高校三年生のときのクラスは、所謂高校生らしい弾けるような、真夏の光線のようなまばゆさとは、無縁だった。和気藹々と一致団結で楽しむような感じではない。かといって、特別ギクシャクしていたということもなかったけれど。そもそも三門市全体として活気に欠けているところはどうしてもあったし、仕方のないことだ。

 卒業式を終えた教室にはわたしを含め、男女ふたりずつ、四人が残っていた。それぞれ、ほかのクラスのだれかを待っていたのだが、そのだれかたちはぜーんぜん現れず。うちのクラス以外は、結構仲がよかったのだ。わたしたちは四人でこそなにかをしたことはなかったけれど、少なくとも一年間同じ教室で授業を受けていた間柄ではあった。だから、ぽつぽつといろんな話をして、ついにはカラオケでも行くかあ、と連れ立った。後回しにされた者同士の自棄だったのか。今の今まで知らなかっただけで、知ろうとしなかっただけで、本質的に理解しあえるところがあったからなのか。意気投合した。何時間も歌ったし、喋ったし、高校生にとっては割高なお食事まで頼んだし、ゲームセンターにプリクラまで撮りに行った。
 だけれども、これはこれからも続いていく時間ではなくて、今日このとき限りのものであろうと、わたしはじりじりと胃が焼けていくようなやるせなさを感じていた。大学進学のため、四人のなかでわたしだけ三門市を出るから。もしかしたら三人の関係性はこれからより深まるのかもしれない。それを想像するだけでマイク片手に絶叫したいような気持ちになったけれど、ほんとうはその展開もあんまりうまく思い浮かべられなかった。それくらい、刹那的だからこそ、生産された夢心地な空間だったように思っていた。

 予想とは裏腹に、わたしたちの交流はわたしの帰省によって継続している。ゴールデンウィーク。夏休み。年末年始。四人のメッセージグループに帰省の連絡を入れると、いつも飛行機の到着日時と滞在期間、そして食べたいものを問う返信が届いた。三人は三門市にはいるけれど、違う学校に通っているし、アルバイトなどもあって、予定をわざわざ合わせることはほとんどないらしい。
 成人式も、わたしたちはみんな別々の学区なので、会場も、連む人間たちも違った。だけど合間を縫って、中学校の同窓会会場になっているホテルが連なる区画近くの郵便局の前で顔だけ拝む、というよりその普段と違う衣装だけ見せあいっこして楽しむことにした。
 いちばん乗りで待ち合わせ場所に着いたわたしは、建物の影に身を潜め、色とりどりの振袖や真新しいスーツの隙間から三人を探す。そして、彼らがわたしに気がつく前に、わたしはスマートフォンのカメラを起動して、シャッターボタンをタップした。隠し撮りである。成果物を彼らに見せれば諏訪も鼠をとってきた猫のように、郵便ポストの横に佇む振袖姿のわたしがひとり映る写真を表示させた。いつのまに。
 悪ふざけでふたりしておたがいの間抜けな写真をスマホの背景に設定したけれど、洒落にならない感じがしたので帰りの飛行機に乗ってから変更した。
 そうして二回季節がまわって、三巡目。大学三年生の春。わたしは第一報を諏訪にだけ送った。べつに、2:2でくっついたわけではない。いつも車を出すのは諏訪で、空港からのアクセスが悪い三門市に帰るには迎えの車の有無は重要だったからだ。
 最初に顔を合わせるのが諏訪だけになるというだけで、わたしは実家に荷物を置いて、もういちど車に乗り込み、諏訪が実家に車を置いて、ふたりで居酒屋かバルに向かって四人で集う手筈だ。もちろん親に迎えを頼むという選択肢もあるのだけれど、諏訪の都合に合わせて、わたしも帰省の日程を調整した。

 新緑頃。南到着口を出てすぐの路肩に見慣れたセダンが停まっていた。だれも座っていない後部座席にボストンバックを置いてから助手席におとなしく座ったわたしをしげしげとながめて、諏訪は言った。
「まつげ、長くなったな。」
「えっ!」
 偽物のまつげを両目に貼り付けていたわけではない。わたしはこの数ヶ月、ネットで購入したまつ毛美容液を毎晩律儀にうすく生え際に塗って寝ていた。申し訳なさ程度に存在していたまつげは自分でもおどろくほど育ち、長さを保っていて、女友だちにも薄目をつくっては見せびらかしていた。
 やっぱ、わかるぅ? とシートベルトを締めてから運転席にもういちど顔を向けたけれど、すでに諏訪と視線は交わらなかった。

 猛暑日。機内で冷え切っていたはずなのに、空港から一歩出ただけで身体中の血液が沸騰し始めそうだった。黒塗りの自動車からはもはや湯気がみえるような気さえする。ドアを四度開け閉めする時間も惜しく、ボストンバックを抱えたまま助手席に飛び込む騒々しいわたしを、煩わしそうな諏訪の目が見据えていた。
「ほくろ、とったろ。」
「……えっ」
 諏訪はフロントガラスの向こう側を見たままつぶやいた。
 わたしはわりと白い肌をしていて、ぽつんとひとつ頬にくっついている小さなそばかすがずっと気になっていた。それで、お得な美容モニターの話を先輩にもらって、とりに行ったのだ。そばかすだと思っていたそれは諏訪の言うとおり、ほくろだったのだけど。あまり大声では言いたくはないなというちょっとした背徳感もあり、女友だちにも進んではアピールしなかった。大抵のことはメイクだと言い切れば誤魔化せるのだから。
 だれにも気がつかれなかったのに、とバックに仕舞わず手に持っていた、黒いリボンの巻きついた麦わら帽子をダッシュボードに放り投げる。諏訪はセンターコンソールからサングラスを取り上げて、ついでにわたしの膝の上の荷物を引きずり遠慮なく後ろに放った。

 そして、現在。冬の雨夜。
 ふたりが四人の集会をわたしの到着日ではなく、その翌日に設定してくれと言うので、わたしと諏訪は了承した。それならば諏訪は迎えに行かないと言うかな、と思ったけれどそんな連絡はなく。代わりに、前日に再度時間を確認する電話があった。
 あくびをしながら到着口の自動ドアをくぐると、背の高い観葉植物の横に諏訪が立っていた。背後の胡瓜におどろく猫のように飛び上がりそうになった。こんなこと今までなかった。想定外。メイクはいつも、この先のお手洗いで直すのに。完全に油断していた。
 迎えに来てくれたあとの予定はなにも決めていなかった。実家に送り届けてくれる交通手段として諏訪は働くだけなのだと思っていたけれど、諏訪はわたしに晩ごはんの希望を尋ねながら、ボストンバックを引ったくって、片手で担ぐ。わたしは代わりにコンビニのホットドリンクを入れるカップを握らされた。口は開いていなくて、まだ温かい。わたしのための飲みものらしかった。
 立体駐車場の出入り口に迷いなく向かっている諏訪の足が、空港内でなにか食べるつもりで、わざわざ車から出たわけではないということを示している。わたしは諏訪の横に並んで看板広告を指差し、蜜柑かなと答えた。まったく本気ではないことが、諏訪も空いているほうの手でわたしの頭を叩いたから、わかっているはずだ。
「男でも変わったか。」
「……えっ?」
 助手席で、コーヒーのはいったカップを両手で持って視線を落としていたわたしに目をくれることなく、諏訪はわたしに問いかけた。その声にわたしはそっと右側に視線だけ向ける。
 信号待ち。ワイパーが定期的に雨粒を払い、暖房が懸命に車内を温める機械音と諏訪のスマートフォンから流れている音楽が沈黙を埋めている。
 付き合っている男が変わっただろう、という意味だと受け取った。しかし、今回ばかりは、まつげとかほくろとか確実に変化したものがないので、身に覚えがない。メイクがよれているのを差し引いても、服装も香水も体型も声のトーンも、とくに変わらないはずだ。取り繕っているというわけでもない。いたって本人的にはふつうなのだ。それに、別れただけで、次はいない。だから、変わったというのは正しくない。
 そういう諏訪は、なにも変わっていないのか。わたしはちっとも諏訪の変化に気がつかない。
 いいや、そんなことはない。黒髪は暗い黄色に染められた。煙草の銘柄が変わった。ボーダーの影響かそのへんの大学生よりずっとしっかりしていて、髪色からしておそらくこのまま就職するのだろう。そして、女の扱いにもずいぶんと慣れてしまった。そういうことに、大なり小なりちゃんと気がついている。それなのに、いちいちわたしが口にしないのはわたしが諏訪の変化を望まず、見たいものだけを見ようとしているからかもしれない。  
「……変わってないよ。」
 自分のとなりの窓に目をやって、目的地はどちらが決めるべきだろうか、正確性の足りなかった回答に情報を付け足すべきだろうか、と考える。いっぽうで、そんな無粋なことをしなくても、なんて、わりと根拠のある希望的観測。
 諏訪がブレーキから足を離してアクセルに踏み替えた。サイドミラーにくっついている水滴に吸い込まれた街の灯りが、きらきらとすべり落ちている。
 きっと、変わってなんかいない。あの日から、ずっと。