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PMS

 だって(洸太郎は)(さんは)(わたしを)(俺を)仕事仲間としてそばに置きたがった(でしょ)(だろ)。──それがふたりの共通の言い分だった。

 件の衝突によりふたりの関係は発展して当然と考えていた周囲の人間たちは変わらないそれに最初こそ戸惑ったが、結局外野が口出しをすることではないと、各々言いたいことを飲み込んだ。恋愛の話しかすることがないような中高生でもなかった。そういう男女の仲もあるだろう。信頼し合っているなら、何よりである。関係にラベルをかならずしもつけなくてはならないということはない。とはいえ、彼らは「信頼できる仕事仲間」というテプラでさくっとつくったようなそれを貼って、さらにはセロテープを重ねて剥がれないようにしているようにもみえないことはない。
 それでも同志として、よき理解者としてそばにいることを選んだのは彼らである。──そうしましょうね、と確認をとったことはないだろうが。それが問題であることを彼らはわかってはいるのだろうが、こうしている間にシフトチェンジのタイミングを完全に逃したのだという決定的なそれだけが、空間に浮いていた。





 近隣の市で行われる花火大会のちらしを諏訪に渡したのは笹森だった。三門市ではわざわざ人を極端に集めるようなイベントは行われない。そういったものへ行くには、少し遠出しなくてはならないのだ。あの仲のよい、彼女じゃないけどそれっぽいちゃんと行ってみてはどうですか、という意図が、笹森にはあった。彼はまだふたりの間柄や周囲の暗黙の了解を理解できていなかった。
 夜の諏訪隊作戦室。麻雀卓に置きっ放しになっていたちらしから話が広がり、「行ける人~?」と、挙手制がとられた。前述のとおり、デートにふさわしいイベントだったとしても、彼らはもうあえて行けないふりをしてふたりきりにさせようとするようなことはしない。

 結果集まったのは、、東、沢村の同級生組と、諏訪、風間、寺島、木崎の同級生組であった。
 人でごった返す駅前、木崎と東はいい目印になっていて、それをみてはびっくりした。その目立ち方ではなく、ちゃっかり浴衣を着ていたことに、だ。近づいてみれば、みな浴衣であった。風間は甚平か。すでに屋台で買った焼き鳥を片手にしている寺島が着て来るとは意外だったけど、木崎が全員分そろえたのかもしれない。パパ、いや、ママか。
 花火大会は金曜日の夜だった。だから、は半休をとって浴衣の着付けをして、のんびり出かけようと計画をたてていた。も、浴衣を着る気満々だった。しかし、そういう時に限ってイレギュラーが発生したりするのだ。水沼がごめんね、と眉を下げた。はお任せください、と頭を下げた。泣く泣く有給申請も取り下げ、グループメッセージに「遅刻フラグ」と打ち込んだ。結局着付けする時間はとれない程度の時間に業務が片付いたので、化粧も直さず、制服のまま満員電車に飛び乗った。

 ご苦労さん、と浴衣姿の東に肩を叩かれる。そういえば大学時代もこの浴衣姿をみたことがあるし、なんならそのときに来た花火大会も、これだった気がするなとは数年前をさかのぼろうとする。
 おおげさに顔を手で覆ってなぐさめを求めれば、
「観覧席、買っといたんだ」
「東さん……神様!?」
 千円の観覧席のチケットが手渡された。数年前は必死に見られる場所を探したという記憶が突如蘇る。もう、人混みのなか花火が見られる場所を探すのは勘弁していただきたいお年頃なのである。の分はおごってやるよ、とさらに神々しいセリフが続いてあやうく抱きつきそうだったが、手を合わせて神に感謝を示すにとどめた。

 浴衣を着る機会はこんなときくらいしかない。母が和裁教室でつくった浴衣を去年の冬、送ってくれた。着てあげて着用写真を撮って送ってやるのが親孝行というものだろう。それなのに、と逆井は自分の全身を下を向き確認する。制服のパンツにオフホワイトのブラウス、懲りずに足長効果を狙って履き続ける八センチヒール。いかにもお仕事帰りのOLね。
「おいし〜いビールが飲めるわよ」
 アホほど働いたあとの飲酒は格別でしょう、とを労う沢村はホワイトベースにブルーの紫陽花柄、淡いピンク色の帯。浴衣を着た沢村は可憐でかわいらしかった。ピンクの帯を選ぶのは意外だったが、よく似合っている。沢村はこの姿を忍田に見てほしいことだろう。写真撮って、送っといてやろう。言ったら赤い顔して怒るだろうから、もちろんこっそりだ。歩き出した一向のうしろについて、はスマートフォンを沢村に向けて連写した。最中、金髪頭が見切れてフレームインしてくるので、端末をおろす。顔が近い。制服姿のを横目に諏訪が同情の色を醸す。かさかさと諏訪の手元でビニール袋がすれている。何を買ったのだろう。屋台ってビニール袋くれるのか。
「洸太郎も浴衣じゃんか」
「沢村さんとさんが着るって言ってたし、せっかくだからな」
「……浴衣、見たかった?」
「そりゃ、見たかった」
 に、と歯を見せて笑う浴衣姿の諏訪に軽口を返せない。楽しみにしていたイベントの出鼻をくじかれたことは、そうとうなダメージであった。──べつに、見たかないくせに。自分の口の中だけで返事をした。

 席へ向かう前に屋台をまわった。ビール、焼きそば、たこ焼き、は、席で食べる。とりあえずビールと焼き鳥だ。下駄で歩くのも鼻緒がすれて痛いものだが、ヒールで人混みをかき分けるのもなかなかつらいものだった。沢村は日頃鍛えているからだろうか、下駄を苦にもせず歩いている。いや、足の親指と人差し指のあいだを鍛えるすべはないか。強い女だ。はぐれないようにと、東が浴衣の端をにぎらせている。そういうところがいかにも東らしい。諏訪は引率の先生のごとく先頭を歩いている。もう。とにかく、観覧席までたどりついてしまえばこっちのもんだ。
「寺島くん、おんぶして」
「いやです」
 斜め前を歩いている寺島に懇願してみれば即答で拒否される。
「じゃあ木崎くん」
「構いませんけど、目立ちますよ」
「……風間くんは、無理か」
「できないことはないと思うが」
 りんご飴をかじりながら風間はの体格を確認するように全体をみた。なによ、太っちゃいない、むしろわたしは痩せ型よ。もちろん本気の願いではなかったのでシッシ、とその目線を手で散らす。あとでヨーヨー釣りして取れたやつ持たせてやる。絶対小学生にみえるぞ。
 容赦無く肩に当たる他人の体がやけに腹立たしい。ためらわずビールを飲んでいるものの、この調子ではトイレは尋常ではない混雑であろう。長蛇の列に並ぶのも堪え難い。
 こちらへ手を繋いだまま直進してくる浴衣姿のカップルをぎりぎりまでにらみつけて歩き続ける。スーツにヒールでビール片手の疲弊しきっている女があいだを抜けようとしているというのにぜんぜん手を離す気配がしなかったので、避けてやる。なんなんだよ。クソが。おまえのそのかんざし、引き抜いてやるぞ。おまえのそのヒゲ、一本ずつピンセットで引き抜いてやるぞ。
 ああ、せめて化粧くらい直して、私服で、髪の毛もちゃんとして、来たかったな。
 いまさら考えてもしかたがないことがぐるぐるとまわる。浴衣を着るチャンスなどまだあるに決まっている。まだ夏ははじまったばかりだ。今年着ることも叶うだろう。それに、浴衣なんか着なくたって楽しい。なのにどうしてこんなに頭のなかが、心が、さわがしいんだろう。

さん」
 極力下を向いて歩いていたは、諏訪が自分のとなりにまで下がって来ていたことにまったく気が付いていなかった。首をかたむけて声のしたほうへ顔を向ければ、ギョッとしたような諏訪の顔があった。なんだ、その顔は。とはこれまた腹立たしく思ったが、すぐに自分の視界がゆがんでいることに気が付いた。なぜだか涙をためていたその目に、諏訪は驚愕していたのだ。自身もそんな自分を把握して、混乱した。
 今日、わたしをみて、そんな顔を、洸太郎にしてほしかったわけじゃなかったし、そんな顔を洸太郎にみせたかったわけじゃなかった。どうしてこうも、うまくいかないのだろうか。
「すぐ追いつく」
 諏訪は風間に言って、を屋台の並んでいない人通りの少ない路地へ引っ張りこんだ。瓶ビールが入っていたのであろうコンテナケースがいくつか放置されている。
「ほら」
 諏訪は合流したときから持っていたビニール袋に手をつっこんで、ビーチサンダルを取り出した。いつぞやの夜に、無理して履いた、には大きすぎたそれだった。
「……なんで」
 差し出されたサンダルから視線をあげて、諏訪をみる。
「や、遅れるかもって連絡来たときに、もしかしたらスーツのまま来るかと思ってよ」
 この男はやさしくて、気が利いて、みんなに慕われている。そんな男のこんな行動は、だれにでも行われるものだ。そうだと言い聞かせても、さすがにただの仕事仲間のためだけにするのだろうか。と、少しの優越感が顔をのぞかせる。やっぱり自分のことを──と、思わないことはない。この男にとって自分はどういう意味かは別としても特別であることはいやでもわかるのだ。
「……せっかくなら、わたしサイズの用意しておいてよね」
「浴衣への願掛けとして買わなかったんだっつーの」

 そんな顔をしないでほしい。
 浴衣を着たかったのは、この男にかわいいとかきれいとかなんとか、そんなことを言ってほしかったからだ。思ってほしかったからだ。今そうしているように、照れたようにあいまいに笑ってみせてほしかったからだ。そんなことを想像していたのに、いざその表情を目の前にしてしまうと、どうしていいのかわからなくなる。
 そんなことを仕事仲間としか思っていない相手に願ったりしない。わかっている。それでもこのぬるくて、時に沸騰するような関係を、手放すことになる可能性を自ら掴みにはいきたくないのだ。もし、もしも、勘違いで、なにもふたりの間ではじまらなかったら、この関係すらも終わってしまう。決定機は少なからずあった。それをたがいにモノにできなかったのか? モノにしなかったのか? ニュアンスは大きく異なる。

「ストッキング脱がないといけないから、今、履けないや」
 パンプスを振り払い足先が薄い膜に包まれていて、鼻緒のついたビーチサンダルは履けないことをアピールする。
「あ? ……あー、そういうもんか。悪いな、男にゃ馴染みねーからよ」
「でも、ありがとう」

 おー、と鼻をすすって、諏訪はコンテナケースに腰をおろす。
 なにが、同志だ? 理解者だ? こんなことでは、まがいものだ。はじめないなら、男女の友情を成り立たせると決めたなら、こんなゆれる感情は単なる戯れであることを身に染み込ませないといけない。少し、少しだけとなりで休憩して、また正しいふたりをはじめようか。……それとも、新しいふたりをはじめられるかを、今こそ確かめるべきときなのだろうか。ちょっと年上のすれたお姉さんらしく、誘導尋問でもすれば、はっきりするだろう。そんなこと、今までたくさんやってきたじゃないか。
 並んだケースにお尻をつけて、固い感触にだけ意識を向けた。……あ……、

「やっぱ今すぐトイレ行って履き替える」
「……そうかよ」
 この情緒不安定さは、おまえのしわざだったか。
 立ち上がるに続いて諏訪も膝に手をつく。──もしかして、こうやってわたしはいつも自ら決定機をつぶして来たか? とは思わないこともなかった。なにごとも、タイミングなのにな。でも、その機会に攻め込んで来ないほうも、同罪じゃない?
 いつも入れっぱなしにしているはずのその存在を想像しながら祈るようにカバンに手を突っ込んだ。