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神さまにも祝詞
正月前後は中高生のシフトが渋い。やはり年末年始は家族と過ごすべきだろうし、親戚の家に顔を出してお年玉ももらいに行かなきゃいけないだろう。防衛隊員の絶対数が増えたとはいえ、割合としての大人が低いことには変わりはないのだった。それだけが理由ではなく忙しい年末年始といえど、正月および俺と東の誕生を祝おうぜということで夕方の諏訪隊作戦室に俺、諏訪、太刀川、堤が集まっており、東が遅れてやって来た。酒を飲んだとて、換装してしまえばこっちのもんだ。それくらいは許されたい。
扉をあけた東の姿をみて、あらら、と声こそ出さなかったけれど、頭をかいた。
一升瓶を片手にしている東は、
「からもらった」
と、にこにこしていた。そう、にこにこしていたのだ。自分の誕生日だからうれしくて、とかじゃない。絶対、わざとだ。意図あってにこにこしている。
これがちゃんからのプレゼントだと宣言してしまうのはご法度のはずだった。
大学を卒業する前、正式の入職日より何ヶ月も前からちゃんは東に連れられてボーダーに寄って研修という形でそれはそれはいろんな知識を詰め込まれていた。全ポジションをひと通りこなしたのも、このときだった。
ちゃんが、狙撃手訓練室で東に一升瓶を手渡しているのをみかけたのは、正月休み明け。誕生日プレゼントだと手短に説明するちゃんに、俺も東と誕生日一緒なんだと世間話がてら伝えれば、翌日俺用にも同じものを手渡しに来た。
年上の男らしく、気持ちはうれしいけど、来年はふたりで一本でいいよと笑えば、次の年は東に、その次の年は俺に一本、渡した。そして、今年は東の番だったというわけだ。
ちゃんは、俺と東以外、ほかのボーダーの人間には物をあげない、と言った。余計な波風を立てる結果になるのは困るらしい。俺たちはいつも奢ってもらってるから、特別だということだった。たしかに、今やちゃんが接する人間の数は限りがない。あげ出したらキリがないのだろう。とうぜん、バレンタインデーなんかのイベントもスルーだった。だから、ちゃんはプレゼントというものを、あの諏訪にすらあげたことがないはずだ。
だから今、東は、ちゃんにもらったものを、誇らしげに、諏訪に自慢しているのだと直感した。その真意はわからない。わかりたくない。
俺もこのところ本部に缶詰で──なにもこの時期に限ったことではないか──楽しいことがなかった。今ここで、楽しいことを無理矢理に起こしてもバチは当たらないだろうと、おそらく、東もそういう気分なのだ。ちょっと悪趣味で勘弁してほしい。
「いつのまにもらったんだ?」
「年末、早めにな」
ああ。あのときか。年末にあったちゃんからの連絡から察するに、東は一晩ちゃんの家にいたはずだった。
「さん、実家帰ってないんですね」
堤の感想に、
「なら呼んだら来んじゃね? 呼ぶ?」
太刀川が呼び寄せることを提案して、麻雀卓に置かれているスマートフォンに手をかけている。
「さんちに泊まったとき、もらったんすか?」
静かに攻撃対象となっていた諏訪が口をひらいた。知っているとは思わなかったらしい東が俺を盗み見るので「俺は言ってないぞ」と視線を交わす。
「にきいたのか?」
「東さんがマンション入ってくの見たんで」
「おまえもあの辺に住んでたんだったな」
エントランスをくぐる東をみたにしても、“泊まった”と諏訪が断言したのはカマをかけたのか、それとも否定待ちだったか。まさか、入ったところだけではなく、電気が消えるところまで目視していたというのだろうか。ストーカーかよ。
不満の色を隠しきれずに喫煙に逃げる諏訪を横目でみる。
仮にちゃんと諏訪が付き合っていたとてそんな権利はないと言えるのだが、そうですらない一同僚の諏訪に東が責められる筋合いは間違いなくなかった。
「えっ、東さんってさんと付き合ってんの?」
端末をスクロールする太刀川から、さして興味のなさそうな問いかけに東がかぶりをふれば、
「付き合ってたことはあったりするんですか?」
堤の追撃が襲う。
なんだなんだ、みんなストレス溜め込んでんのか? せめて酒を入れてからにしないか? と、静止するかわりに、ひとり勝手に缶ビールのプルタブに指をかける。
「そりゃあ、は特別な存在だけどなぁ」
「それは、すきとは違うわけ?」
会話に置いてかれていないことをアピールするために、俺からも質問を重ねる。「さん出ない! 寝た?」「小学生でももっと起きてるだろ」。
東も堤もおもしろがっている節は否めないが、最終的に思うところは一緒なのだろう。諏訪よ、この会話に居心地の悪さをおぼえるのなら、いい加減に腹をくくりなさい。それだけだ。
「しあわせそうにしているところをみたいとは思うよ。ただ、この手でしあわせにしたいか、そうでないかの違いじゃないかな」
神社に屋台を出しているのでよかったら顔を出してください、と年末に連絡があった。だれか誘って行くという選択肢もあったけれど、あいにくボーダー関係者は忙しそうだし気が引けた。正月のテレビ番組も、昔よりおもしろくなくなったのか、わたしが年齢を重ねてすこしずつピントがずれていったのかは定かではないが、チャンネルをザッピングするのにも飽きてしまった。それでわたしはそのメッセージを思い出して──忘れていたということはなかったが──財布とスマートフォンだけ持って、スニーカーをひっかけたのだった。
浮き足立っているようで、でもどこか凛とした年始独特の空気感を味わいながら、神社の境内に足を踏み入れると、すぐにそのおでん屋の屋台はみつかった。普段予約のとれないような老舗のそれを屋台で購入できるとなれば、人はそこそこ長蛇の列をつくるものだ。
その最後尾について、数分単位でじりじりと前へと足を進めていれば、屋台で汗をながしていた彼と目が合う。ちいさく笑った彼につられるようにして、わたしもほほえみを返す。わたしが財布を出したころ、わたしの後ろに並ぶ人は数十分前とくらべれば 落ち着いていて、
「ちょっと待ってて」
大根とたまご、牛すじのはいったカップを手渡しながらそう言って、休憩から戻ったのであろう若いスタッフと入れ替わりで彼がわたしのもとに駆け寄ってきた。
「私服なんてはじめてみましたね」
「そうでしたか?」
「いつも仕事終わりでスーツじゃないですか」
屋台の向かい側、拝殿へつづく階段の横の石畳まで移動して、すーっと深く湯気をすいこんだ。
彼にとって貴重な私服姿がジーンズにモッズコートを羽織ったラフなスタイルというのは少々申し訳ないような気がした。初詣にはフード付きのなにがしかを着用していくと自分ルールで決まっている。小学生のころ、「お参り後にフードの中をみたら小銭が入っていた」という芸能人の話をテレビだかラジオで聞いたのがはじまりだった。いまだ入っていたことはないけれど、もうこの習慣が変更されることはなさそうだ。
食べていいですよ、と彼がうながすのでつるんとしたまあるいたまごを楊枝で切り崩す。
「このあいだ、お店にボーダーの子が来ましたよ」
「えっ、そうですか」
ボーダーの子、と言うからにはその子たちは彼に自分がボーダーに所属していることをわざわざ話したのだろう。もしくは彼が世間話がてら聞いたのかもしれない。
「とても大きな子と、金髪頭の子」
「……そうですか」
半分より小さくしたたまごを口に運ぶ。
トラックの運転手というのは夜勤も多く、日勤の人間がそうそう会えるものではないということを知った。まず第一に、わたしに本気で予定を合わせて会う気があるかどうかも問題だった。「たまにはおまえが店を選べ」と冬島さんと東さんに言われて、連絡したのが最初。帰り際に彼が顔を出してくれて、一言二言あいさつをした。響子が忍田さんとの食事に使いたいと言うので代行で連絡したのが二回目。あと、一回はひとりで行って、彼と一緒に飲んだ。こうして屋台まで出向くくらいには、その時間は楽しかった。それでも、ほとんど一年かけて、それだけだった。
「なんか、賭けてるんですか」
「え?」
「落とせたらいくら、とか」
はじめておでん屋で会ったときのツレと賭けているのではないですか。
そう確認すれば、ひどいなあ、と彼は頭をかいた。
それくらいのことでなければ、採算が合わない。一年かけて口説き落とすような価値はわたしにはないだろう。謙遜などではなく、客観的な意見だと思う。以前洸太郎といっしょにいた美女のような顔面もなく、たいしたトークスキルもなく、そのへんに自生している雑草みたいな女だ。
牛すじに楊枝を突き刺して、そっと持ち上げる。
「まだ俺、あなたのことよく知らないですけど、これから知る権利をもらえませんか?」
カップから横に立つ彼に目線を上げたのと同時に、細い先から牛すじが離れてぽとりと落ちたちいさな振動が手に伝わった。
「付き合ってもらえませんか」
だれがどう見たって、彼にたいするわたしの言動は好意的で勝算を感じられるものではないはずだった。そういう大博打は、年末にやってしまうもんなのでは? 今年やり残したこととして、片付けるもんなのではないのか?
じゃあ年収教えてよ。なんて、ふざけたことを言えるわけもなかった。そんな冗談を言えない程度には絆されていたといえるし、その熱のある視線に負けていたともいえる。
たまごのかわいた黄身が喉にひっかかっているようだった。