二死満塁(後)
「何、雷蔵も野球するの」
”も”と言うことは誰か他の人間が野球をすることを知っているうえでの発言であり、そちらの人間がメインなのだ。いつから俺はオマケ扱いになったのか。現場未経験、職場の人間は年下の男ばかり。仕事も人間関係も懸念材料しかなかった彼女の面倒をみてやったのはほかでもない俺だ。今でこそボーダーの手となり足となり、心の中で親指を下げながらどんな無茶振りにも対応できるようになったが、俺に金魚の糞のようにくっついてきて、曖昧に眉を下げて俺の後ろで笑っていたのはどこのどいつだったか。
「換装体でなら俺も動けるでしょ」
「久しぶりに痩せてる雷蔵に会えるのか」
「何、太ってる俺はいやなわけ?」
「痩せてるほうがタイプ」
「あっそ」
なんであいつなのかと思う。いけすかない腹の底で何考えてんだかわからない年下の男。未成年。学生。「なんでよりによって」と不満を表せば「なんでって、なにがよ?」と濁される。そうやってあいつに敵対心を燃やしている俺も、その返事にそれ以上返す言葉を選べない。選んでいるけど、提示できないので、彼女には届かない。
研修で知り合った男と付き合うことになったとモニターに向かいながら彼女が深夜二時ごろにつぶやいたのは一年ほど前の話だ。彼女のいう研修というのは、ボーダーには直接は関係しないエンジニアの外部研修のことをさしていることはすぐにわかった。その研修があったのは彼女の入社後まもなくであったから、さらに季節が一巡するほど前の話だった。
「偶然再会して……そのままなし崩し的に……」
──に、何をしたって言うんだ。モニターから目を離さない彼女がかけるブルーライトカットのメガネが青く光っていた。
辟易した。この数年間、お前のいちばん近くにいたのは俺だっただろう。
彼女を守ってやれる、支えてやれる、味方をしてやれる。そういう奴に彼女のそばにいてやってもらいたかった。金とか地位とかもちゃんとある社会人。もう遊びに疲れた落ち着いたいい大人とか。彼女をたっぷり甘やかしてあげられる人。彼女が全幅の信頼をおける人。あいつはそんなんじゃないだろう。
あのとき感じた不愉快に目を瞑らなければ、二度目の落胆や苛立ちはなかったのだろうか? 別れそうだと強がって笑った彼女にまっすぐに言葉を向けていれば、関係は変わっていたのだろうか?
「サヨナラのチャンスで、ピッチャーは恋敵? ドラマチックなこった」
諏訪が茶化す声にかまわずベンチを出て、バッターボックスへ向かいながら一度、二度、力の限りバットで風を切った。
これが恋だというなら、とっくに不戦敗だ。