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「東さんみたいな人と付き合いたいです」
「どうしてだ」
「……落ち着いてるから?」
「年上の男が落ち着いて見えるのは、シンプルに体力がないだけだぞ」
「東さん、まだそんなにおじさんじゃないでしょ」
 東さんと向かい合って、ラウンジでノートパソコンをひろげている。ふたり示し合わせて同じ席についたわけではなく、ひとり座ってキーボードをたたいている東さんを、わたしがめざとくみつけたからだった。レポートがあと一講義分残っていたのでこれはちょうどいいと、東さんの正面の空いている座席を陣取ってみた。
 テーブルに置いたばかりのノートパソコンのパスワードを入力しながら、
「わたしが成人したら、ちゃんと考えてくれますか」
 昨日の夜、ユーチューブで見た「未成年の主張」という昔のテレビ番組で聞いたセリフをそのまま言ってみる。わたしは東さんの生徒ではないし、東さんはわたしの先生ではないし、わたしは中高生でもないけれど。
 その番組では、中高生が屋上からなんかいろんなことを全校生徒・教師に向かって叫んでいた。そして、ひとりの女子中学生は、バカでかい声で、理科の先生に告白していた。すごかった。なにがすごかったかというと、理科の先生のビジュアルはまったく若くみえなかったからだ。おじさんだった。月並みだけど、ほんとうに、ほんとうに好きなんだろうな、と思った。顔で判断して悪いけど。
「俺じゃなくていいんだろ」
 たしかに、みたいな人、とは言ったけども。わたしは真面目に考えてくれるのかと聞いているのだ。こうやって毎度毎度かわされている時点で、そうするつもりはないということだろうか。まだ完全に立ち上がっていないけど、ワードファイルをタッチパッドでクリックする。
「ところでさ、野球部の資料まとめるの、手伝ってくれないか」
 唐沢さんが酔った勢いで承諾したらしい、ともっぱらうわさになっている野球部。広報という側面もあるだろうし根付さんが監督でもするんだろうか、小言がうるさそうだな、なんて想像してたけど、蓋を開けてみれば忍田さんが隊員絡みということで監督に就任していた。そして、ほとんどすべてのいろんなことが東さんに押しつけられた。ブラック企業すぎる。
 人を育てるという意味で考えたら、すでにすくすく育った東さんではなく、だれかほかの人───個人的には王子とかやばいことやってくれそうで推すけど───に任せたほうが、酒の席の残飯のような部にも価値がうまれるというものではないだろうか。そういえば、王子隊ってだれが所属してるんだろう。蔵内も樫尾もいけそうだけど、でもなんか全員違う気がする。あれこれ理由をつけてだれも参加してないかも。
 いいですよ、と了承すればありがとう、と東さんは小さくほほえんで、データは今メールで送るよ、とファイルをまとめはじめた。
 防衛任務やランク戦といった面においてわたしが東さんを手伝えることなんて、ない。東さんにお願いされることがあるなんて、こんな貴重な機会をありがとう野球部。残飯は撤回、デザートに昇格しよう。
「あれ、なんかメール動かないんですけど」
「あとでチェックしといてくれ」
 じゃあな、と東さんが椅子を引いて、パソコンを閉じてしまう。
 ひどい男なんだ。わたしが東さんからの頼まれごとを断らず、張り切ってやるって、わかっていてやってるんだろうから。
 ラウンジで動かないパソコンをにらみつけて頬杖をついていたら、通りかかった諏訪さんに声をかけられたので、設定をみてもらった。ただネットの回線が切れていただけだった。なんだよ。
 東さんのパシリで資料まとめるんですよ、と愚痴のていで頼られたことを自慢したら、諏訪さんはひどく気の毒そうな顔をしていた。違うって、これは自慢なんですって。



「早いな、助かる」
 そうでしょう。昼一に頼まれて、今は十九時前。上出来でしょう。できる子でしょう。認められたい人のためなら、どんなことだってやってあげたいと思うのです。
 クラウドに保存すればよかったけれど、わざわざUSBにデータを入れて東隊作戦室まで届けに来た健気さはまさに、中高生が思いを寄せている先生に会う口実をつくって職員室に行くそれでは? 
 コン、とテーブルの上にトリガーより小さいけれど、形状が似ているそれを置いた。
「パソコン直ったんだな」
「あ、はい」
 さっそく長方形のそれをパソコンに連結して、中身を確認する東さんの向かいのソファーに座る。
 しかしまあ、東さんは人望があるから、いろんな人が野球にちょっとでも関連する情報をいろいろと送ってくれていたようで、資料の数はすさまじかった。善意の形も迷惑になりかねない。これを取捨選択してジャンルごとに取りまとめるような時間、東さんにはなかっただろうな。
「俺が渡してない資料が入ってないか」
「え? あ、そうですね」
 ありゃ、ひととおり目は通していたか? これだからできる男は困っちゃうね。
 だれかにもらったのか、と視線がこちらを向いて戻る気配がないので、うなずいてから、その提供主を知らせる。
 どこで聞いたのか───諏訪さんしかいないか───どうせ渡そうと思ってたからくっつけといてよ、とラウンジでキーボードを打ち鳴らしていたわたしにUSBを渡して寄越したのは、人事部のババアだ。ババア、といっても東さんと同い年だからババアじゃないけども。こういうのは、こうやってまとめるといいよ、なんてアドバイスまでくれた。だからこそ、こんなにはやく整理できたのだけど。
 あの人は東さんの彼女じゃないけれど、公(ボーダーの仕事)私(完全なるプライベートじゃなくて、ボーダー外の仕事───だけであってほしいという願望こみ)ともに、東さんが助けを求める人だから、正直、妬いてる。お節介に感じるのは、そのせいだって、わかっている。あの人はいい人で、わたしがダメなのだ。
「どうせパソコンも、だれかに直してもらったんだろう」
「ああ、まあ、諏訪さんにちょっと。よくわかりましたね」
 直す、というほどでもなかったですけど、とは思ったけれど、黙っておくのが吉な気がして笑うにとどめた。
「人にやってもらったことは、人にやってもらったと言ったほうがいいぞ」
「言う必要ありましたかね。べつに、人にやってもらったことを自分の手柄にしようとしたわけではないです」
「人を立てることを覚えたほうがいい」
「こんな、些細なことでもですか」
「そんな、些細なものの積み重ねが、これなんだろ」
 つん、とパソコンに突き刺さっているUSBを、東さんが視線を寄越さずに指し示す。
 それは、そのとおりだ。たしかに、自分が全部やりました、と言わなくても、なにも言わずに渡してしまったら、暗にそういうことになるか。パソコンだって、諏訪さんがわたしのために使ってくれた数分が、なかったことになってしまうもんね。言わんとすることは、わかったけれども。
「なんか東さん、先生みたい」
「監督代行だろ」
 たぶんケラケラ笑うべきポイントだったのかと思うけれど、ちょっとそんな気分にはなれなくて、代わりに空調の音だけがやけに大きく響いている。その雰囲気に耐えられなくなったのか、
「メシ行くか。おごるよ」
「当然行きます。おごりじゃなくても」
 きびしさ七割、やさしさ三割、ってところですか。なんかそんな名言をどっかで見聞きしたことがあるような気がする。わたしは、逆がいいんだけど。でも、その塩梅にこうしてうまいことやられているのが、現状だった。
 東さんにとってわたしがほかの弟子たちと同じ存在だとしても、わたしはこの場所をだれにもゆずりたくはないと思う。いや、わたしは東さんの弟子ではないけれど。わたし、アタッカーだし。
 なにをおごってもらおうかな、とメニューを考えるよりも先に、カウンター席で隣に座れそうな店内をいくつか思い浮かべながら、わたしはだらしない口元を引き締めようと力を入れる。