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「あの米屋くん?」「野球なんてやってたか?」「お父さんってば。やってたやん」「おねーちゃん連絡とってへんの?」「とってない」。
家族団欒のリビングでチャンネルをザッピングしていたらBSチャンネルで地元の少年野球チームの試合が放映されていた。相手は三門市のボーダーという組織の野球部ということで、父・母・妹・わたしは皆それぞれ、長年暮らしていた三門市に思いを馳せていた。そうしているうちに「五番 センター 米屋くん」とウグイス嬢が紹介したところで、わたしたちは見覚えのある顔に出会ったというわけだった。
斜向かいに住んでいた同級生の米屋とは幼稚園から小学六年生の途中でわたしが大阪に引っ越すまで、米屋家の飼い犬含め仲良くしていた。母親同士は今も年賀状のやりとりはしているようだったが、今日こうした中継があることについて連絡をもらっていなかったのなら、それほどの仲というわけでもないのだろう。
幼稚園生の頃、よく米屋家の犬がわたしの靴を食っては逃げていたことを思い出す。わたしは泣きながら追いかけていた。それでも犬のことはきらいにならず、懲りずに何度も米屋と散歩をした。
米屋は少年野球をやっていた。ただ、画面に映った米屋の肌は野球少年のそれらしくはなかったので今は本格的にやってはいないのかもしれない。父が毎晩のように中継を観ていたので、多少はわたしも野球に関する知識があった。米屋に「ホームランを打てないのか」と聞いたことを覚えている。「打てるかもしれないけど狙ってない」というような返答があって、それは打てない言い訳ではないのかという考えもあったがあまりにも米屋がはっきりと答えたのでそれなりに軸を持って物事に取り組むやつなのだと、幼いながらに感じたものだった。個人的にとても衝撃的な出来事だったので今もこうして思い出せたわけだが、数年顔も見ず連絡も取っていない同級生について普段考えることはない。
野球といえば学校行事で野球観戦に行ったなと出来事がつながる。プロ野球選手になったら登場曲どうする? ホームランパフォーマンスどうする? たられば話で盛り上がった記憶はあるのだが、一体どこ対どこの試合を観たのか。米屋は何と言っていたっけ。確か、何かアニメのオープニングテーマを登場曲にすると言っていたような気もする。
「うわ!」
妹の発声に、当時のアニメ一覧を検索していたスマホの画面からテレビ画面に視線を戻せば、ダイヤモンドを一周している米屋。球はとっくにスタンドに吸い込まれている。なんだ、打てるんやん。
走る米屋のその手の動きに母と妹の笑い声が漏れる。「槍投げ?」「砲丸投げ?」そんな感じの、腕を振り上げるようなオーバーアクションだった。特別ゲストの嵐山隊のひとりが彼はボーダーでは槍で戦っているのだと解説をしている。槍で……戦時中か? まあ、実際戦争みたいなことをしてはいるのだと思う。三門市を襲ったあの事件の少し前にわたしたち一家は大阪へ越してしまっていたから、実際のところはよくわからない。正直、少し罪悪感すら覚えているのだ。まるでこうなることがわかっていたかのように引っ越して被害を逃れた自分に。三門市からスカウトの人が来ているという話もよく聞くし、こうした中継もその活動を助けるツールのひとつなのだろうと思うけれど、わたしは三門市に関わる情報に触れると、どうしても胃がきりっと、疼くような気持ちになる。
ホームベースを片足で踏んだ米屋がベンチに戻れば一台のカメラが寄っていく。まるでプロ野球さながらだった。米屋は照れたように笑い、頬の前でO.K.のサインをつくってカメラにそのまま腕を伸ばした。「関西ですしね、たこ焼きでしょうかね?」「どうでしょうかね、わかりませんね」。
───違う。たこ焼きではない。わたしはあれを知っている。
わたしが泣くと米屋が「大丈夫大丈夫、オッケーだ!」と、自分の頬の前でO.K.をつくって、わたしの頬の前に持ってきてくれていた。なにもまったくO.K.ではなかったわけが、それでいいかとも思えたものだった。あの日、米屋はホームランパフォーマンスはどうしたいと言っていたのだろうか。ああ、そう、そうだ。米屋がわたしの後ろの座席で笑っていたのをわたしは身体を捻って見ていたではないか。米屋は、わたしにだけわかるやつをやるのだと、こんがり焼けた顔にきれいに並んだ白い歯を見せていたんだ。ただ、その、わたしにだけわかるやつ、とやらがなんなのかは記憶に残っていない。そもそも決めたのだったっけか。
今も実家の電話機に登録はされているであろう米屋家の番号に電話をかけて、今日のあれはなんだったのかと聞いてみようか。わたしの勘違いで本当はたこ焼きだったとしても、それはそれでいいだろう。