連絡せずとも会えるのだ。教室で。本部基地で。
何してる? どこにいる? 宿題なんだっけ? など、ぽちぽち文面を打ったり、発信したりして尋ねる必要がない。平日は朝から夕方まで同じ場所で勉強していて、夜遅くまでブースに居座って切磋琢磨しているのだし、面と向かって聞けばいい。
だから、グループチャットはしても、個人的にメールやメッセージ、電話などはいちどもしたことがなかったかと思う。
「荒船哲次って、演歌っぽいよね」
「は?」
おそらくはじめてのメッセージアプリ経由の着信をスマホが画面にデカデカと表示して、並んでいた[荒船哲次]の漢字四文字に、そんな感想をいまさら持った。
荒れ狂う海に出る船、みたいな、と手元のスマホの履歴を開いて見せつければ、胡乱な目がわたしをみすえている。それでもお構いなく、
北のぉ~ 漁場はぁヨォ~ 男の~(手拍子x2)仕事場サァ~!
まぐろに命はかけてないが、そこそここぶしをきかせ、ワンフレーズ合いの手つきで歌ってやれば荒船は呆れ顔だ。やれやれ、とため息すら聴こえてきそうである。幸いここはにぎやかなお好み焼かげうらの店内なので、わたしの歌声を気に留める人は荒船しかいない。
「で、どうしたの?」
学校内でも基地内でもなくて、その次に荒船とよく来る場所とはいえ、ふたりきりというのは、そして、訓練やランク戦終わりにはよくあるけど、わざわざお好み焼きを食べにいくというのがメインに据えられた会合というのは思いつく限りはじめてのことだった。
放課後いっしょにボーダーへ向かった、同じく本部基地内にいたはずの荒船からわざわざ電話で「一時間後にかげうら集合」なんて告げられたんだから、粉もんが食べたくなっただけ、ではないのだろうと踏んでいる。さらに、当然のごとくほかにもだれかがいるもんだと思っていたので、顔にも口にも出さなかったけど、店先からずっと内心ドキドキ、ハラハラ、ソワソワしている。
「言っときたいことがある」
「……なに? ……死ぬ!? 死に場所決めた!? 遺言!?」
「北島三郎に引っ張られるんじゃねぇよ」
「あっ、知ってたんじゃん!」
大御所・北島三郎の与作やまつりに比べたらそこまで知名度はないと思うんだけど、北の漁場の三番の歌詞まで知っているとは。荒船んとこのじいちゃんも演歌すきなのかな。
死に場所サ、なんて物騒な歌詞で終わって、笑ったものだ。なにも、死ななくても。なんでだよ。急だな。と叔母さんが開いているスナックでの親族の集まりで、じいちゃんが歌うのを聴いたのは中学生のときだ。演歌は男と女、歓楽街で酒を飲み、なんでか知らんが男は北国で漁に出る、みたいなのばっかり。意味がわからない。でもわたしはじいちゃんの歌声は好きだから、大いに盛り上げてやるのだった。
「スナイパーに転属することにした」
慣れた手つきで生地を裏返しながら、荒船は決定事項を述べた。寝耳に水のそれに、マジか! と驚き、手元のお冷の入ったグラスを持ち上げる。だから今日はブース直行じゃなくて、どこかへさっさと行ってしまったのか?
「一応聞くけど、なんで?」
その決定が覆ることはないのだろうけど、という意味で一応、と前置きしてみれば、パーフェクトオールラウンダーを量産するための理論を確立したいとずっと考えていたという。玉狛の木崎さんスタイルか。
じゃあ次はガンナーか? と、気の早いことを返して、まじまじとこんがりした表面を見ながらお水を飲む。
「現時点でにしか話してない」
すん、とわたしの目をみている荒船に、そうなの? と、首をかしげてから自己完結した。
「タイミングが、なんかやだもんね」
「察しがよくて助かるな」
まさにここ数日、村上が荒船のポイントを通り越していくかいかないかの瀬戸際だった。そして数日内にはそうなるということが、荒船にも、わたしにも、そして周囲の隊員にもわかっていた。
いくら前からそう思ってたからって、このタイミングじゃ、弟子に越されて拗ねてやめたみたいだろ。と、荒船もグラスに口をつけた。事実だからいいじゃん、とは思ったけど荒船の気持ちもわからなくはなかった。言い訳がましいのは、ダサいよね。
「なら、わたしにも言わなくてよかったのでは?」
こんな、わざわざ呼び出してまで。
純粋な疑問に、わたしは答えをみつけようとする。なんでだろ。いじけてやめた、と、わたしには思われたくなかったのかな。
「には、誤解されたくなかったから」
合ってたか。でも、みんなにも思われたくないだろ? わたしには、とこだわるのは、なぜだろう。また湧いてくる疑問。あごに手を当て、大げさに考えてみる。
荒船とわたしは同期入隊で同じポジション、弧月使い、B級に上がったのもほぼ同時。同じように同じような時間だけ訓練してきた。昇級後からはわたしはちょっと置いていかれてはいるが、あまり気にはしていない。男と女だからだろうか。いくらトリオン体といっても女が男に勝てるわけないじゃん、って開き直ってる。
「うーん。長年、競ってきたから?」
「……一気に察しが悪くなったな」
違うのか。うーん。
ソースをハケでぺたぺたとぬっている荒船のあとを追うように、わたしはまぐろぶしじゃなくて、かつおぶしの入ったケースのふたを開けて、ふわふわと撒く。わたしは、マヨはつけずに食べる派なのだ。
まぁ、なんでもいっか。実際のところ、人伝に聞くより、あらかじめ本人から言ってくれたのはうれしかった。しかも、わたしにだけなんて、特別扱いじゃないか! 光栄なことだ。だてによきライバル、理解者をやってきたわけではない!
これから荒船がスナイパーになったら、模擬戦もそうそうできないんだな。スナイパーとしては初心者だから、ブースじゃなくて訓練室にこもるんだろう。相手してもらえなくなって、訓練の様子もみられなくなって、みてもらえなくなって、本部で頻繁に顔を合わせることもなくなって───って、なくなることばっかりじゃないか?
「なんか、それはやだな!?」
何がだよ、とわたしの脈絡のない拒否反応を問いただすより先に荒船の咳払いのような笑い声がじゅうじゅう、という音と香りにまぎれた。
そりゃ、学校で会えるけど。会いたくなくとも教室にいるんだけど。学校で話せばいいんだけど。ランク戦でも顔を合わせるんだろうけど。
それでも、自分の知らない荒船の一面がどんどん増えるということが、気分のいいものには思えない。これは、一体。
ほとんど答えが出ているのに、それは最後の選択肢としてしつこく自問自答し続けるわたしに、荒船はソファに置いていた黒いキャップを拾い上げ、腕を伸ばしてわたしの頭に被せる。わたしにはそれは大きすぎて、手元のケースやお箸しかみえなくなった。
「また、呼び出してもいいか?」
電話する、と荒船はしずかに、でも、はっきりとそう言ったのが聞こえて、わたしの口元はだらしなく動く。
今、わたしは、わたしたちはどんな顔をしてるんだろう。それは今までおたがいがみたことのないゆるみ方をしているのではないかと想像する。
荒船の少なからず変化したはずの表情を確認できないのはひどく惜しいけれど、長年戦友よろしくやってきたわたしたちには段階が、予防線が、いくつか必要だ。
「……荒船からの着信音、サブちゃんにしとく」
「色気なさすぎだろ」
何回サブちゃんが歌ってくれたら艶っぽい関係に進展するだろうか。それは近くはないけどそう遠くはない未来のような気もして、くすぐったい。照れ隠しに勢いよくわたしの顔半分を覆うキャップを取り払い、高々と掲げた。
はーい、と間髪入れず奥からカゲのお母さんがオーダーを取りに来ようとする声がして、顔を見合わせる。ふたりの吹き出す息に、かつおぶしが倒れるように踊った。