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運び屋
ボーダーはサークル活動のような部活動のような感じですよね。四塚市の役所に顔を出したら、新卒の女の子──女の子といってもほぼ年齢違わないけど──にそうイメージを伝えられた。先日のテレビの特番をみての感想だそうだ。もちろん、さんを含め、皆さんにこのあたりの平和をまもっていただいているとも思っていますよ、と彼女は笑顔で付け加えることを忘れなかった。
まあ、正しいだろう。子どもたちが切磋琢磨している様子はそうみえるだろうし、メディア対策室もそんなさわやかさを売りにしたい一面もあるだろうから、戦略はばっちり成功である。
だれもかれもが復讐のためにとか、近しい人が犠牲になったからとか、そういう動機が入隊まで引っ張ってくるわけではない。単純にかっこいいからとか、ボーダーに助けてもらったからとか、サバゲーがすきとか、お金稼ぎたいとか、そんな人が大多数だ。人を突き動かすものなんて、人それぞれなのだ。こちらへやって来るトリオン兵を倒せるだけの能力があればそれでいいし、そんな人間は多ければ多いほうがよい。遠征へ行ってみたりとかいろいろとむずかしいことを考えたりやったりするのはひと握りの人間だけでよいと、わたしは思う。
今日は外回りの一日であった。ボーダーの社用車の数は限られているし、基本的に有事のために本部に駐車されっぱなしだ。そもそもわたしは高校卒業時に親に金は出すから取っておけと言われ免許こそ取ったがペーパードライバーなので、運転できない。それに飲んだら乗れない。飲兵衛と車の相性は悪い。結果として免許は高級身分証と化した。そういうわけで仕事で動き回らないといけないときはタクシー移動である。
近隣の役所はまわりきって、あとは弓手町支部に寄って本部へ戻る。西日に眉をしかめ大通りに出て空車が光るタクシーに向かって手を上げた。自動で開くドアに「よろしくお願いします」と、頭を低くして乗り込むと初老の運転手とバックミラー越しに目があったがおっちゃんは名乗りもせず、どちらまでとも問いかけて来ない。
「弓手町支部付近までお願いします」
わたしから先に声を出せばのろりと運転手がうしろを振り返り、わたしを一瞥した。
「そこらへんあんまり近づきたくねーからよ、テキトーなとこで降ろしていいかなぁ?」
「あ、はい。もちろんです」
本部は警戒区域ど真ん中に設置されてるけど、支部は隅っこだし。区域外だし。こちらから少し離れたところに停めてもらっていいですよと気をつかうことこそあれ、先に言われたのははじめてだった。平和ボケしていないタイプのおっちゃんなんだろうか。いいことだ。ウインカーを上げて車の波に乗っていくのに合わせて、窓の外をながめる。車酔いは子どものうちしかしない、というのが通説だがわたしは成人をすぎてもなお、酔う。まだ子どもなんだろうか。そりゃいつまでも自分は18歳くらいの気持ちだが、未成年だと酒が飲めないからいやだな。
「ねーちゃん、ボーダーで働いてんだなぁ?」
ねーちゃんだって。アルコールが入っているときだったらそう呼ばれたってなんとも思わないけど、こちとら明らかに仕事中だぞ。それになんだか嫌味ったらしくて──もしかすると、このおっちゃんは反ボーダー派ではなかろうか。と、思い当たる。たいていそういう人種が運転しているタクシーはボーダーの制服を着ている人間を通り過ぎていくものなのだが、まれにわざと拾ってああだこうだ言ってくるやつがいるらしいとは聞いていた。
「はい」
「子ども戦わせる団体なんて、おそろしいぜ」
ビンゴ。こんなところで勘や引き寄せ運を使いたくはなかった。
ははは、そうですよね、とでも返せばいいのだろうか。なかなかこうして一対一で敵意を、嫌味を向けられることはない。へらへらかわしておくのがベター? でもそれでは、わたしもそう思いながら働いていることになってしまう。
「おかしいと思わねーのかい? なあ?」
責めるような問いただすような声質ではなく、茶化すようなそれだった。否定も肯定もせず、聞き流せ、聞き流せ。ここから弓手町まではさほど距離はない。あ、だから余計に機嫌が悪いのかもしれない。金にならないもんな。じゃあなおさら停まるなよな。
とにかく、わたしは自分の三半規管が心配だ。けっしてバックミラー越しににらみをきかせたりなどしてはいけない。見るべきは窓の外である。流れる景色とともに、聞き流すことにつとめよう。
「さん、タクシー運転手に暴力ふるわれたって?」
「誤報。まぁ、多少言葉の暴力は受けたけども」
定時過ぎに本部へ戻り残っている書類整理のおともに缶コーヒーを自動販売機で購入していたところを、洸太郎に呼び止められた。ずいぶんとまあ、話がまわってくるのがはやいではないか。
「風間の彼女情報」
「でしょうね。まだその子にしか話してないもん」
弓手町支部の設備点検など雑務を合流した支部長とともに終わらせ、まだ残るという支部長を残し個室から出たところで、弓手町所属の隊員と出くわした。それは、面識のある風間くんの彼女であった。車内での一部始終を愚痴り、あんたも気をつけなよと忠告したが、「わたしはめったにタクシーなんて乗らないですよ」と笑っていたのは小一時間前の話だ。だから、情報を得るのがはやい。彼女→風間くん→洸太郎というメッセージの流れがあるかもしれないけど、そうだとしたら風間くんが早急に連絡を受けて返すタイプであることに驚く。彼女の連絡だからか? 世間話のひとつとしてカップルが共通の知人のわたしの話をするのはおかしくないけど、だとしても風間くんからわざわざ迅速に洸太郎へ伝聞する必要性が不明。いや、彼女から直で洸太郎か? それもよくわからない。わたしの情報をなぜ洸太郎に即座に流すというのか。風間くんの彼女も洸太郎たちと同い年だし、同級生組のメッセージグループでもあるのかもしれないな。
なんてことを考えていたら、いつのまにやら洸太郎が紙切れをわたしの視線の下に差し出していた。
「タクシー使うときここ呼べや」
「なに?」
「タクの兄ちゃんの名刺」
こないだ飲み会帰りに使ったけど、少なくともボーダーに友好的なやつだぜ、と言う声をBGMにメガネを支えながら下を向いてその名前を見る。
わたしは文字通りかたまってしまった。
──元カレやんけ。
その苗字はわたしの苗字を消して塗り替えて欲しかった苗字だった。名前は何度も何度も呼んだ名前だった。同姓同名だろうか。でもそうそう苗字も名前も同じ人などいないものだし、洸太郎が兄ちゃんというのだから、わたしと年齢も近そうだ。てかあいつ、タクシー運転手になってたのかよ。
「大丈夫大丈夫、そうそう何度もやばいやつには当たらんて」
受け取るべきであっただろうその名刺から顔をあげて手をふる。なんだか今日は望んでない引き寄せ運が強すぎるな。
当たった。
翌月の四塚市でのミーティング帰りであった。ドアをくぐってこちらを振り向いた運転手は、あの日の反ボーダー派おっちゃんだった。そりゃタクシーは同じところをいつも流しているとは聞いたことあるけども、あんたも停まってくれるなや、と内心毒づく。ボーダーの制服だけみて拾っているから、わたしを以前にも乗せたということ自体は記憶にないのかもしれない。嫌味を向ける対象はこの制服の人間であればだれでもいいにちがいない。
「今日はどちらまで?」
記憶、あるやないか。
なにも反論してこなかった小娘にまたあれやこれやと言うつもりか。日頃のストレス発散を客に向けるのはやめたほうがいいと思う。
直帰で自宅まで乗せてもらうつもりだったが、なんとなく住所がバレるのは避けたい。あ、洸太郎のマンションの前に停めてもらおうとひらめき、かろうじて覚えていたマンション名を告げた。
「お帰りにタクシーなんてリッチですなぁ。子どもが稼いでくれる金でなぁ」
「はは、まあ、交通の便がいいとは言えないので、しかたがないですね」
「そういうことじゃねーだろ」
懲りないおっちゃんだ。何を言われようともわたしは言い返さないし窓の外しか見ない。
わたしの口からこのおっちゃんはなにを引き出したら満足なのだろうか? ひどい言葉を投げつけられておびえて泣いたりすればいいのだろうか? 反ボーダー以前にそういったご趣味なのかもしれない。会社に通報されるとは思わないのだろうか。
「子ども闘わせといて本部の人間は心が痛まねーのか?」
ケッ。ちらと助手席の前に掲示してあるネームプレートに目をやろうとしたが、それは絶妙にタオルがかけられていて名前が確認できない。確信犯か。でもこっちはナンバーを控えられるんだからな。クレームのひとつくらい、入れてやれるんだからな。とはいえ、ボーダーという組織に属している以上、あまり目立つ言動をしたいとは思わない。それに、ボーダーの一般職員たちに“背徳感”がまったくないと言うと、うそになるのも事実だった。そりゃ、大勢の未成年の子たちを、徴兵してはいないにしても危険にさらしていることにたいしてなにも思っていない人など、内部にはいないのだから。だから、きっとこれまで同じような目にあった一般職員たちも、クレームも入れず、この場をやり過ごしてきたにちがいない。
だからわたしも、そもそも、本部攻められて真っ先に死ぬとしたら一般職員なんだよ、バーカ! などと、言い返してはいけな
「わたしが闘ってたらどうすんですか。かわいそうだというんですか。大人だったらかわいそうじゃないんですか。彼らに助けられたらあなたは泣いて感謝するんじゃないんですか。そのときにならないと感謝できないですか。想像できないんですか。今のところ残念ながらボーダーがなくなるときは市民も死ぬときです。どっちが早いか遅いかの問題だけ。闘わない、闘えないわたしたちは彼らに託すしかないんですよ。わたしたちはわたしたちの場所から彼らを守るしかないですよ、今のところは」
い。
一気に言ってしまった。わたしもストレス社会の荒波にのまれている人間のひとりだ。発散すべきタイミングだと反射的に脳みそが、口を動かしたかもしれない。
助手席のヘッドレストを睨みつけながらお経のように唱えていたから気持ち悪い。おっちゃんは反論をしてこない。明確な反対意見をもたないらしい。一般的な意見をうがった見方をしているのがかっこいいと思っているタイプだったのだろうか。
「──ですから、見守っていただけますと幸いです」
一応最後に足しておいた丁寧なビジネスワードで、なにか誤魔化せただろうか。むしろ本部にクレームが入るなんてことは不本意だなあ。
「なんでここで降ろしてもらってんだよ」
やはり今日も引き寄せの力が働いているらしい。「お代はいらない」などと無礼を詫びる代わりにかっこつけたことをおっちゃんは言わなかったし、最終的にはいたって普通にタクシーを降りたところで、目の前のマンションから出て来た住人のひとりから声がかかった。洸太郎のことだ、またわたしが引き当ててしまったことを察しての言葉であっただろう。
「いや~、偶然ってこわいよね」
「言わんこっちゃねぇ」
呆れた表情をわたしにくれる洸太郎はコンビニへ向かう予定だったそうなので、わたしもなんとなく付いていくことにする。ぺたんと下りている髪の毛は過去いちど──期間は二日だったが──洸太郎の家に滞在したときにみた、シャワーを浴びてからの休日の洸太郎の姿を思い出させる。そういえば彼が今袖を通しているTシャツをわたしは借りたっけか。ぐう、と肺のあたりがきしむ。
「名刺の兄ちゃんとはボーダーの話したんだよね?」
だからこそ、ボーダーに友好的であったということを知っているのだ。飲み会帰りに乗ったのになぜそんな話になったのかと問えば、乗ったメンツが風間くん、風間くんの彼女、寺島くん、木崎くんだったそうで関係性を尋ねられたのだという。まあ、異色の組み合わせ感はあるのかもしれないな。
「そういや、元カノがボーダーにいるとか言ってたな」
「ふうん」
そりゃ、わたしじゃん? でもさすがに彼はわたしの名前を出すような野暮な真似はしなかったであろう。
「一見ガサツに見えて人のことよく考えてる子だったから活躍してるといいな、だってよ」
「ふーん」
だってよ、って、そんな言い方ではわたしへの伝言みたいではないか。
「なんで別れたんかと酔っ払ってたし余計なことを聞いたんだけどよ。寂しがり屋で構ってあげられなかったし。自分と一緒にいたら彼女のいいところを活かしてあげられないから、とか言ってたなぁ」
揶揄う色のない声だけど、こちらを伺う気配がある洸太郎の察しのよさは、ほんとうに困る。わたしを試すようなことしやがって。それをわたしに教えて、わたしにどうしてほしいのだろうか。励ましかな? そりゃ、ありがたい伝言ですわ。それとも、その元カノはわたしだと昔の関係を認めたらいいのだろうか。そうして元カレに連絡を入れたらいいのだろうか。やり直せないかとどちらからともなく言い出すような未来があると思っているのだろうか。そんなことにはならない。──そうはならないと、その気はないと、言ってほしいのだろうか。
当然、そんな展開はあるわけがないのだ。過去は美化されるから、そんなきれいな元カノの考察ができるだけなのだ。そして、彼は別れた女ですら軽んじる言葉を言うような人ではないことをわたしはよく知っていた。だって、元カノだもの。
「……わかってないなぁ」
「なんか言ったか?」
「なんでもなーい」
さみしいのは暇だからなのよ。暇だったのよ、暇だった。そうでない今は、そうはならないかもしれない。今ならもっと、うまくやれるかもしれない。うまくいくかもしれない。でも、もうその相手は彼ではない。別れるというのはあなたの人生にはもう関わりませんと、そういうことなのだから。それに、今そばにいたい人を問われてもそれが彼ではないことは、はっきりしていることだった。
シャー、と道路をこするタイヤの音を次々と耳に受けながら、また少しだけ昔のことを思い返す。元カレじゃない。付き合ったことのない男とのこと。となりを歩く男が同じことを回想している可能性を望むのは愚かなことであろうか。そんなことをうっかり考えてはみるものの、うす暗い雲に押しやられて今にも消えそうな茜色の境目をみつめた。