初夏の大学構内は初心者マークで溢れかえってるよね。
大学四年のじんわり汗ばむ時期だった。緑と黄色のツートンカラーのそれと異なる色を、彼女がそう例えたのを覚えている。
首元に赤い印を携えた女の子たちが、それを隠す術なく、もしくは所有されていることをアピールするために、さりげなく見せつける。
その箇所に絆創膏を貼り付けている女の子もいるが、なにがどうなるとそこに出血するほどの傷がつくと言うのだろうか(ヘアアイロンで火傷した・蚊に喰われた、という言い訳はよく聞いた)。
「お付き合いはいざ知らず、身体の関係をもったのは、大学生になってからなんじゃないの」
キスマークは、初心者マークと、おんなじ。
ラウンジでパックのジュースのストローを啄みながら見解を述べた彼女が果たしてどちら側の人間なのかは、証拠不十分で判断できなかった。
「あ、このポテサラ、おいしい」
「たしかに、うまいな。最近にしちゃ珍しく、凝りすぎてねーって言うか」
「ね」
箸先からうんと遠い位置で箸を持ち、器用にポテトサラダに混ぜられていた人参をつまみ上げて、彼女が口元に運ぶ。
天に近い位置で箸を持つ人は、親との関係性が近くないんだって、といつか迷信垂れていたのは彼女だったと思う。
「つーか、また聞かれたぞ」
「ん? ……あー、あの話ね」
唇を軽くへの字に曲げて、彼女にしてはかなり不愉快そうな表情を浮かべた。
本部からこの店までの道でも、寒すぎる、と文句を垂れていたが、あのときやたらとボリュームがありすぎるマフラーに隠れていた口元もこうなっていたのではないだろうか。
ボーダー内の大学生を喰っている一般職員がいる。
ここ一年ほどの間で、じわじわと広がっている噂だった。
サークルクラッシャーならまだしも、組織をクラッシュするのはやめていただきたい。というのが、わりと長く組織に所属している隊員たちの言い分であった。
もちろん、別の意見もある。そんな、手軽にできる人間がいるのなら、ぜひお近づきになりたい、と。
「実際、どーなんだよ。そのへんなんか知らねーの」
「それ、諏訪が知ってなにかいいことあるの」
とはいえ悪いこともないだろうけど、と彼女ははひとり言のようにつぶやいて、ししとうに手を伸ばした。
「おめーはもう隊員じゃねーとはいえ、俺と同期ってことになるからな。噂の真相を隊員の周囲から確かめに来ようとするやつはいんだよ」
「じゃあ、否定しといたらいいじゃない」
まぶたをぱちぱちと閉じ開きして、俺の目を迷いなく見据える。なぜそうしないのだ、と彼女は言わずとも目で語っている。
俺が黙ったままジョッキの取っ手に手をかけたときには、彼女は俺の言いたいことが伝わったらしい。
「わたしが、大学生の男の子と恋愛しようとすると思ってるわけ」
「……これに関しては、かならずしも恋愛する必要はねーだろ」
おたがいに手元のジョッキを持ち上げて、薄く残っていたビールを胃に流し込む。
「仮にその一般職員が存在していて、それがわたしだったと仮定して見解を述べるなら」
ジョッキを置いて、彼女はメニューの冊子をぺらぺらとめくり日本酒のリストに目を落とす。
「彼らは、日常や生身が自分にもあるってことを再確認できる相手がほしいだけなんだから」
わたしじゃなくてもいいんだよ。
肩をすくめて、彼女は人差し指を当てながら、銘柄をひとつずつ確認している。
もしその一般職員がこいつだったとして、そもそも噂になるようなヘマはしねーだろうな、と都合のいい解釈をする。
暗いブルーのタートルネックが覆い隠している首筋に咲く朱の色を想像して、深く息を吸い込んだ。