三門市から電車で小一時間かかるさんの一人暮らしの家に、頻繁ではないけれど、それなりには訪れるようになっていた。それで気がついたがさんの食生活はおれに負けないほど偏っている。偏食というか、1日1食しかとらないということで、必然的に摂取できる栄養素の数が減る。
そういうわけで今日の夜はおれが肉じゃがを差し入れすることにした。ざばざばと結構な雨が降っていたがそんなことではおれの行く手、意欲は阻めない。玄関に入るなりタッパーを手渡すと、つくったのかと目をまるくするさんに、そうだと言いたいところだけど、レイジさんがつくってくれた残りだよとすぐに種明かしをしてしまう。格好はつかないが、さんの健康のほうがよっぽど重要だった。それからさんは傘をさしていてもずぶ濡れになってしまったおれを見て捨て犬のようだと笑った。
シャワーをかりてタオルで頭を拭きながらリビングに戻って来るとさんの姿はなくベランダに移動していた。風はほとんどなくだいぶん雨も小降りになっているらしかった。
ベランダへと続く窓を開けるとこちらを振り返り、また外へと向き直った。煙草の煙が向かう方向が気になったのだろう。
「煙草、やめませんか」
「なんで」
ふうっと煙を吐き出してからさんは言うと、短くなった煙草を備え付けの灰皿に押し当てた。
「肺がんか、喉頭がんになりますよ。おれのサイドエフェクトがそう言ってる」
「ははは、一般論だね」
乾いた笑い声を出しながらベランダ用のサンダルを、足を振って落として彼女が室内に戻って来る。
「ドライヤー、かしてください」
「乾かすタイプなんだねえ」
脱衣所のほうを顎で示すのでそれに従い風呂場のほうへと戻る。洗面所にかかっていた白い色のドライヤーのコードをコンセントに差し、タオルをランドリーワゴンへと投げて、最大風力までスイッチを押し上げた。
風の音にかき消されるであろう鼻歌をうたいながら、はて、この家に白米は炊いてあるだろうかと思う。ワンチャン、冷凍庫にあるか、レトルトのそれがあるかもしれない。
それはそうと、寝室からさんが引っ張り出して来た彼女には大きすぎるこのTシャツやズボンはいったいどういうことなのか。今日のところは余計な詮索をするのはよしておこうか。
───そういうことを考えていたので、鏡に映る彼女に気がつくのがいくらか遅れたようだった。いつからいたのだろう。
あらかた乾き終わった髪の毛を確認して電源を切り、さんのほうへと向く。シャワーを浴びたいのかと聞くとそうではないとの返事があり、「触ってもいい?」と続いた。
何を、かは問わずともみえないことはなかったが、さんに触れられて困る場所など、どこにもなかった。
背伸びをしてさんは腕をおれの頭にと伸ばす。ふだん髪の毛を流している方向に向かって、根本からゆっくり指を通される。再会してから、さんの前で前髪をおろしたのはこれがはじめてだったな。
ただ髪の毛を触っているようにも、頭をなでつけられているようにも、どちらにもとれるその動作は数回では終わらないようだったので、狭い脱衣所の床に腰をおろしてやる。さんもその場に座った。
「いつまでやるんですか?」
「……決めてない」
「でしょうね」
丁寧に、かと思えば雑に、彼女はそれをくり返した。止め時を失ったのか、止めたくないのか、それとも。
さんの手首を掴み、その細さにどきりとするが、そのままぐいと引っ張ってしまうと彼女はおとなしくおれの胸におさまった。わずかにさきほどまで吸っていた煙草のにおいが漂う。
華奢な肩を両手でつかんで少し離し、その瞳をみる。それこそ彼女のほうが子犬のようだった。ゆれる瞳の理由をさぐるようにか、さぐらせないようにか、ゆっくりと頷くように目をつぶった。