国際関係学部の鉢屋と社会学部のわたしが顔を合わせるのは毎週火曜日の英語の1コマだけだった。わたしたちが受けていたのは必修の中でもハイレベルのスピーキング特化のクラス。所謂そういう学部の鉢屋は英語が得意、もしくは好き、必要なのだろうから納得だが、一方のわたしはなぜこのクラスに入れられたかわからない、筆記だけができる劣等生だった(筆記ができてしまったからこうなったのだ)。結局のところ鉢屋は前者で、惚れ惚れする流暢な英語を話した。まるで音楽のよう——なんてことは言わないが、一般大学生のそれではなかった。いいところの高校にでも通っていたのだろうか。留学でもしていたのだろうか。エスカレーター式にこの私立大学に進学したことも考えられる。残念ながら系列校の横のつながりはゆるくてわからないが、鉢屋はこの地域の方言を使わないのでそれは選択肢から消した。わたしのように数年住んでも染まらないタイプの人間かもしれない、というのはあまりありそうにないことだったので検討事項には入れなかった。

 鉢屋とペアでやりとりをする機会もあり、講義終わりにふたりで何度か流れで学食でランチをすることがあった。居心地がよいか悪いかと言われれば、とくによくはなかった。「住む世界が違う」「育ちが違う」——そんな言葉で表せばいいだろうか。少しちがう気もするが、でも、それが嫌ということではなかった。鉢屋の軽口はわたしを笑わせたし、わたしの話を鉢屋はスマホをいじらずに聞いていた。ただ、たびたび鉢屋の女友だちが食事中の鉢屋に、わたしが見えていないかのように話しかけに来るのはとても嫌だった。

 その講義もいよいよ終盤という冬のはじまりの頃にプライベートの連絡先を交換した。それこそ講義に必要になるため大学用のメールアドレスはとっくに交換していたのだが、本当になぜそんな流れになったのかは忘れてしまった。これといってインパクトはなく、ひどく自然な行為だったのだと思う。その後、単位の取得がかかるプレゼンを鉢屋とふたりで行うことになり、ふたりでラウンジでノートパソコンを叩いていたところ酒を飲みに行こうと誘われ、また都合のよい日を連絡するよと答えれば、今からだと鉢屋はバックパックを肩にかけた。まったく切りのよいタイミングではなかったけれど、たしかにこの気候で飲む熱燗はうまかろうと、酒飲みのわたしは鉢屋に従うことにした。

 酒の席で地元を問われた。本当に今更の話だったが、この一年弱、お互いを形作ったベースのところのようなものを話してはいなかったなとお猪口を摘みながら思い返す。つねに鉢屋と話す話題は「今」だった。両親は海外にいるが、父方の実家の場所を答えれば、鉢屋はその隣の県の出身だと言った。「年末年始帰んの?」「顔出すつもり」「なら、迎えに行くからドライブしよーぜ」「え」「嫌ならいい」。
 嫌じゃないので行きましょうよと、安い日本酒を喉に通す。鉢屋の突然の思いつきに今日は驚かされてばかりだが、車内でふたりきりの自分たちを想像しても、これといった違和感はなかった。


 そうして三ヶ日を数日過ぎた昼下がりに、鉢屋はわたしの実家近くのコンビニまで、鉢屋の親が所有している車で迎えに来た。目的地について事前に相談をしていなかったので見当はついているのかと問えば、鉢屋は平然と「海と山」と、贅沢なことを言ってのけた。フルコースである。
 海には牡蠣を食べに行った。ハンドルキーパーは酒が飲めないので、わたしもノンアルコールで付き合った。山にはベタに夜景を見に行った。普段たいして運転をしていないだろうに、鉢屋は山道の運転も器用にこなした。展望台から煌めく夜景をふたり並んで眺めながら、鉢屋は言った。「なー、俺、酒飲みたい」。


 コンビニから戻ってきた鉢屋は、おもに数缶分のビールで膨れたビニール袋を後部座席に置いて運転席に乗り込む。今までのすべてはこの夜に繋がる前戯かと思うと辟易するなと冗談抜きで吐き気がしたが、鉢屋が運転する車の向かう先がわかっていてもわたしはそれを止めなかった。