short hair

山田利吉(落第忍者乱太郎)現代設定

 喫茶店のガラス越しに、頬杖をついてぼんやりと外を眺めていたショートヘアの女性と目があった。あ、のかたちに口をあけた彼女は短い髪をかきあげながら、挨拶するように片手をひらりとゆらす。俺も同じようにひらいた口を閉じて、口角を上げた。
 用事を済ませ、本家に戻る前にこのあたりには一軒しか存在しない喫茶店のパーキングに駐車して、車を降りたあとだった。車内で冷やされた身体がじわりと滲むような湿気にあっというまに絡めとられて、額から汗が噴き出すようだ。
 ころん、と扉が軽い音をたてて、入店の合図をする。俺はとくにためらうこともなく、彼女の座っている窓際のふたり掛けの席を引き、彼女も俺の動きを怪訝な目でみることも、ことばを発して咎めることもしなかった。
「レアキャラだな」
「田舎のお盆は戻らねばね」
「よく言うよ。何年ぶりだっての」
「いーの。わたし、長女じゃないし」
 まあ、わたしも大人になったのね。
 年齢的にというより、精神的にということだろうか。幼馴染の女は、明るいグリーンの泡立つ液体の上に鎮座しているバニラアイスをスプーンでつつきながら笑みを浮かべた。大人という単語とクリームソーダという飲み物がアンバランスで、悟られない程度に首をかしげる。カウンターからこちらへ透明な袋に入った薄いおしぼりとお冷を手にやってくるマスターに軽く会釈をしたあとで、アイスコーヒーを頼んだ。
 待ち合わせをしていたわけではなかった。だから、おたがい数年ぶりに偶然顔を突き合わせた相手にもう少しオーバーなリアクションをとり、その再会を噛み締めたってよかった。そうしないのは年齢を重ねた落ち着きではなく、両者の気質にほかならない。
「利吉、出張で飛び回ってんだって?」
「そ。ぼちぼちやってるさ。そっちも似たようなもんだろ?」
「まぁ、忙しくやってるよ」
 子どもたちの近況は当人たちが好まざるとて町中を駆け巡る。それが田舎だった。閉鎖的なこの環境を毛嫌いする人間の気持ちも、いっぽうで居心地よく感じる人間のそれも想像はできる。
 進学、就職、転出をしても、親族がこの町にいればそれは頻度を変えるだけで同じことだった。それゆえ、彼女が就職を機にこの町を出て行って、数年この地を踏まなかったことを知っている。かくいう俺も同じような道を辿ってはいるが、毎年盆と正月、もしくはそのどちらかには実家の門をくぐった。ちなみに彼女の五つ年上の兄が年始に家を継ぐため戻ってきたことも父から聞いたばかりだ。
 幼馴染の定義はあいまいだが、この町で同じ時期に生まれ、育った人間たちはみなそうだといっても差し支えないだろう。転出していく世帯はいくらかあれど、基本的に転入してくることはない。ただ、小学校も全学年併せて五人とかいうレベルの過疎化ではなく、ちゃんと学年ごとのクラスは一定数の人数で成立していた。だから、その馴染みに括られる全員が全員、良好な関係なのかというとそういうわけでもない。そんななかでも彼女と俺の関係は、こうして久方ぶりに会っても瞬時に相手を認識し、わざわざ声をかけ、嫌な顔ひとつしないのだから、よかった部類に入るといっていい。
 こちらへ寄ってくるマスターの気配に気がついて視線を横に向ける。サービスね、という耳障りのよいことばを発したマスターが両手で支えているトレイには、オーダーしたアイスコーヒーとともに、ふたつのお皿にひとつずつ置かれたベイクドチーズケーキ。俺と彼女は目を見合わせ、そしてすぐマスターに向き直り頭を何度か下げた。
 もちろん、こんな町で顔や名前を知っていて、どれだけ年を重ねて姿形が変化しても記憶に当てはめられることには驚かない。加えて、マスターの孫は俺と彼女の同級生だ。そうではなくて、俺と彼女がここで一度か二度、このケーキを注文したことをセットで覚えているのだろうということに驚愕し、同時にどこか懐かしさと安堵、形容しがたい気恥ずかしさを覚えたのだった。
 ガラスの向こうを、二人乗りした男女の自転車がのろのろと横切ってゆくのをみながら、彼女はフォークでケーキの端を切り崩している。彼女と同じようにそれを追いながら、いつかの夜の近い薄明かりの夏の日が脳裏にちらつくのをやり過ごそうとした。
「利吉の後ろに、いちど乗ったよね」
「あぁ……、あったな」
 彼女も彼女で同じ思い出をなぞっているかもしれないとは思った。というよりも、少しセンチメンタルに期待していた。だが、実際口に出して確認作業がとられるのは想定の範囲外だったので面食らう。どういった反応が適切だったかはわからないが、それは確かに現実にあったことだと肯定するだけにとどめた。


...

 この町の小中高生の移動手段として、原付かママチャリは必需品だった。もちろん、十八の誕生日を迎えれば普通自動車免許─── AT限定じゃなくてMT───の取得は義務教育の一貫のようなものだった。
 兄のお下がりの自転車がいよいよパンクした。教習所には行かねばならない。送迎バスの停車場まで徒歩で行くのはきつい。暑いし。いや、そもそも歩けない。無理。 そういうわけだから、と制服姿の彼女は同じ目的地へ赴く必要がある俺の自転車の荷台に、行きしも帰りしも、またがっていた。
「免許、いらないんじゃないの」 
 都会で車は乗らなくても生きていけるじゃん。
 ペダルを踏み込み続ける“都会”の大学への進学を希望する俺を彼女は背後で揶揄った。この町からも出て、県外の大学へ進学する、というのは俺くらいのものだった。 河川敷に太陽がまだ見切れているのに、ぽつぽつと等間隔に並べられた街灯がもうついている。自動点灯時間が冬場と同じ設定になっているのだ。
 腰に手をまわしておけと言っても彼女は聞かず、その手は荷台を握りしめているので体温は感じられない。
「免許取れたら、いっしょに練習するか」
「小言がうるさそうだから、やだね」
 学区に公立中学は一校しかなく、高校も私立に行かないのであれば選択できるのは一校しかなかった。そうして高校まで同じ校舎で過ごした幼馴染たち、もちろん彼女とも、数ヶ月後には道を分つことはほとんど確定していた。
 言うまでもなく、徒歩や自転車で通える大学はない。歩けば一時間はかかる駅から何十駅か通過した場所にひとつ。あとはもう、同じ県内だとしてもそのほかの大学へ進学するということはイコール下宿するということだった。それでも片道二、三時間であれば実家から通うという猛者もいる。彼女はおそらくその変わり者だ。一人暮らしのお金がもったいないじゃん。というのが彼女の持論だった。
 そうしてとつぜん、俺ははたと思う。
 まるで、俺がここに戻らないようないいぐさだな。
 また定住するかはさておき、実家がここにあり続けるなら帰省もするだろう。車の運転はできるに越したことはないのだ。上げていたスピードをゆるやかに落とせば、ぐらついた金属のかたまりから振り落とされたくないと、腹部を圧迫する力が外から入る。彼女の父がかわいがっている盆栽が所狭しと並ぶ玄関には、まだもう数分の距離があった。
「……なぁ」
 左に重心を寄せてついに停止した俺の背中に彼女の額がぶつかった。文句と心配の声をひとしきり出してから彼女は手を解き、低くなった左側からよろりと地面に降り立つ。顔半分を凝視されていることには気がついていたが、それでもじっと黙ってハンドルの間に視線を落としている俺に彼女は首をかしげた。
「なに?」
 ゆっくり彼女のほうを向くと、彼女と俺の目線は思いがけず一直線だった。身長差からくる普段の視線とちがう違和感がぞくりと背中をさするようだった。簡単に触れられる距離だった。左手を離して、腕を伸ばす。そのまま彼女の頬にはりついていた短い髪の毛を耳にかけた。
 彼女は肩をゆらすことも、一歩二歩と後退することもなく、俺の行動の意図することをはかりかねているようだった。それは困ったことに俺も同じだったので、俺もただまばたきをくり返した。触れている耳の裏はしっとりと汗をかいている。彼女の髪から耳がひょこりと出ているほうが、そして彼女がいつもそうして耳が顔を出す瞬間がすきなのだ。だけれど、だとしても、そんなことは説明にならないのは明らかだった。
「……なんでもない」
「……、」
 俺がだらりと腕を下げると彼女はいちど開いた口を結んで、カゴから自分の分のスクールバッグを取り上げた。
 ここでいいよ、ありがとね。
 あつかった。夏のせいだけではなくて、上半身に他人の熱がまとわりついていた。遠ざかってゆく短く切り揃えられた毛先が、えりあしだけ跳ね上がっているのを、見えなくなるまで追いかけた。


...

 俺が戻って来さえすればそこに彼女はいるのだと思っていたのが誤りだった、と気が付いたのは二回生の夏だった。
 ぜんぜん家に帰って来てないみたいよ。泊まれるとこがあるんでしょ。
 そうめんをすする息子の幼馴染の女の近況を勝手に喋り出した母の声を聞き流しながら男だな、と直感した。友人ではない、恋人だろう。どれだけ親しくしていても友人との同居生活はもって一週間だと、俺も身をもって知っていた。二、三時間の移動に辟易したのが先か。大学の近くに下宿していた男を見つけたのが先か。男が彼女を口説いたのが先か。彼女が男に惚れたのが先か。そんなことは、なんでもよかった。
 あの日とは違うカラーリングと今時のフォルムになったショートヘアは彼女の輪郭にそっておらず、耳たぶに華奢なピアスがゆれているのがはっきりとみえている。
 彼女が明日だか明後日だか、空港まで車で迎えに行く手筈になっている人物について触れることはできないまま、もちろん、俺も同じ理由で同じ場所へ車を走らせることは言い出せないまま。どうせやって来るならどうして一緒に帰省しなかったのか。自分にもはね返るそんな問いかけもできないまま、チーズケーキ代は支払ったほうがいいだろうな。そうつぶやいたら、大人だからね。と、彼女はフォークをちいさな口元に運んだ。

Afterword

 

  • 喪失感を抱えたまんま諦めきれない十代のあの日を、小雨さんなら爽やかな文体で彩って綴ってくださるだろうと思って選曲しました。大正解でした!ニケツするのに腰に手は回さず、「大人だからね」とフラットな対応の彼女に、あと一歩近付けないもどかしい山田利吉、すごく良いです。素敵なお話をありがとうございました!(選曲者:迂路)
  • 変わり続ける君を変わらず見ていたいよ、のフレーズが浮かんで、しめつけられる余韻が素敵でした……リクエストした話+もう1話が毎回読めるって改めてすごい企画だと思いました。ありがとうございました。(によ)
  • ベボベのキラっとした情景、そのまぶしさの副作用かのような吐き気の感覚は唯一無二ですよね。ずっと書いてみたかった利吉さんに挑戦してみました(現代設定ならもはやキャラは誰でも書ける説)。シティーボーイの根っこは田舎者。読んでいただき、ありがとうございました。(編曲者:小雨)Jan 31, 2022