星砂シーグラス

「女同伴で帰ってきたと思ったら、これですか」
「というか、九月からインターンでこちらにいるにはいたんでしたよね、レオナ様」
「散々迷惑かけておいて、結婚相手くらい普通を選べないもんかね」
「前にも来ていただろう、魔法の使えないナイトレイブンカレッジの子。タマーシュナムイナのときに」
「えっ、女の子なのに男子校に通ってるというの?」

 長い廊下のいくつもある曲がり角、手前の右か左か。どちらの角でこそこそと話をされているのかあいにく確証がなかったのだが、どうやら左だったらしい。ぱたぱたと、キファジさんの通って来た道を逆走していく足音が、声のしていた分だけ聞こえていた。
「先に言っておきますが、お気になさらず、です」
 くるくると人差し指に胸元の髪の毛を巻き付ける。
「それでもたいへん無礼なことには違いありません。なかなかこう、みな、レオナ様のこととなるとあれこれ口を挟みたがる」
 キファジさんは長いため息を吐いた。
 ご存知のとおり、異世界からやって来たわたしにはホリデーに帰る実家がない。というわけで、今回は、厚かましくもレオナさんと一緒に夕焼けの草原へお邪魔している。これはわたしから言い出したことではないので許されたい。
 米国や英国のホリデーはとにかく長く、そして仕事を放棄するものだと聞いていた。ツイステッドワンダーランドもそちら側のタイプだとばかり思っていたが、ホリデーだというのに、ここぞとばかりにレオナさんは王室のあれやこれやに駆り出されている。
 別室をあてがってもらっているわたしがレオナさんと顔を合わせるのは、庭をふらふらしているときとか、ベランダで夜風にあたっているときに下の階から声をかけられたりとかと、限られている。
 日本に当てはめようとすると天皇家くらいしか思い浮かばないが、関係者まわりへの挨拶、親睦を深める会、それこそ、ひらひらと国民にお手を振るような新年の儀があったりするようだ。
 ちなみに、グリムはカリム先輩の実家にお呼ばれして、ジャミル先輩の大きな荷物になった。迷惑はかける前提とはいえ、想像の範囲内で収まってくれているといい。
 わたしは学友の目から離れられるという事実に、浮かれていた。ひさびさに思いっきりいわゆる〝女性らしい〟お洒落をしたかったのだ。日本にいたころパンツ派だったわたしもいざ〝履けない〟となると、意味もなくスカートを履きたくなっていた(もちろん、この学園ならばスカートの制服くらい男でも許されたかもしれない)。
 VDCの合宿のときに、ヴィル先輩にはわたしの性別が露見した。せっせとスキンケアをしながら「あんたの肌は、絹のよう。アタシたちとは根本的に異なる。元いた世界が関係しているのかとも思ったけれど、それだけではないわね?」と。
 ルーク先輩も気がついていそうなものではあったけど、彼は知らぬこととしてくれているらしい。これは意外だった。
 ヴィル先輩はインターネットを介して現物を見ずに衣服を買うことを好まなかったけど、さすがに麓で女の服を買っているのを見られるのは面倒だというのは、同意見だったらしい。ポムフィオーレ寮のヴィル先輩の部屋できっちり採寸してパーソナルカラーおよび骨格診断をして、あれやこれやと見繕われた。お金はどうやら、レオナさんのお財布(ブラックカード)から出ているらしかった。
 そんなわたしたちを見て好きにしてみろ、と悪戯に笑っていたレオナさんの言葉を額面どおり受け取って、結果、こうして余計な迷惑をかけている。
「結婚の報告に来たわけじゃないですし、そもそも恋人ですらないんですけどねー」
 キファジさんは眼鏡をくい、と持ち上げ、「よくお似合いですよ」と言った。
 イエローのスカートの生地をきゅっと握る。きっと、服装や髪型のことだ。

 スラム街に行きたい、なんてレオナさんやキファジさんに馬鹿正直に言って連れて行ってもらえるものだなんてまさか思わない。彼らは総じて過保護である。
「え、レオナさんに言ってないんスか!?」
「言うタイミング、なかったので」
 そういうわけで、ラギー先輩に電話したのは当然の成り行き。これ以上ない最適解だ。
 ラギー先輩の地元までは、ぼったくりタクシーに乗ってきた。レオナさんに渡されていたブラックカードを切らせてもらったけど、彼はこの金額が不当であるとすら気がつかないだろう。
 ラギー先輩と合流してから、ラギー先輩の箒の後ろにまたがった。無秩序に張り巡らされた電線が空路を阻んでいるようだった。わたしたちはかなり低空な飛行を、のんびりとしたスピードで続ける。
「思っていたより、こう、殺伐としていないんですね」
 スラム街には怒鳴り声も響いていなければ、悲鳴も聞こえない。耳に入ってくるのは箒に乗って浮いているわたしたちへのめずらしさへの感嘆と、客引きの陽気な声くらいなものだ。
「昼間だからってのもあるッスよ。あと、獣人族じゃない健康そうな生き物は、お金を落としてくれるって、わかってますから」
 だから悪いヤツには狙われるわけッスけど、出店とか、正規ルートでお金をまわしてくれることもわかってるってこと。
 ラギー先輩は頭の後ろで腕を組み、飄々とした出立だ。彼がマジフトで両手を離すことは多々あることだが、わたしは落ちたくないので念には念をでやめてほしい。
 日本で通っていた大学では、示し合わせたかのように多くの知人たちがこぞって国外の貧困地へのボランティアを志願した。
 やらない善よりやる偽善なんて言葉もあれど、わたしはどうしても〝自分の国で苦しんでいる人がいるのに他の国の人間を助けようとする人は、他人によく思われたいだけの偽善者である〟と、かの有名な修道女のことばに全面的に同意だった。かといって、ではわたしが国内で積極的にそんな活動をしたかといえば、ノーである。
 わたしにとって、ツイステッドワンダーランドは、どちらに当たるのだろうか。
「レオナさんといえば、ちゃんと生活できてたっぽいっスか?」
「さあ、どうだろう。わたしもあまり話してないんですよね。でも元気そうですよ」
 四年生のインターンを夕焼けの草原に本社をもつ企業で行うとレオナさんから聞いたとき、実家から通えるのは楽ですね、と思い、実際そう口に出した。しかしレオナさんから返ってきたのは、実家ではなく寮に住む、という驚きの発言だった。
「まさか、ラギー先輩連れて行くんですか?」「え!? ご、ご自分で家事を……!?」「料理もするんですか? 電子レンジも使えないのに? 洗濯も?」「正気ですか?」
 わたしはひとしきりレオナさんを心配し(バカにし)、彼はそのすべてを鬱陶しそうに受け流していた。
 もちろん、彼には実践魔法がある。わたしが知るひとり(と一匹)暮らし──ペットボトルの蓋が開けられなくてもだれも助けてくれない、買い忘れがあっても火をかけたまま外に出られないとか──の一瞬の絶望とか葛藤を知ることはないだろうけど。
「どういう風の吹きまわしだったんですかね」
 すぐに根を上げて実家からインターン先に通うのだとばかり思っていたけど、レオナさんはわたしとラギー先輩、それにジャックが考えていたよりしぶとかった。
「そーっすねえ。自分にも〝普通〟の生活が送れるって、確かめたかったんじゃないッスかね」
「レオナ先輩がいわゆる普通になることなんてないんじゃないですか」
 出生からしてレオナさんは普通ではない。彼が標準的な物事を理解することは一生をかけても不可能だろう。それはもしかすると、異世界で生きるわたしにとっても同じことかもしれないけど。
「知ってるのと知らないのとでは違うって話でしょ。こうして監督生くんがここに来たように」
 ラギー先輩は、わたしのこの身勝手な好奇心を邪険にしなかった。今のわたしが彼の地元にしてあげられることなど、ないに等しい。それでもわたしはきっと、大切な人の故郷だから、大切にしたいと思ったのだ。それを、ラギー先輩は受け入れてくれている。よくできた人だとも言えるし、他人への関心が薄いとも言えた。
「ま、といっても、監督生くんが考える普通とも違うとは思うッス」
 魔法を使えない監督生くんのレベルには合わせられないに決まってます、とラギー先輩は笑っていた。
「でも、なんでレオナさんがそれを知ろうとしたか、監督生くんにはわかってますよね?」


 全然わからなかった。
 頭を抱えてしゃがみ込むわたしに「まあ、そんなに落ち込まなくても……」とラギー先輩はあきらかに気を遣っていた。そして面倒くさそうでもあった。
 スラム街へ行きたい、と電話口で伝えたとき「うちのあたりは魔力極端に少ないんで……」と言い淀むラギー先輩に「大丈夫です。なんとかなると思います」と根拠のある力強い返事をしたのだが。
 ラギー先輩のお祖母さんやご高齢の方々、街の子どもたちがなにを話しているのだか、全然わからなかったのだ。
 思えば、英語の学習だって、子どもと老人の話すそれには苦戦した。イントネーションやアクセントの問題もあるのだろう。
 こちらの言葉は通じているらしいので、たしかに勉強の成果は出ている。それでも、わたしは彼らの話していることがほとんどわからなかった。
 まだわたしは魔法道具に頼らざるを得ない。理解はしたけど、今回ばかりは意地が勝った。
 知らない単語はメモ。知ってるはずなのに聞こえなかった単語はチェック。ラギー先輩に彼らが話したことをそのままリピートしてもらって理解する。
 同じ言葉を話しているはずなのに通訳(しかも同じ言語)を要するわたしを、皆不思議そうな目で見ていた。

 ゴロゴロと遠くで雷鳴がしていた。まだ雨粒は地面を濡らしておらず、泣くのを耐えているようだった。
「めずらしいですね。これは、ありがたいことです」
 スラム街からある程度離れた街まで送ってくれたラギー先輩と入れ替わりに、わたしの話し相手になってくれていた護衛の女性はうれしそうに言っていた。
 夕焼けの草原は慢性的な水不足とは聞いているけど、わたしがこの国へ訪れるときは雨が降るので、あまりぴんとこないのが正直なところだった。
「どこほつき歩いてやがった」
 エントランスを通らず裏手の庭にまわったのに、そこには正装した王子様が待ち構えていた。行動を読まれるほど、長く一緒にいすぎたとでも言うんだろうか。
「ラギー先輩とお散歩ですね」
「暗くなる前には帰って来いと言っただろ」
「そんなお父さんみたいなこと。だいたい、それを言ったのはレオナさんじゃなくて、キファジさんですよ」
 エントランスから出るわたしに、キファジさんは「どこへ向かわれるかは問いませんが、あとでレオナさんになんと罵られるかわかりませんし、護衛はつきます。それと、日が暮れる前にはお帰りいただけますか。支度もありますので」と、声をかけてわたしを送り出していた。
 支度、というのは社交パーティーのドレスアップに時間がかかる、ということだと確証はなかったけど、わたしには察することができていた。
 そして、そのパーティーにわたしも出るように仕向けたのは当然レオナさんであることも。キファジさん、そしておそらくはお兄さんと義姉さんという強い味方の力で押し切ったであろうことも。
 護衛の女性はわたしが言われたとおりの時間に戻らないことをいちども責めなかった。それが王室として好都合だったからかもしれない。どこの馬の骨かもわからぬ女を社交場に放り込みたくなかったのだろう。
 でもいっぽうで、彼女はなぜわたしがそこへ行きたくないのか、既成事実をつくりたくないのかを、言わずも理解しているようにも感じた。都合がよすぎるだろうか。
「レオナも、年貢の納め時だと思ってのことかしらね」
 ホリデーはレオナさんにくっついて行くと最初に伝えたとき、ヴィル先輩はそう言った。「だったら、なおのこと腕が鳴るわ」と。
 わたしはそれに同意できなかった。そう簡単にレオナさんは、一歩を踏み出さないだろう。これは経験則からの確信だった。
 わたしがおとなしくパーティーへ出ていたなら、これから渋々出るというなら、きっとラストダンスにも誘われる。
 ただ同時に、それだけなのだ。そこになんらかの形ある言葉は付与されない。概念としてのラストダンスを理解しているわたしは、本質的にそのよろこびを理解することはできないけど、期待と一時満たされた承認欲求だけが浮遊するだろう。
「レオナさんは、どういうつもりでわたしをここへ連れてきたんですか。パーティーなんて連れ出して、なにがしたいんですか」
「あぁ? ひとりオンボロ寮に居座りたかったのか?」
 ここに来ないならわたしもグリムと一緒に熱砂の国に行っていましたよ! だからひとりじゃないですよ! と反論してもよかったけど、とてもそんな気持ちにはなれなかった。わたしにとっての雨天は、低気圧によってメンタルに影響を来たす、よくない出来事だ。ちっともうれしくない。
「なにが気に食わねえんだ」
 アズール先輩が言うところの〝慈悲の心〟があるなら、どちらかに決めてほしかった。必要なのか、不要なのか。
 レオナさんとは、ちょっとした独占欲と嫉妬心を抱えながらも、さらりと肌触りのよい、口あたりのよい関係の継続で、なんら問題ないと思っていた。はっきりさせる必要はかならずしもないとも思っていた。白黒つけたからといって、なにかが急激に変化するわけでもない。
 それでも、わたしはおそらく同じ学年の生徒たちより何倍も何十倍も真剣に、今後のことを考えなくてはならないだろう。わたしはその事実を今日改めて、じりじりと眼前に突きつけられてしまった。
「……お前をこっちのゴタゴタに巻き込みたくないと思っている。そう言いつつ、現にこうして積極的に巻き込もうとしてんのは、自分でもわかってるつもりだ」
 抗議の目だけを向けていたわたしに観念して、レオナさんは言葉を紡いだ。そしてまた、押し黙った。しだいに強くなる風に木々がざわめいていた。
「……わたしはレオナさんのこと、好きですよ」
 わたしは地面に向かってつぶやいた。なにも、男から言ってもらわないといけない、というルールはないのだった。
「あぁ。俺もお前のことは好きだ」
 てっきり、よくわからない枕詞を付属され、謎の条件づけをされるとばかり思っていたので、わたしは思わずつま先を睨んでいた視線を上げた。
 わりと決死の覚悟で言ったのだけど、存外そこはあっさりと認められた。ひとつめのハードルは想像していたより低かったらしい。
 しかし、その先はない。やっぱり。
 ポケットに突っ込んでいたボロボロの単語帳を引っ張り出す。書きたてほやほやのメモなど、もはやどうだっていい。
 思いっきり表紙ごと縦にまっぷたつに引き裂こうとしたけどまったく力が及ばなかったので、しかたがなくぴりぴりと紙を縦に割いていく。
「バカ、なにやってんだ!」
 ほんとうに、なにをやっているのだろう。そして、レオナさんはなにに対して怒っているんだろう。愚かな八つ当たりを制するために握り込まれた手首がじりじりと燃えるようだった。
 きっと魔法のひとつふたつで引き裂かれた単語帳は何事もなかったように元に戻るのに。その事実もまた、腹立たしかった。
 わたしは大人しく手からメモ帳を離した。ばさり、と地面に着地する。
「わたしは限られた選択肢から、これからのことを決めないといけないんですよ。そんな女を宙ぶらりんのままでいさせるのは、自分のことを必要としてくれていると思わせたままでいさせるのは、あまりにもかわいそうだと思いませんか?」
 わたしは変えられないことを受け入れ、変えられることを変えるための勇気がほしかった。そして、それを叶えられるだけの知識や力がほしかった。
 レオナさんにも、同じことを要求したくなっていた。きっとこれは、わがままだ。彼に、さらなる努力を求めるなんて。
「運命と宿命の話をしましょう。レオナさんが王族にうまれ、お兄さんがいて、国王の二番目の子なのは宿命です。生まれたときから背負っていたものですね。お兄さんが正式に王の座につき、いつかお兄さんが退けばチェカさんがお兄さんのあとを継ぐでしょう。これは、もしかしたら変えられるかもしれないですが、レオナさんが生まれた順番や甥の存在は変えられません。でも、運命は変えられます。運命っていうのは、自分の意思で、授かった命を運んでいくという意味です。かならずしもロマンチックでも悲劇的なものでもなくて、勝手に導かれるわけじゃなくて、自分の重ねた選択で導く結果のことですよ」
 レオナさんは口を閉ざしている。
 饒舌なわたしに気圧されているのかもしれない。強風と不定期に響く雷鳴で、わたしの声が彼に届いているのかも定かではない。ただ、その目はまっすぐわたしを捉えていた。
「レオナさんは、国王になりたいんですか。たぶん、違いますよね。才能をふつうに認められ、なんらかのいちばんになりたいんですよね」
 緑色の瞳は鋭くはあれど雄弁ではなかった。
 いつもそこにはしとしと雨が降っているようだった。わたしはついそう例えたくなるけど、この国の人たちからすれば、それは干上がった砂漠というほうが正しいのかもしれない。
「じゃあ、手始めにわたしのいちばんにくらい、なってみたらどうですか?」
 稲光から地を割るような音までの間隔が狭まっている。
 時折り違う色をその瞳の奥に見るとき、わたしはひどく安堵していた。その瞬間を、わたしは彼のためではなく、わたしのために欲していた。
「もしかしたら、わたしはなにかの拍子にまたどこかへ飛んでしまうかもしれない。レオナさんをひとりにするかもしれない。レオナさんは故郷のために尽くすかもしれない。わたしはそれについていけないかもしれない。そうやって、いつかは離れ離れになるかもしれません」
 わたしは彼の瞳にエメラルド・グリーンの海を見る。
「でも少なくともそれは、今ではないです」

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