「未来が視えるって、重くない?」
 食堂の受け渡し口から顔を出した彼女は開口一番そう尋ねた。
「そういうオブラートに包まない言い方、嫌いじゃないですけど」
 彼女は数年前まで訓練生だったが、あまりにも才能がないのでボーダーの食堂で働くことを選んだらしい。隊員時代の彼女のことはまったく記憶にないので、概ねそういうことなのだろう。何度か食堂でお世話になることもあり世間話をする程度の仲にはなった。彼女は忙しい時間帯だったとしてもだれにでもひと言ふた言声をかける、コミュニケーションを得意とするタイプの人間である。
 お昼時を過ぎた現在の食堂には人が疎らで、おれ以外に受け取りを待っている人は見当たらなかったので、定食の載ったプレートをそのままテーブルへは運ばないことにした。
「重いもの背負わされて闇落ちする主人公の戦友みたい」
「ひどいこと言いますね。たしかに漫画の王道展開ですけど」
 彼女はいくつかの漫画を例にあげはじめたので、やめさせる。
「相手が今後どう動くか、わかるわけでしょ? 恋愛とか楽しめるの?」
「未来の景色は視えても、相手の感情が読めるわけではないですからね。何でも絶対というわけではないしなあ」
「付き合ったっぽい光景とか視えたら、盛大なネタバレで狩猟本能が掻き立てられなくない?」
「……うーん。そういう観点でよく考えたことなかったな」
「暗躍に忙しいもんね」
「言い方、言い方!」
 独特の笑い声を出して目を細める彼女の笑顔は人の警戒心を解く。過去は視えないので幼い頃からそうだったのかはわからないが、後天的な、処世術のような気がしないでもない。人懐っこくみえるが、多分、彼女から近づいていく分には問題ないが、こちらからあまりにも近づきすぎると、嘘のように距離をとられそうだ。
「最近よく本部来るね。何かあんの?」
 おそらく、こちらの話が本題だった。人はだいたい話をするとき、重要なほうを後にもってくるものだ。「ついでに聞いただけですけど?」とでも言うように。
「おれ、疫病神みたいじゃないですか」
「似たようなもんでしょ?」
「傷つくなあ」
 数日後に迫っている侵攻で、彼女が被害を受ける未来は視えない。
 彼女が怪我をしたり最悪死んだりする未来が視えたとして、おれがそれを遠ざけようと選択したとして、それは実際、おれのエゴでしかないと思う。おれが、罪悪感から逃れたいだけなのだ。もしかしたらその未来だったり、その未来のまた先だったりが、彼女の望む未来だった、という可能性だってゼロではないのだから。
「がんばれとは言わん。応援してる。迅ならできる!」
 彼女はこぶしを突き上げると、「ごはんが冷める!」と言っておれにテーブルへ向かうことを促したので、従った。

***

「え、何、こんなところで、どうした?」
 彼女の言う“こんなところ”は、橋の手すりの上だった。彼女が手すりに座ってぼうっとしているおれを見つけたのだ。
「……もう、びっくりしたから! 自殺志願者かと思った! 迅で何よりだよ!」
 遅れて驚きと安心の感情を理解したのか、彼女は静かな夜によく響く大声で失礼な発言をした。ついでに彼女が連れていたシベリアンハスキーも「わう」と低く鳴いた。
 想定していた未来の、二、三番目くらいにはいい結果になった。最善を尽くした。でも、これが終わりではないのだ。犠牲がなかったわけではない。こうなる未来がおれには視えていた。それでも、その上でおれは、その人たちを切り捨てたのだ。おれは彼らのある未来を選ばなかったのだ。
 あと何回何十回何百回同じことをくり返して、思い描く未来までたどり着くのだろうか。そしてその未来はきっとおれが求めるゴールではない。
「ここに来たら会えるって、おれのサイドエフェクトが」
 眉間にしわを寄せて「理解不能」を表現している彼女の顔はかわいくはない。
「慰めてもらえるって……そう言ってた」
「何それ、ウケる」
 人との距離感というのは、いちど間違えるとだいたい取り返しがつかないものだ。それでもひとりでいることに耐えられない夜は無差別に無遠慮に降ってくる。
 飼い犬にするのと同じように、豪快におれの頭をなでまわす彼女の手の感触を深く味わうために目を瞑る。彼女の未来をおれのわがままで、おれの都合だけで、彼女が望まない方向へ、強引に動かしてやりたい。——そういう男女関係の楽しみ方は、不道徳的で始末に負えない。