行方不明のリリーフカー

「たまには忍田さんも、外に行ってきなよ」
 ──迅のやつ、視えていたな。
 普段なら到底でかけるはずもない関西に出向いたのは、めずらしく迅のすすめがあったからだった。迅がそういうのだから、三門市の安全は近界民によるなにがしに関しては保証され、不幸は起こらないということと等しい。
 大阪でのスカウト活動をかねてセッティングされた少年野球チームとの親善試合終了後、米屋のホームランボールにサインがほしいというリクエストを断る理由はなかった。子どもがグラブでキャッチした映像が、モニターにも流れていたことを覚えていた。
 控室に米屋を連れて入れば、駆け寄ってくる少年の髪をわしゃわしゃと犬のようになでる米屋を見て、この先は任せてしまおうと思った矢先、
「忍田くん」
 そう、ラフな服装と薄い目から浮いた、淡いピンクのリップの引かれた唇が名前を呼んだのだった。きっとこの再会を、迅は視たに違いない、という確信めいたものがあったし、事実そうなのだろう。

「敗戦処理投手って、いいよね」
 十年以上前、高校生。忍田くんではなく真史、と呼ばれていたころにそんな言葉を発したのは、今目の前にいる女だ。
 彼女はソフトボール部のエースだった。敗戦処理をする投手の気持ちなど、彼女には想像もつかないことだろう。そもそも、コールドゲームにさせないだけの投球ができる選手というのは、公立高校の一部活動の部員のなかにそう何人もいるわけではない。だから、彼女の言うところの敗戦処理投手は、あくまでも自分たちの部活のなかの話ではなく、NPBとかMLBといった、プロの話だった。
「縁の下の力持ちっていうか、なんていうか。でも、絶対に必要じゃん」
「エースも必要だろう」
 そりゃあ、そうだけども、そういう話じゃないじゃん、と彼女は反論した。
 彼女の存在がどれだけ貴重かということを、わざわざ愚直に主張するほどに、俺は彼女の味方でありたかったのだろうと思う。
 敗戦処理が楽だと言うわけじゃないけどね、と彼女は続けた。
「ただ、途中で出てきて、ちょっとのんびりプレーできたら楽しいことも増えるかな、って思ってさ」
「部活動なんだから、気負いすぎるなよ」
「言ってくれるねえ」
 最後の大会は県大会まで突破して、何試合目かで負けたはずだ。彼女は泣きも喚きもしなかったが、きちんと全試合を投げきったことだけは記憶している。

「ずいぶんデカいんだな」
「図体はまあまあデカいけど、まだ小学三年生だよ」
 米屋とあれこれと話している様子の彼女の息子を顔だけ向けて確認して、ふたたび彼女のほうへと戻す。
 産んだのは大学は卒業したあとね、と別れの理由として自分が県外への大学進学をあげたことを覚えていたのだろうか、彼女はつけ加えた。「甥っ子だよ」とか「友だちの子だよ」といった言葉を、どこかで期待していた自分に苦笑いがもれる。
 男の子は母親に似るというが、たしかに目元が似ているような気もする。目の前に比較対象があるのに似ていると言い切れないのは、そこに紛れもなく彼女だけではないだれかの遺伝子が介在しているからなのだろう。
「息子が野球やってるから観に来たんだ。そしたら、ボーダーに入りたいとか言い出しちゃった」
 思い切り目を細める笑い方は変わっていない。そりゃ、大歓迎だけどさ、と俺もつられて笑う。
 ネイルも施されていない殺風景な左手が、駆け寄ってきた息子の頭をなでる。あのころのほうが、投げるからと、きれいに手入れしていたように思う。気をつかう場所が変わっただけで、彼女は子育てという第一線にいて、ちょっとのんびり、なんて、まだまだできていないのだ。
 開いた口を閉じられないが、出す音も選べない。これから軽く飲みにでも? 子連れにそんな誘い文句は不適切だろう。それに、指に足りないものがあるとしても、その存在がないとは限らない。
 ──俺は、迅に視えたものは、なんだと思ったのか。
 今もきっと三門市を飛び回っているであろう迅に助けを求めてみたかったが、おれは視えるだけで聞こえないよ、と笑われるだけだろう。