1杯目
ビールジョッキを鳴らせ
お座敷の飲み会、諏訪洸太郎はだいたい端っこに座っている。いわゆる下座というやつだ。通路側の、隅の席。英語クラス飲みのときも、スペ語飲みのときも、ゼミ飲みのときもそうだった。わたしは背中をくっつけてだらんと座れるほうがいいし、誰かしらに先にどうぞと促されるタイプだから壁際の真ん中のほうを陣取る。にぎやかで、いい席だ。なにより、注文したり受け取ったりするには向いてはいない場所だから、だれかが気がついてやってくれるし。だからこそ下座は通路側の端っこなのだなあ、と諏訪をみながら思うのだ。そんなわけでなんだかんだ幹事を任されたり、そうでなくても取り仕切ったりする機会の多い諏訪とわたしは、いつもそこそこ離れた席について、飲み会がスタートする。
「今日もよく飲んでんな」
だけど、飲み放題三時間コースのラストオーダーが近づくころになると、いつのまにか諏訪はわたしのとなりにいる。そのころにはみんな最初の位置とはちがうところにいるし、わたしもトイレに行って帰ってくるとよく勝手に端っこに移動していて、それで、諏訪はわたしがいる端にきて、わたしはひとつ分、おしりをずらすことになる。今日のゼミ飲みも、例外ではなかった。
席のご移動はおかしなことではないのだけど、友人は言う。いつもそうじゃないか、と。諏訪はいつも最後にはあんたのとなりにいるじゃないかと、言う。言われてみれば、そうなのだ。わたしも深く考えていなくて、言われて意識してみればそうだな、と思ったから諏訪にも自覚はないのかもしれない。集団での飲み会はそうそう多くはないし、絶対にそうだ、と言い切れるほどの判断材料には足りないかなと思う。英語のクラスも、スペ語のクラスも、ゼミのときも、となり同士で座ることなんてないんだけどなあ。
「ケチをつけるわけじゃないけど、わたしはサッポロ派なんだよねえ」
諏訪が、だれかが注文しまくったビールのなかから、両手でビールをうけとって、ひとつをわたしに手渡す。ジョッキには星のマークではなくて高級感をだそうとしている英字がきざまれている。
「ケチつけてんじゃねえか」
べつに、となりに諏訪が来ることも、それを友人に指摘されることも、悪い気はしない。
ただ、食器を取ろうと腰を浮かして腕を伸ばしたときに近づく距離とか、たまにわたしの二の腕に触れる腕とか、まれにわたしの頭や肩にのびてくる手とか、そういう感覚をいちいち意識してしまう自分の扱いには、ちょっと困っていた。
「大学から近いし、魚おいしいし、ぜんぜんいいよ。いつもご苦労さま」
「悪いな、店探す時間なくて取り急ぎ選んだんだ」
「みんな酔っ払えたらいいんだろうし、なんでもいーんだよ」
唇にまとわりついた泡をぺろり、となめて座敷をみわたす。
おそらくそろそろラストオーダーで、カラオケに行きたいとかなんとか、主張し出すやつがあらわれる頃合いだろう。今日も愉快な御一行だ。
このメンバーのいいところは、頼んだ食事を残さずぜんぶ食べきるところだ。なんてえらいのだろう。数個お皿にのこっている唐揚げも、最後にはだれかの胃袋に入っているはずだ。
なぜだか今になってカシオレのピッチャーからの一気飲みがはじまっている。あんな甘ったるい液体をがぶがぶ飲むなんて、わたしには信じられない。アルコールの一気飲みはよくないとかは置いといて。
「んじゃ、このあとサッポロ飲み行くか?」
「二軒目? 決めてんの?」
今日の二次会はカラオケボックスではなくて、飲み直しの段取りか? と、おどろいた顔を向ければ、
「いや。いいとこ知ってそーだなと」
予定は未定、かつわたしに丸投げの算段であったことが明かされて、わたしはまた手元のビールジョッキを持ち上げる。
「まあ……。でもそんな大勢で押しかけるような店じゃないしなあ」
たしかにわたしは、女子大学生にしては結構そこそこいい店を知っている自負がある。こうしてわいわい騒ぐのも大好きだけれど、いいお酒をそこそこ飲むのも好きなのだ。年上の知り合いが多いことも関係していると思う。彼らはよくいろんな場所に連れて行ってくれる。わたしのアルバイト代では頻繁に行けないようなお店が多数だけど、たまにコスパのいいお店もあるのだ。
「なら、ふたりで行かね?」
へ、と間抜けな声が出て、ひとまずジョッキをテーブルに置く。ごと、と固い音がしてからとなりを見れば、諏訪は灰皿に手をのばそうとしていて、わたしの肩に諏訪の腕がこすれる。
諏訪がライターをまわして、火をともす。その一連の流れを凝視していれば、
「どうすんだよ」
返事を催促された。あまりにも平然と習慣の喫煙をはじめようとするから、数秒前の誘いはなかったものになったのかと思ったが、どうやら違うらしい。
「……うん、いいけど」
「おし、決まりな」
煙草を口から離してだれもいないほうを向いて、諏訪は煙をはく。
そのうちにだれかが諏訪の名前を叫んで、呼ばれた諏訪は大声でその会話に加わっている。
飲み会、はやく終わらないかな。
そんなことを、お酒が飲めるようになって、はじめて考えた。
ビールは一杯目がおいしいもんだけど、何杯目かわからない仕切り直しの一杯も、間違いなくおいしいだろう。