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当て馬はどっちだ
運搬トラックが搬入用トンネルの出口まで残り五分のラインを通過したアナウンスが鳴ったので、席を立つ。警備員さんに任せることもあるがだいたい手の空いてる一般職員がヘルプに行って、物資の搬入を手伝うことになっている。暗黙の了解だった。運ばれて来たブツは地下から各所直通の物資用のエレベーターに乗せて上げる。目的地についたエレベーターは中に物が入っていることを示すランプを灯してそのまま停止するので、無線か本部内アナウンスで、だれか出しといてと流すこともあるけど、だいたいは搬入を手伝った人間がまた上に戻って定位置まで運ぶか、ランプに気がついた隊員の善意に頼っている。なかなか外部の人間を本部内に入れるのはたいへんなのだ。
すでに開いていたリヤドアの前にいた警備員のおじさんに労いのことばをかけてから同じように中をのぞけば、今日の搬入物資は自動販売機用の飲料とだいたい食堂用の食材のようだった。
「こんにちは」
もうひとつ男性の声が聞こえて、右端に寄れば、
「あっ、先週はどうも、ごちそうさまでした」
「いえいえ、遅くまで付き合わせてしまって、すんませんでした」
つい最近、別の場所で居合わせた男がそこにいた。
響子が「防衛隊員をやめようと思う」と言い出したのは最近の話ではなかった。やめたくてやめるわけではないのだということはその表情から理解できた。紆余曲折あったようだが、最終的には上層部からの推薦もあり本部長補佐へと転属することが決まった。そのお祝いと称してわたしは予約の取れないおでん屋の席を確保した。響子がごにょごにょと煮え切らないことを言い出したときから、予約を入れていた。転属時期と合わなくたって、そのうち機会があれば訪れてみたかった場所だから、飲みに行く理由はなんでもよかった。それでもばっちりタイミングが噛み合ったのだから、これは全世界が響子の本部長補佐という新しいお役目を歓迎しているにちがいない。
お出汁と日本酒が五臓六腑に染み渡るのを感じながら、お手洗いから戻ってきた響子の少し火照った顔をカウンターからながめていれば、
「どっかで見たことない?」
少し離れたテーブル席をあごでさす。ラフな格好の男性ふたりのうち、片方にたしかに見覚えがあったのでひとつうなずいた。
「うーん。ふたりに覚えがあるということはボーダー関係者?」
「新入社員……いや、ちがうな……」
お猪口と壁にかかっている木札のメニューとその顔を順番にちらちらと見ているが、どうしても思い出せない。そうしているうちに、捜査対象の男と目が合う。彼は椅子を引いて立ち上がり、こちらへ向かってくる。やばい、見すぎた。
「こんばんは」
「……こんばんは?」
やはり彼もこちらに馴染みがあるようだった。となりに座る響子にちらと視線をうつすが、こちらもゆっくり首をかしげている。がんばれ社会人数年目の女ふたり、人の名前と顔を一致させろ。
「覚えてないっすよね、すんません。日通のモンです」
そのことばに、響子の表情が弾ける。そしてわたしもぼんやりといくつかの景色が照らし合わされ、手を叩いた。
「……ああ! いつも配達ありがとうございます!」
そう、たまに地下で会うトラックの運転手だった。作業着を着てくれていたならすぐにわかったかもしれない。人っていうのは服装とか、トータルの雰囲気で人を識別しているのだ、と以前戦闘体の設定をいじりまくっていた自分のことを重ねた。わたしも響子も仕事終わりのスーツ姿だったから、こっちのことはバレバレだったのだろう。
「よくここは来られるんですか?」
「いやいや、なかなか予約とれないですからね、はじめてです」
「じつはここ、うちの祖父母がやってるんすよ」
「えーっ、マジですか! ご挨拶、ご挨拶!」
シェフ〜! と、両手を口元に添えて控えめに叫ぶ。もちろん、どこぞの高級レストランのような真似を本気でするつもりはなかった。
「おれに連絡してもらえたら、いつでもお通ししますよ」
「そんなこと言って、だめですよ。響子ちゃんには心に決めた人がいるんでね」
ぐい、と響子の肩を引き寄せる。響子はふつうに美人だし、スタイルも悪くないし、ふたりで飲んでいるとよく声をかけられる。連絡先の交換をあの手この手で完遂しようとされるこの流れなんて、見飽きている。そのたび男たちを遇らうのもたのしいし、ふたり分のお会計をしてもらうこともある。その日の気分次第だった。
「いや、俺はどちらかと言えばあなたがタイプなんですけど」
「は?」
「いつも、明るくご挨拶してくださって、ありがたいと思っていました」
それで、その日はカウンターからテーブル席にうつって、四人で閉店まで食べて飲んで楽しんだのだった。わたしたちがボーダーについて話せることは多くないけれど、アルコールさえあれば、ほとんど初対面の人とだってそれなりに語らえるものなのだ。
「響子もわたしも飲兵衛なんで問題ないですよ」
「たしかに、めちゃくちゃ強かったっす」
「酔い潰そうなんて、三億年はやいですよ?」
「そんなつもりなかったですよ」
乾いた笑い声が地下に反響する。
じゃあ、荷物降ろしますね。と彼はトラックのステップをのぼって、物資を警備員さんに手渡す。荷台に乗せられるそれをわたしは押してエレベーターに積んでいく流れを何往復か繰り返す。そろそろ降ろし切ろうかというところで警備室の内線が鳴り出して、片手をあげておじさんが駆け出した。
「連絡、くれないんですか?」
最後の段ボールを引き取り、荷台のハンドルに手をかければまたプライベートな発言がふってくる。
「いや、どうせまた会えるかと思ったので」
帰り際に、わたしは彼に名刺を手渡された。トラックの運転手も名刺を持っているのだな、なんてことを考えながら、これでおでん行き放題だね! と、この紋所が目に入らぬか、と言わんばかりに響子の目の前に突き出した。
「でも彼は、アンタとふたりで出かけたそうだったけど?」
「はあ? 社交辞令でしょ」
どうだか、と響子がうんと背伸びをする。名刺をもう少し持ち上げて、街灯にかざしてみる。まあ、透かしてもなんにも見えやしなかった。
「連絡、くれないんですか?」
同じ問いかけをリピートする男を見上げる。
「……名刺は捨ててないですよ」
「じゃあ、期待しときますね?」
今回は、響子のカンが正しく働いていたのかもしれない。曖昧に笑って、「お疲れさまでした」と頭を下げ荷台に体重をかけた。エンジン音が響いて、遠ざかって行くタイヤの音に振り返る。うーん。どうしたものか。まだ通話中のおじさんと目が合っておたがいに手を振りあった。
「なにを期待されてんだよ?」
「ギャッ」
背後からの声に、思わず首をしめられた猫のような奇声をあげてしまう。
わたしとおじさん以外の人間、という星の数ほど選択肢のある声の主のはずなのに振り向く必要もなく、それがだれだかわかってしまうのも、なんだか癪な話であった。
「なんで洸太郎がここにいるのよ」
地下通路口の前に設置されている背後の自動販売機を親指で指し示し、
「いや、上の自販機、コーラ売り切れてたからよ」
「そうですか。今いただきましたから上にあげますよ!」
手伝ってよね、とまだエレベーターの前に積み上がっている物資を指差している間に、洸太郎はわたしが押しかけていた荷台のハンドルを握っていた。
「こないだおでん奢ってもらったの」
あそこだよ、予約とれないとこ。そこのオーナーの孫だから連絡くれたらいつでも食べに来ていいよって。──って、聞かれてもないのに、わたしはなにを言い訳がましく話してるんだろうか。
食堂用をまとめて詰め込んで、数字のボタンをプッシュ。となりのエレベーターに残りの飲料を地面を引きずりながら押し込んだ。何階の自販機に何がどれだけ足りていないかは、端末で調べればわかることだけど面倒だ。まんべんなく取り揃えていればいいというわけで、まだ送っていない一階のボタンを押した。つねにだれかいる階だから、応援に行く必要もないだろう。
「はい、撤収!」
人用のエレベーターに乗り込む。さっさと別れたかった。余計なことを喋らなくてはならない気配がじわじわとわたしを追い詰めていくようだったからだ。なにがあったのか、聞きたいなら聞けばいいのに、無言の圧力はやめていただきたい。わたしもなにに急かされて必要のないことを喋っているのか。「ほかの男に言い寄られてるっぽいけど、いいですか?」とにやにやしながら聞いてみたいのも本音、「べつに、あんな男となにもないですから!」とフラグをへし折りたいのもまた本音だった。
隊室のフロアと人事部のフロアをそれぞれ選択して、ドアがゆっくりと閉じる。
「俺の名刺はもらわなかったのに、知らんやつのはもらうんだな」
エレベーターを降りるまで、という時間制限付きでゴングが鳴り響いたようだった。なによ、やっぱり全部聞いてたんじゃない。俺の名刺──そもそも、あれは洸太郎の名刺じゃないじゃん。わたしの元カレであるタクシー運転手の名刺でしょうが。そんなに根に持たなくたって。
となりの洸太郎に恐る恐る視線を向ければ、くわえたままの煙草がぴこぴことゆれていた。
「……連絡していいと思う?」
わたしもわたしでめんどくさい女である。自覚はある。ここでわたしが求める返答は「ダメです。連絡しないでください」の一択だ。でもそれ、一同僚、一友人のわたしに洸太郎が言えるわけがないんだよね。そして、それをわたしが求めちゃってるのも、ほとほと呆れる話である。
「俺がすんな、つったらしねーのかよ?」
その理想の次くらい、というか、今のわれわれの関係性からすればほとんどパーフェクトな返しが来てしまった。攻撃をしかけておいて、わたしは打ち返す準備がまったくできていなかった。
ポーン、と電子音が鳴り、洸太郎が降りるフロアでドアが開く。タイムオーバー、試合終了です。このままイエスもノーも言わないから余韻だけ残して出て行っておくれ。──だまって一歩二歩と踏み出す洸太郎に、その願いが通じたかと思ったのもつかの間、前腕が鈍い音をたてて閉まりかけた扉を押し返した。
「しねーの?」
振り返らず、廊下に向かって洸太郎がわたしに問いかける。──そんなぬるい言い方ではないか。詰問に近い。表情はうかがい知れないけど、にこにこ笑っていないことだけは確かだ。
「…………おでんは、食べたいじゃん……」
イエスともノーとも答えてはいないが、洸太郎が求める答えからはほど遠いものであったにちがいない。ドアを押さえつけていた腕が離れて、ゆらゆらと別れの挨拶として手がふられる。
「あっそ。じゃー聞くな」
「いっしょ食べ行こうよ」
「やだね」
すぐに右折してしまって洸太郎の背中が見切れる。ドアが狭めていくフロアの景色を、じっとにらみつけて、わたしはそれを追いかけない。