Sunny Day Sunday
「東さんが本気で頭抱えてた」
「コアラたちは入んねーのか」
「部活が忙しいらしいよ。コアラの手も借りたいよね」
喫煙ブースの壁にもたれて、暗に猫の手も借りたいという慣用句をもじったらしい女は、ははは、とひとり笑う。
急造された野球部にプロ野球ファンの諏訪と彼女が、その界隈とのツテができたのだろうと歓喜したのは数か月前のことであった。形式上、野球部の監督は忍田ではあるが、あの人に野球をみたりしたりする時間があるわけがない。もちろんそれは東もかもしれないが、だれもそんなことは言わない。自分にその役回りがくることだけは避けなくてはならないからだ。リーダーシップをとるべき案件に軽率に借り出されがちな東を思うと、手を合わせたくなる。南無。
「つまんねーこと言ってねーで、手伝ってやれよ」
お世辞でも笑ってやらない諏訪だが、その意図がわかったことだけは告げてやるのはやさしさだろうか。けだるそうに口から煙がはかれる。
「野球経験者一覧は送っといたよ。コーチとして招聘なさいと。さすがに負けっぱなしでは困るから」
人事部に籍を置いている彼女は、履歴書のデータをのぞく権限をもっている。特技や部活動の欄をチェックしたのだろう。
「あと、こないだの試合でいいカメラマンを見つけたし、その子の写真も根付さんに提供した」
そして、職務にかかわらず女は野球好きであった。球場までちゃっかり出向いているのもおかしな話ではない。あいにく諏訪は万年補欠レベルで、野球の才能がない男であった。野球観戦が好きだからといって、プレーする側にまわれるわけではないのだ。残酷な話である。
「そういえば、笹森くんに謝られたよ」
「なんで」
女は唇を小刻みにゆらしながら、煙と笑いをとばす。
「出てあげたいんですけど、部活が忙しくて、って。諏訪さん下手くそでごめんなさい、って」
「なんでんなことを詫びられてんだよ」
「わたしが聞きたい」
喉の奥を鳴らす女に、諏訪は故障しかけのブラウン管テレビを直す要領で頭をいちど叩いてやった。いてっ、という声とともにゆれる肩は止まる。
「社会人になると、なぜかみんなフットサルに行くんだよね。おまえ、サッカーべつに好きじゃねーだろ、ってやつもさ」
「ボール一個ですむから、手軽なんじゃねーの」
なーるーほーどー、と女はその見解に同意を示す。
「まあ、だから身近な人たちがする野球を応援できる機会って、貴重なわけよ。洸太郎は、試合後の飲み会のことしか考えてないだろうけどさ」
ずばり、ほとんどそのとおりであった。身体を動かしたあとにぶつけるビールジョッキの音とひと口目ののどごしのよさは、格別であった。もちろん、身体を動かす出番がなくとも、ビールはいつでもうまいが。
「そういう自分だって、来んだろ」
その会には、ほぼ間違いなくこの女が来るということが、諏訪にはわかっていた。
次回の試合は日曜日のデーゲームで組まれているので、彼女は試合会場にもやって来て、宴会会場にも足を運ぶだろう。隣で煙草をふかしている女もまた、飲酒を日課としていることを諏訪は知っている。
そりゃ行くけども、と諏訪の想定どおりの返答をした女は、
「ちなみに今度の日曜、洸太郎スタメンだからね」
間を空けずに、想定外の発言をした。
「はあ? なんでだよ」
万年補欠の男がスタメンをはるなどというのはおかしな話であるし、それを監督でもない女が確定事項として伝えて来るのもまた、おかしな話であった。
「根付さんに写真のデータ送ったときにさ、グッズのサンプル発注かけるなら、文字数も画数も多くてなんかぐちゃぐちゃしてる名前で試しましょ、って言ったら、たしかに。って、返ってきた」
もうすぐタオルのサンプルあがってくるから見に来たらいい、って根付さんから連絡あったよ、と女はにやりとする。
「たしかにデータ拝受いたしました。ではなくて?」
「たしかに言えてる。諏訪洸太郎にしよう。でしょ」
もう監督(代行)にはオーダー変更を依頼済みだと言うのだから、この女の手の回し方にはほとほと呆れる。そもそも、根付も根付である。いくら広報部隊の嵐山たちが試合には出ないとはいえ、諏訪でいいのか。もはや根付もこの悪巧みをおもしろがっているのか。
「だからね、出来立てほやほや、諏訪洸太郎タオルを掲げるため、スタメンにしてもらうの」
「いやいや……。だとしても、代打とかでいいだろ」
「打てないやつが代打してどーすんのよ」
「マジで、見られたくねーし、そんなの掲げられたら、世間的に死ぬ」
「反抗期の子みたいなこと言わないで」
ぐりぐりと灰皿に煙草が押しつけられる。そろそろ彼女の休憩時間はおしまいだ。
諏訪は風間、寺島、木崎という、同じくベンチに入るであろう同い年の面々を思い浮かべ、その後の自分の処遇を想像して頭をふった。
「わたしだけは絶対に、諏訪洸太郎選手を応援するからね!」
片手をひらひらとさせてブースから出ていく背中を、ぼんやりと見送る。
いちばん応援されてうれしい女に、いちばん見られたくない。そんな矛盾は抱えこむことしかできず、諏訪はひとり煙だけをはいた。