挨拶代わりに挙げた。ピシャリ、と閉められた戸に、半助は三郎に負けないくらい盛大に、息を吐いた。