ベタなパターン。放課後の教室にはおれと目の前の女しかいない。一年の時に同じクラスだったはずだが、名前は忘れてしまった。でも、この女が付き合っていた男のことは覚えているし、その男の交友関係も記憶にある。おれにとってはそういう人と人との繋がりを把握しておくことのほうが名前以上に価値がある。
 好きですとのことなので、ありがとうと返したが、その意味を問われる。気持ちはうれしいけど今は彼女をつくる気がないんだと言えば、食い下がる。うーん、これはダルい。察しの悪い女は苦手だ。しかしここであまり強い言葉は使いたくない。
 ガシャン!
 教室のドアに何かが激突したような音がして、向かい合っていたふたりはその方向へ目をやる。いやいや、これもベタなパターン。そこにはいかにも"ばつが悪いです"という表情をつくっている女がいた。こちらはよく知っている。同じクラスの女だ。目の前の女に視線を戻せば、彼女に釘付けだ。それもそうだろう、彼女は校内では多少有名な"太陽みたいに"明るい女の子なのだから。廊下からお辞儀してその場から立ち去ろうとする彼女を名前を呼んで呼び止め手招きする。彼女は入って来ようとはしないが立ち去ることはしなかった。
「おれ、この子のことが好きなんだ。だから、君の気持ちには応えられない」
 ごめんねと謝罪の言葉を述べると、彼女が突っ立っていないほうのドアから小走りで出て行った。その姿を彼女は足音がしなくなるまで見送ってから教室に足を踏み入れた。
「クラスメイトの危機を偶然にも救うのはやぶさかではないんだけども、そのやり方は困るかな」
「まぁ、いいじゃん?」
 まぁ、よくないじゃん? と、彼女は苦笑いをくっつけて自分の机の引き出しをさぐる。
 太陽みたいな子。
 彼女はそう一部から呼ばれている。喜怒哀楽がはっきりしていてその表現がわかりやすく、軽快かつサバサバした喋りは男女問わず人を惹きつけ離さない。
 かくいうおれはまったくそのキャッチコピーには賛同できない。人から求められる要素を詰め込んで生きてきただけ。彼女の処世術。世渡り上手。どうして外面と中身が一致していないという可能性についてだれも考えが及ばないのだろう。もちろんそれを否定するつもりはないし、滑稽とも思わない。ひどく理解できるし、おれがそう思っていないように彼女も苦には思っていないだろう。だってもう、染み付いているものなのだから。べっとり、とかじゃなくて、じんわりと。
「似たもの同士と思ったんだよね」
「だれとだれが」
「おれと君が」
 冗談はよしてよと、教科書をカバンに詰める彼女に、冗談ではないと笑えば"苦虫を噛み潰したよう"な表情をつくる。気がつかないふりも彼女の処世術のひとつだが、気がついていないとは到底思えなかったので、こんなの悪あがきだね。
「好きなのも、嘘ではないよ」
 "驚いて目を丸く"すると踏んでいたが、彼女はおれを見据えてなんとも言えない顔をしていた。通常営業を諦めたのだ。でも、人の表情というのは本来、言葉にできないような繊細なものなのだ。
「わたしは同族嫌悪するタイプだから」
「そう言わず、仲よくしようよ」
 彼女はカバンを肩にかけてから、また明日ねと口角を上げ少し首を傾げながら手を振った。
 リセットするつもりか? おあいにくさま、そんなことはさせない。