目をひくビジュアル重視のパワーポイントがめくられていくたびに隣に座る上司の声質が変わっていく。今すぐにでも立ち上がってテーブルを挟んで向かいにいる男と握手でもしそうだ。アッハッハハって漫画でしか見たことのないような大口をあけた笑いかたをして、上司が吸うセブンスターの臭いまで室内に充満するようだった。モニターにうつる往年のアイドルの写真はそんなわたしたちにおかまいなく不釣り合いなアンニュイな表情をうかべている。「撮影同行とかできるんすかねぇ」「もちろんですよ」。昔上司が狂ったように好んでいた女だからって、そんなことで決めていいの。
 テーブルに置かれていた上司の社用携帯が震えて「ちょっとごめんなさいね」そう言って上司は小走りで部屋の扉を開けていった。

「……あの、この人ほんとうに使うんですか?」
「なぜ?」
「たしかに今もおきれいで、今も若くみえますけど……これはもう少し、若い子向けに売ったほうがいいと思うんです。ユーチューバーとかに宣伝してもらうほうが、まぁ、ちょっと下品かもしれないけど、まだいいと思います」
 それに、上司の趣味に付き合えるほど予算も潤沢ではないんです。自信があるけど否定は怖いわたしは尻すぼみになる声を必死で調律した。
「今、何年目?」
 社歴を聞かれているのだろう。何年目って……左上にそっと置いた彼の名刺に視線をうつし、鉢屋さんの顔に戻す。アンタだってじゅうぶんに若いじゃない。
「新卒ですが」
「それを決める権限あるの?」
「ないですけど……」
「まずは社内政治だなァ」

苦労しそうだが。と、MacBookAirのキーボードを弾いている鉢屋さんに闘う意思を示すべきか考えあぐねているあいだに、ふたたび扉があいた。今度こそほんとうに煙草の臭いがした。居心地が悪い。



「広報部の新人が張り切っちゃって、新製品ローンチのあれこれをさ、広告代理店に依頼したの」「んとこ、そんなデカい会社だったか」ううん。ちょっと竹谷唐揚げ全部食べないで。「それで、失敗したんだな」久々知がケーキ入刀如くお箸で丁寧に冷奴をさばく。「うむ。佐藤浩一がショッキングピンクの軽自動車に乗ってる、みたいなえもいわれぬチラシが上がってきた」「佐藤浩一!? スゲーじゃん!」「バカ。比喩だろ」あ、店員さん、冷奴ください。何個目だよ。せめて揚げ出しにしろ。雷蔵次何にする? えーっと、ちょっと待って。あとサシ盛りデカいのと、焼き鳥盛り合わせもデカいの追加、とりあえず以上で。

「ちぐはぐってことだね」なんで佐藤浩一なの? 昨日アマプラで観た邦画に出てたから。邦画観るなんてめずらしいな。「これって誰が悪いわけ?」ねえ、広告代理店さん? 一同の視線がビールジョッキにほとんど顔が隠れてしまっている三郎に向けられる。さあ。「さあ、って」。

は途中でどうして止めなかったの?」雷蔵がメニューから目を離して問いかける。決まったー? ごめんまだ。「だってわたし、経理部だもん。関係ない」「ま、そういうこった」「三郎だったらどうするのさ?」「の頼みなら黒塗りの軽自動車、くらいには軌道修正してやったかもな」そんな小さな会社を俺らは相手にはしないが。ねえ、ひと言余計だから。

「色が変われば気持ちいくらかマシか……」「やっぱり広告代理店ってのは胡散臭いわ」「バカ言え。金さえ出してくれりゃあ、デザイナーもコピーライターもエース揃えてずらっと並んで出向く」え、いつも代理店の人ひとりで来てたよ。揚げ出し豆腐とお刺身盛り合わせお待たせしました〜。あっ生ひとつ。あ、俺も。じゃあ、5つで。

「そんで、ちゃんと企画書にも目を通し理解しようとして、間違ってると思えば客だろうと遠慮なく言うぜ」「ただ、そうでないなら、ニコニコ笑って企画書と成果物の受け渡しをするだけ、って話だ」はいどうぞ。はいどうも。はいどうぞ。はいどうも。だれのおしぼりよ、これ。

「胡散臭いと話すのは後者に当たった人たちで、そこには実がないからということか」「そゆこと」「兵助、み、ってなに」「中身がないってことだよ」「わかった。三郎は基本的に後者の仕事を捌いているわけね。めっちゃ想像つくわ」生ビール5つお待たせしましたー。あっこれ下げてください。それと、だし巻き卵。焼き鳥盛り合わせでーす。ちょっと置く場所ないんだけど。

「めんどくせー進行管理とか全部やってやんだから、金払うだけの価値あんだろ」「でもさ、フワちゃんがベンツじゃなくてよかったな!」ベンツはメルセデスって呼んで欲しいらしいぞ。なんで? メルセデスっておもに女性に使われる名前なんだって。そっちで呼んでもらって親しみをもってもらいたいらしい。じゃあ案外フワちゃんでいいんじゃね? ダメだろ。

 何度目かわからない乾杯の音頭を取ろうとしたら5つのジョッキがぶつかり合う前にゴン! と左横の衝立が蹴られるか殴られるかの音がして一同視線をくれる。

──鉢屋さん!
 続いて視線が声の方へ向く。ゆでだこみたいな顔をした若い女の子が仁王立ちしている。「わたし、ぜったいにえらくなって、佐藤浩一にメルセデス乗ってもらいますから!」
 ご指名の鉢屋さんは枝豆をくわえたまま片手をあげ、ひらひらさせている。佐藤浩一はマークXだろ。昨日はタクシー運転してた。
 枝豆の皮を三郎に投げつけようと放ったら、ビールジョッキにホールインワン。「今日、三郎の奢りね」「ついでに隣の会計もしてやれよ」「やだね、男連れだったろ」「そこ?」。