セピアは願い下げ
※『ミラー・ミラー』夢主
「ざっけんな! クソシフトじゃねーか!」
無線を通じて洸太郎の絶叫がこだましている。
「うるさいな、諏訪。三週間も前からわかっていたことだろう」
「正論パンチやめろ風間。改めて愚痴らせろや」
相変わらず年末年始のシフトは渋い。とりわけ元旦の防衛任務は大問題である。
AおよびB地点を任されていた二宮くん、太刀川、東さん、響子(臨時オペ)との申し送りは手短に済み、本来三交代制のところを二コマぶっ続けで稼働する、かつ通常より守備範囲拡大という鬼畜シフトがスタートしようとしていた。
各々位置についてからのブリーフィングにはすでに疲労感が漂う。この人たちは、昨日も長時間労働をこなしているらしい。
「ひどいこと言うね。わたしがいるのに」
「だからだろーが! おめーオペ何年振りだよ!」
そう、隊員を退き人事部でのボーダー人生を歩んでいるわたしも、こうして防衛任務に駆り出されるほどには、渋い。
わたしは三週間前からアサインされていたわけではない。昨晩、忍田さんから社用携帯に入った電話を業務時間外です、と無視しなかった結果、インフルエンザB型の診断がついた中央オペレーターの穴を埋めることになったのである。
彼女は「換装すればいけますよ……!」と社畜根性を見せていたそうだけれど、丁重にお断りしたそうだ。正しい。よかった。人の心が少しでも残っていて。
「うーん。思い出せない」
「前線に出てこなかっただけマシだろう」
鼻で笑うこともなく淡々と風間くんは感想を述べた。失礼極まりない。
「風間くん、あとで人事部に来なさい」
「つーか、よく忍田さんもおめーに頼んだな」
「猫の手も借りたいってやつ?」
ねえ、とわたしはデスクのキーボードの上に陣取っていた灰色の猫を抱えて肉球をもむ。にゃーーーあ、とめずらしく長く鳴いた声に、
「いんのかよ、リアル猫!」
すかさず洸太郎からツッコミが入った。
「てか、俺のほうがやばいでしょ。アタッカー時代の換装体軽すぎて感覚おかしい」
こちらは三週間前からとはいえ数年ぶりに現場へとあてがわれてしまった、現エンジニアの寺島雷蔵くんである。ぜひともそこまで見越して現状にそくした設定を用意しておいてほしかったものだ。
「雷蔵も引きずり出してこねーといけねーとはな。こっちの暦に連動した手薄さが近界にバレたら終わりじゃねーの」
一理ある。逆に、この数年でデータを取得されていないことに疑問符をつけざるを得ない。
「でも基本的に大人しかいないから、死んだときとか、わりとめんどくさくないと思われる」
「おい、クソ人事!」
それはそうー、と寺島くんは笑っている。
親御さんの同意書をとっているとはいえ、未成年のそれは成人にくらべて複雑で繊細な対応を要求されるに違いない。それをショートカットするために、いざというときの記憶処理なんかについても特記事項に記載されてはいる。
もちろん、年齢がどうとかいう問題ではないのは、わかっているけれど。比較すれば、という話だ。
「はい。とくに確認事項はないのですが。無事に終わりましたら、みなさん飲みに行きますね?」
膝の上に移動していた猫がもぞもぞと動き、リノリウムの床に音もなく着地する。
「つったりめーだろ。そんくらいの楽しみねーとやってられっかよ」
幸い2日以降はそこそこの人数を確保できることになっているそうで、C地点をひとり任されている木崎くんも連行の予定だ。
シフト明けには日をまたぎ2日になっているはずだけれど、なにせお正月。ビールを一気に飲み干して、熱燗をくいっとちびちびやらせていただきたい。
「はーい。カップルに同行するのいやなんですけどー」
寺島くんの大袈裟なため息が音を割る。これからみんなにてきぱきと指示を通してあげる予定のわたしを邪険にするとはいいご身分だ。
「じゃあ一瞬別れるわ」
「寺島、了解」
「おい、やめろ! 一瞬でも!」
被せるように断固拒否され、わたしは思わず大声で笑い出してしまう。一瞬でもダメか。冗談でもダメか。
「きゃー諏訪くーん」
「うるせえ風間!」
管制室で通話を聞いているであろう、忍田さんや冬島さんの呆れ顔が、ありありと目に浮かぶ。そして、くわえた煙草を勢いよく吹き飛ばしてしまいそうなほどご乱心な洸太郎の染まった頬も。
今日はお正月だから、彼らもわざわざ回線に割り込んでお小言を言うつもりもないだろう。
今このとき、わたしはとても安心できる場所にいるのではないかと錯覚する。
近界民との交戦は終了し、天災や不慮の事故、はらわたが煮えくり返りそうな事件すらも起こらず。この街が終わりかけた過去も、きれいさっぱりなかったことになったような。
背後にぴったりとくっついてくる終わりを日々意識させられるからこそ、ありふれた、こだわりなく、ランダムに切り抜かれた瞬間を、ひとつも取りこぼしたくないほどに愛おしく思うのか。なんのしがらみもなく温水プールにぷかぷかと浮いていられたとしても、そう思えるのか。もう、わからなくなってしまったけれど。
「……んじゃ、行くか」
気だるげで、でも確実に気持ちを入れ替え切った洸太郎の声に、風間くんと寺島くんは短く、でもきりりとした言葉を返す。わたしも、とろとろ溶けてしまいそうな口元を引き締め直して、インカムを引き上げた。
「では、みなさんご安全に。さっそくだけど諏訪くん、そこから南南東1.3km地点に反応あり。着弾まで5、4、3────」
---> leopoldさまより「くそ〇〇〇じゃねーか」
Thank you;) 20240313