大海原から愛を込めて

「言い訳ないよね」
「ないことないけど」
 あいまいな言葉で返した私に、犬飼澄晴は首をかしげ笑みを作った。笑ったのでなく、作ったのだ。彼の笑顔はいつでも少し白々しいが、これだけ長く一緒にいればわかる。嘘のような本当と、嘘のような嘘の差くらいは。
「あるなら言えば? 時間はまだあるんだし」
「時間があっても、余裕がないよ。私の心がもちそうにない」
「じゃあ残念だけど、仕方ないね」
 そう言って、彼は時計を確認する。重たい空気が場に流れ、数人がごくりと息を飲んだ。
ちゃん、満場一致で追放~」
 アラームが沈黙を破ると同時、私を詰問していた青年がそう告げたため部屋のあちこちから呻きが漏れる。初日に追放された生駒隊長は、言わんこっちゃないと頭を抱えていた。
「何か言い残すことは?」
「だからないって」
「この瞬間、人狼側の勝利が確定しました」
 無情なる宣告が響き、ゲームマスターの歌歩ちゃんの号令とともに全員がカードを裏返す。
「ムリゲーすぎ! 犬飼先輩と水上先輩が人狼って、引きの時点で負け確じゃん!」
「どうあがいても絶望やな」
「そういう隠岐も狂人ムーブ冴えてたで。最初に吊った占い師を尻目に、全員シロ言い張り続けたとことか特に」
 各々の口にする感想戦により会議室は賑わいはじめる。シミュレータルームの緊急メンテナンスにより暇を持て余した人間による、ごった煮の人狼ゲームだったが、想像以上に白熱し三戦を終えての今だ。こうして心理戦をしてみれば、ランク戦での立ち回りとどことなく似通った点が見られ興味深い。つまるところ香取ちゃんの言う通り、この二人が人狼であればゲームは最短で詰む。
「太刀川さんとか王子先輩みたいに素で狂人ムーブしてくる異分子がいるとまた違うんだろうけど、なんだかんだセオリー通りに動く人が多かったからね。やりやすかったな」
「そおやなあ。犬飼はツーカーで狙い定めてくれたから気持ち良く勝てたわ」
 二匹の狼は椅子を引き、飄々と伸びをしている。うぎーと目を尖らせて悔しがる香取ちゃんを横目に、私も大きくため息をついた。わかっていたことだが向いていない。結局私の所属していた陣営は全敗し、駆け引きや腹芸の下手さを痛感する。
「きみは顔に出すぎやな。初戦はブラフかと疑ったわ」
「そんな余裕はございません……」
 ポーカーフェイスの水上くんは、やはり無表情のままそう言ってあっさりと踵を返した。
「そしたらまた次ラウンドで」
 エンジニアに呼ばれた歌歩ちゃんが抜けたことにより、協調性を一気に欠いた集団はばらばらと解散し会議室を後にする。今日は新しく組んだトリガー構成を試そうと思っていたけれど、腕時計を見た私は諦めてエントランスへ向かった。地球防衛軍にも年齢並みの門限があるのだ。
「帰るの?」
「今からやっても中途半端だから」
 後ろを歩いていた犬飼くんに問われ答えると、彼も同じに思ったのか横に並んだ。彼とは家が近いため、一緒に帰ろうということだろう。わざわざ確認するまでもなく私たちはボーダーのゲートをくぐる。
「想定外だったけど、楽しかったねゲーム」
「楽しかったけど、かなり消耗したよ」
「あはは。根っから嘘つくのとか向いてないもんね」
 愉快そうに笑いながら犬飼くんは学生鞄を揺らした。陽の落ちた警戒区域内は閑散として裏寂しいが、区域を抜けた先には商店街の明かりが浮いている。まるで沖合から陸地を眺めているようだ。ここは異世界に通じる大海原である。
「克服したいんだけど、なかなか上手くいかなくて」
「べつにそのままでいいでしょ。どんな組織だって、役職持ちばかりいたら収拾つかないんだから。村人がいてはじめてゲームが回る」
「犬飼くんは優しい嘘が得意だよね」
「これを優しい認定するところが、ちゃんの良さだよね」
 日常会話であったとしても彼は一枚も二枚も上手だ。私の良さ、と言いながらも真意のよめない表情で目を細めている。
「思うに、嘘に優しいも厳しいもないよ。嘘にあるのはリスクとリターンでしょ。バレれば信用をなくすし、バレなければそれなりの意味を持つ。だからおれはバレる嘘はつきたくない」
「じゃあどうして」
 私には適当なことばかり言うのだろう。バレても大した脅威ではないからだろうか。彼とはかれこれ付き合いが長いため、本気と冗談の境目くらいはわかる。彼が私をほめるとき、その表情は限りなく冗談に近い。犬飼くんにしたって、私が真面目に取り合わないことを承知で気楽な会話を楽しんでいるのだ。
「それに、正直な顔をした正直者が必要な場面もある。これは本当にまじで」
 私の疑問を軽く流し、彼は最後の言葉を強調した。私たちは常に"隣人"との接触に備えているし、世界には様々な能力を持つ知的生命体がいる。彼の言いたいことは理解できるし、私をほめてくれていることもわかる。
「おれなんて案外正直者なのに、常に一定数からは詐欺師あつかいされるからね」
 宇宙の中の点のようなこの星にだって、無数の能力が同居しているのだ。性格であり、特性であり、ときに副作用であるそれらが常に調和するとは限らない。相性もあれば、好悪もある。
「まあ、そういう誤解だって言葉を尽くして解いていかなきゃいけないんだろうけどね。本気で人と向き合いたいなら」
「誤解か……」
 道端の街灯が増えはじめ、大海から浅瀬へとたどり着いた私たちは互いの距離感を適度にたもちながら、前を向いていた。
「私と犬飼くんのあいだに立ってるあらぬ噂も、ちゃんと否定しておいた方がいいんだろうね」
「噂? おれときみのあいだにそんなものが?」
「知ってるくせに」
 こうして一緒に帰ったり、二人でよく食堂へ出入りする私たちは、一部の隊員たちから恋人同士と思われている。ついこのあいだも、入ったばかりのC級隊員に事実を問われたところだ。知らないふりをしているが、彼は昔から後輩にモテる。
「言わせておけばいいじゃん。とくに不利益ないんだし」
「今はないけど、今後生まれるかもしれないよ」
「例えば?」
「それはだから……犬飼くんだって特定の誰かに誤解されたくないって思う日がくるかもしれないでしょ」
「こないよ」
 俺は人狼じゃないよ、と首を振ったのと同じ響きで彼は言う。
「からかわないでよ」
「からかってない。ちゃんまでおれを詐欺師あつかいするんだ?」
 口調は軽かったけれど、先ほどの会話を思えば無視できないことを言い、犬飼くんは街灯の下で目を伏せた。そうして「傷つくな」なんてつぶやくものだから、私はもう茶化せなくなった。彼とは付き合いが長いので、嘘のような本当と、嘘のような嘘の差くらいはわかる。耳に届く商店街の雑踏も相まって、私の脳みそは少しのあいだ処理落ちしていたと思う。急に差し込まれた外部データが重すぎて動作が停止したのだ。
「まあ、脈ないのは知ってたけど」
「知ってた?」
 今度は私が問い返す。頭はフリーズしていたけれど、反射的に口をついた。彼が一体、私の何を知っているというのか。
 中学校の入学式で出会って以来、つかずはなれずの友人関係をつづけてきたこの青年が、何をもって私の心を「知っていた」と看破するのか。だいたいにして、彼は大きな勘違いをしている。私は犬飼くんが思っているほど正直者ではない。正直になどなりようもなかった。彼は嘘をリスク&リターンと言ったが、世の中にはつかない方がリスキーな嘘だってある。友人関係にある異性に好意がバレるリスクを恐れ、私は彼と出会ってからの五年、誰よりも嘘がうまくなった。向いていないとため息をつくようなことだって、日常化すれば慣れるのだ。
 私を無害な村人と信じてやまないこの男は、きっとそんなこと考えもしないのだろう。それが嬉しくもあり悲しくもあった。私は大きく息を吸い、それから細く、ゆっくりと吐く。
「私がずっとついてる嘘、人狼にだけはバレてないんだよね」
「は」
 けれど、知った気になっていたのはどうやら私も同じのようだ。彼の寂しそうな伏し目を思い出し、心中で反省する。察しの良い犬飼くんが、この会話の本質をつかめていないわけはない。したがって、私の顔はどんどん熱くなった。
「このままでも、私はいいよ」
「いや……」
 犬飼澄晴が汗をかくところなんてきっとこの先見られないだろう。それとも、そんなことすら私の誤解なのだろうか。彼は街灯の隙間で立ち止まり、伏せたまつげを持ち上げる。雑踏が一瞬遠のいて、私は海に引き戻される。
「いいわけないよね」