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 しとしと小雨が降る早朝、三郎は幾分遠回りをして忍術学園へ向うことにした。ある程度周辺がどのような場所なのかを、確認しておきたかった。「常に状況を把握しろ」。それが三郎の父親の口癖だった。
 今日から同じように忍を志す者たちとの長屋での共同生活がはじまることを全く感じさせない荷物の少なさで、傘さえ、一泊させてくれた初老の夫婦の家から出る時に手渡されなければ持たなかったことだろう。心やさしいことと無警戒であることは紙一重だと、三郎は思った。
 間者としての地位を確立していた鉢屋一族の末裔といえど、たかだか十才の少年にとって山奥の学園への道は険しかった。土砂降りではないけれど、やはり止むことは無い小ぶりの雨に三郎は腹を立てていた。衣服が濡れると身体が重たくなって動きが遅くなるし、仮面の型も多少ズレてしまうのだった。

 三郎は今、五年程前に、今は行方知れずの二番目の兄と立ち寄った茶屋で出会った、同い年くらいだったであろう男子の顔をしている。
 その男子は同じく同い年くらいの女子と一緒にいた。兄妹なのか、友人なのかは分からなかった。すると、その女子が握っていた湯呑をするりと落としてしまい、粉々に砕けた。三郎と兄はちらりと横目でそれを確認した。女子は顔を真っ青にして素手でその破片を拾い集めようとするのだ。案の定女子の指先は切れ、赤い血が滲んだ。男子はそれを必死で止めさせ、彼女の指先を持っていた手拭いで包んで、その指さえ壊れ物のように丁寧に扱っていた。
 三郎は兄の表情(とは言っても他人の顔なのだが)を盗み見たが、ただみたらし団子を口に含んで噛んでいるだけだった。三郎の目に、見ず知らずの男子と女子の行動は滑稽で、哀れで、それでいて少なくとも女子の鮮血の生温かさのようなものをこころに感じたのだった。

 だから、三郎はその二人の顔も声も、割と良く覚えていた。

「らいぞう、歩くのはやいよ」
がおそいんだよ、ほら」

 数メートル後方を二人の人間が歩いていることにはずっと気が付いていたが、その声を鼓膜が受け取った瞬間、どくん、と心臓が波打ち、条件反射的に、すぐ真横のカシワの木に飛び上がり身を潜めた。
 三郎が見下げていることにも気が付かず、二人は仲良く手を繋いで、というよりは“らいぞう”が“”の手を引く形で前に進んでいる。三郎は自分の頬を両手で挟んで、らいぞうの顔を追いかける。ああ、やっぱり五年も前の記憶、三郎がしているらいぞうの顔と、らいぞうの顔は少し目元と鼻の雰囲気が異なっているようだ。

「まだ着かないの?」
「もうすぐ。そんなんで本当に忍者になるつもりなの」
「らいぞうには迷惑かけないもん」
「今、かかってるよ」
「……今日までは、ブレイコウ!」

 忙しなく動く心臓を落ちつけようと、普段より大きく息を吸って、ゆっくり吐き出した。“偶然”にここまで動揺しているようには思えなかった。でも、他の原因がなんなのか、三郎には良く分からなかったので、二人の後ろ姿を静かに見送ることに努めた。