嘲笑うのは三日月
玄関の前でふと立ち止まる。自宅兼事務所から漏れてくる光はなく、真っ暗だった。
事務所にまるで自宅かのように居座る黛も「実家でクリスマスパーティーするので、お先に失礼します!」と慌ただしく退勤し、ローストチキンでも張り切って焼きましょうか、と腕まくりする服部さんも早めに帰ってもらったし、その料理を期待していた蘭丸の訪問も未然に阻止した。
クリスマスイブだからといって、そのために何かをするのは勘弁だ。そもそも、私の日常は一般家庭のクリスマス以上に輝いたものなのだから、そんなことをわざわざする必要はない。オレンジ色の淡い光に包まれて、家族でいつもより豪勢な料理とケーキを囲む。部屋の隅には少し予算をオーバーして購入した大きめのクリスマスツリー。はしゃぎ疲れて眠り、目が覚めるとずっと欲しかったものが置かれている。そんな見栄と嘘の二日間に生産性はない。おそらくそのような幼少期を過ごしてきたであろう、いや、もしかしたら今も過ごしているのであろう女のまとう黄色がちらちら点滅信号のように浮かんでは消えてを繰り返す。
少しばかり飲みすぎた。コートのポケットに手を突っ込んで久しぶりに持ち歩いた家のキーを捕まえる。
「せーんせー」
一瞬にして腰に手を回され背中に顔を押し付けられ、思わず前につんのめる。えへへ、と締りのない笑い声が背中越しに伝わる。ああ、天を仰ぐと、東京にしては珍しくいくつか星がはっきりと確認できた。
「なーにーをーしている!アラサーにして実家でのクリスマスホームパーティーはどうした!」
「ふふふ、もうお開きになったんです、あ、せんせい、いつもの匂いと、ちがいますね」
回されている腕をひっぺがした拍子にバランスを崩した黛はそのまま盛大に尻餅をつく。
「別に私がどこのどんな女といようが勝手だろう、構うな、匂いに反応するなんて、お前は犬か」
頬だけでなく耳まで赤くした黛が酔っ払っていることは明白だった。すん、と鼻をすすった黛は、やっぱり女の人といたのかあ、そうなのかあ、などとぶつぶつ呟いている。寒いなあ、コイツ置いて家に入っちゃおうかなあ。
「・・・先生、起こして」
ひらひらとこちらに向かって振られる右手を払った。その行動に抗議する黛の声を聞きながら目をつぶり、数時間前に見た女の陶器のように冷たそうなまっしろい裸体を思い出す。ひとしきりそれを眺めても、結局女の名前は思い出せなかったし、それだけだった。ぬくもりを感じるべき日に、そうでないものに進んで触れることが、今の私にはできなかった。
「明日は、服部さんと蘭丸くんと、先生と、私で、パーティーしましょーねー」
へらへらと再び笑い始めた足元の女に手を差し出す。しっかりと握られた冷たい手を、必要以上に引いて抱き寄せてみる。胸に顔をうずめた彼女はおおきく息を吸い込む。
「他人の匂いがします」
「しつこいやつだな」
乱暴につやつやの髪の毛を引っ張って顔をあげさせる。「ひどいなあ」彼女の唇はまるで三日月のようだった。