26
You figure me out.
予知に誤りはなく、平日の昼時、無数の門が上空にひらいた。人事部の壁に設置されている小型のモニターが本部作戦室とつながっていて、メインと同じ映像がこの部屋にも流れている。予知にひっかかった、「ボーダーにわたしがいない」要素は、わたしの安全という意味ではひとつ人命が危険にさらされないと、よろこぶべきことだったのではないだろうか、と今更ながら思い当たる。しかし、三門市内でもっとも安全な場所ってどこですかという質問の答えはボーダー本部だろう。人事部内の一般職員も必要以上に慌てるそぶりはない。じゃあ、わたしが基地内にいなかった場合、わたしの身が危なかったのか。それはないだろう。あの予知は人ひとり、ではなく、ほか大多数を救う未来を導こうとする。そうなればやはり、わたしがボーダーにいることで、なんらかの被害が最小限におさえられるということなのだろう。予知はいつも明確な指示はくれない。あとは察してくださいな、ということだ。だが、ここで、わたしは何をする? 技術者でもオペレーターでもない一般職員にできることは、民間人と等しく自分自身の安全のために、シェルターに避難することだけだ。
「わたしも市民の誘導にあたりますか」
菓子パンを頬張りながら水沼に問いかける。
市民には早急に避難を完了していただかなくてはならない。おそらく、C級隊員が誘導を行うだろうが、みんな誘導の訓練を行なっているわけでもなく、基本的にはじめてのことだ。リーダーシップを即席でとれるような隊員がいればよいが、そうでなければ避難は円滑には進まないだろう。
「わたしの顔が見られたら、それなりに安心する隊員もいるかと思いまして」
まあ、ちょっと思い上がりが過ぎるかもしれませんが。
水沼さんが無線を本部につないで、わたしの提案を告げる。もちろん、闘うつもりはない。喝采も同情もいらない。ただただ地味に確実に、C級とともに市民を避難させるだけだ。
「開発室に寄って、南部の応援を頼む、だそうだよ」
「お、了解です」
すんなり許可がおりたな。気をつけてね、といたって平常どおりの表情でわたしに声をかける水沼さんに頭を下げて、開発室へ向かう。──いや、でも、わたし基地内から出ていいのか? どこまで予知の範囲内?
地下通路をたどって、南部の出口から飛び出せばさっそく見知った顔に出くわした。ちゃん! とわたしの顔をみて破顔した彼女は、一瞬たじろいた。
「……なんで諏訪隊?」
「不可抗力!」
緊急脱出ついてるほうがいいでしょ。設定も残ってますし。と寺島くんはわたしに訓練生用のものではなく、正隊員用のトリガーを当てがおうとしていた。数年前の設定が残っているのはありがたい話だが、金髪キャップだとわたしだとわかってもらえない可能性があり、それだとわたしが行く意味が半減する旨伝えると、じゃあ、生身反映にはしましょう。と再度キーボードが叩かれた。差し出されたそれをにぎり、起動の意思を声に出さず示し、足元をみて、は? と声がもれた。ガラスに反射しているわたしは、紛れもなく諏訪隊の隊服を着用していたのだ。なぜだと問えば、なんとなく? と半笑いがかえってくる。女が着る隊服じゃないよと、論点のずれている自覚はあったが文句をぶつければ、女を入れる気がないからでしょ、と、はやく行けと手で眼前を払われたのだった。
ダサくない? とため息をつくわたしを見て、なんか気ぃ抜けましたよ。と、彼女は笑った。
「とりあえず、どこから手をつけていいのやらで」
「あんたたちが混乱してたらしょうがないのよ」
歩いてもらう場所を明確にすること、シェルター内で誘導する人もはっきりさせること、そもそもわたしたちにできることなどたいしたことではないのだから気負わずに、と告げてお尻をたたいた。
サバゲーなら緑に紛れられそうなこの隊服も、同じ白い隊服に袖をとおしているなかにいればひどく目立つようで、市民にやたらと声をかけられた。色・形の異なる隊服は、白とオレンジのそれとは違って正隊員である、という知識をほとんどの市民が持っている。そういう意味では市民の安心材料にもなっただろうか。あいにく、ただの人事部の女なのですが。
ときに世間話を混ぜながら対応していれば、地響きのようなわずかな振動があり、本部の方面から煙があがっているのが確認できる。グラスホッパーで建物をよけて上空から確認すれば、やはり基地が削れている。
「本部ですか?」
「まあ、大丈夫よ。最悪忍田さんいるし」
地上に戻ったわたしに不安の色をみせるC級隊員の頭をはたく。ってか、グラスホッパー使っちゃったけど、よかったかしら。
レーダーで隊員の位置を確認してみようとするが、やはり必要以上入らない無線と同様、このあたりの設定はオペレーターがついていないわたしもC級とそろえられているようで、トリオン反応こそ点在していることはわかったが、その詳細まではみられなかった。
建物の屋上にあがって、アイビスを構える。
「本部、です。南部にトリオン兵侵入。戦闘許可を」
正隊員用のトリガーをあてがわれている時点で──そもそも上層部は訓練用を渡すつもりだったのかもしれないけど──戦闘が許可されていると認識させてもらっているわけだが、忍田さんの声が届いたときには、すでに撃ったあとだった。
どさり、と動きをとめるトリオン兵をレンズ越しにとらえながらぼやく。市街地にも数体、トリオン兵がなだれこんできた。戦況はあまりかんばしくないというのだろうか。わたしが現場に出ていたのはもう数年も前のはなし。勘もまあまあにぶっている、と思う。今はうまくいったけども、この一体だけというわけにもいかないだろう。
『中央オペレーターをつけるか』
「それは助かりますけど……」
忍田さんの問いかけにことばをにごす。今のところトリオン兵も目視で確認できる程度で、このあたりは避難完了している。市街地よりも、その手前を全力で食い止めてもらったほうがいい。
『さん』
無線が忍田さんではない声をグラスホッパーで移動しながらひろい、思わず左耳をおさえる。ヘッドフォンは耳についてないんだけどな。いかに自分が戦場を離れていたかがとっさにわかる。視界に表示されている回線の名前はみかみかだけれど、
「風間くん。緊急脱出したの?」
『新型の目的は、緊急脱出のないC級の捕獲だ。聞いているか』
「無視かい。……回線C級と同じっぽくて情報統制されてたね」
『捕まると、トリオンキューブにされるぞ』
テイクアウト時には小型化するというわけか。たくさん捕まえるには、理にかなっている。狙いはC級──なるほど。正隊員は緊急脱出してしまえば捕まらないものね。先月の小型にそのあたりのデータを集められてしまったのだろう。
忍田さんたちもなにも嫌がらせでわたしに情報を伝えていないわけではない。そんなことをC級が聞いたら市街地はもっと悲惨なことになる。わたしが闘わないなら、満足に闘えないなら、わたしもC級たちと同じ情報量のほうがいいと考えたというだけ。とはいえ事情も変わった。わたしはちゃっかり正隊員のトリガーを持って出ていたし、ある程度闘えることを示したし、わたしにはC級を守る動きができるわけだ。それで、風間くんはとりいそぎわたしに情報を開示した。おまえ、どうすんの? いやなら隊員じゃないし帰ってくる? ということだろう。まあ、その指示は忍田さんから直でくれればいいんだけど、おそらくまだ根付さん、鬼怒田さんあたりとお話し合い中か。今のところわたしが動くしか手がないと思うけど。
『……どっかで誰かから聞く前に俺から伝えておくが』
「なに?」
『諏訪が食われて救出した。現在技術者が解析中だ』
耳鳴りがするようだった。
──ああ、こっちが風間くんの本題だったか?
それでも、冷静にそんなことを考えたのは、あの日決定的なことを言わなかった洸太郎の姿を思い出したからだった。彼に悲壮感のようなものはなかった。ようするに勝算は、あったわけだ。おそらくは玉狛の予知が一枚かんでいる。
射線が通る建物に飛び降りて、ふたたびアイビスを構えた。
『万が一新型が行った場合は、C級を頼めるか』
人差し指を押し込む。
忍田さんの言う頼む、というのはけっして、新型を仕留めて、C級を助けてくれという話ではない。身分不相応である。わたしにできるわけもない。ここでわたしに期待されているのは、身を挺して守れる範囲のC級を守れ、いざとなれば緊急脱出しろということだ。
「了解。逃がしますし、わたしも逃げます」
『それでいい』
わたしは戦闘・緊急脱出可能なトリガーをもって、警戒区域外にいる必要があった。──それが予知の弾き出した、被害を最小限に食い止めるためのひとつの小さなピースのひとつだったのだろう。ほんとうに、それは取るに足らない程度の。でも、あるのとないのとでは多少さらわれるC級の数も異なる。たぶん、いや、間違いなくわたしはすべては救えない。
ひとまずこのあたりのC級は本部に戻せ……ないか。通路が遠いし、逃げ出す隊員なんて市民に見せるわけにもいかないな。
中央オペレーターから必要あれば呼んでくれと無線が入る。呼び出す機会はないほうがいいけどなぁ。わたしは短く目をつぶって、祈った。
その願いもむなしく、そのときは訪れた。
無線が通じている気配がなく、新型の侵入を最後まで報告することを放棄した。中央オペレーターとも当然ながらつながらない。本部でなにかあったと考えるのが妥当だ。そもそも、つながったとてすぐ応援がくるもんでもない。来られないから、新型がこんなところまで来てしまっているのだ。
まだレーダー上でしか確認できないくらい、わたしの現在地からは遠くにそれはいる。迷いなくC級隊員の多い方向へと、新型は動いていた。昔のわたしなら、新型に一矢報いようと追いかけたかもしれないな。やるにはやってみましたよ、というアピールのために。
「シェルターはあっちですけど、ちょっと諸事情あり、逆方向に逃げますよ」
建物の窓から飛び降りて、指示をする。
助かるほうを助けることを選ぶ。これでわたしも予知の共犯者だ。
一応あっち側にも行くつもりではいるが、いずれにしてもこっちが片付いてからだ。
列の中ほどにいたお婆さんが不安そうな顔をわたしに向ける。横にいたC級に彼女を抱えて走ることを命じ、わたしは最後尾についた。この集団だけでも、逃すのだ。新型のにじりよるほうへいる隊員へ、迷わず逃げろ、と無線で声を飛ばす。
『……──諏訪隊──に、人型─…交戦─……』
入れ替わりに、響子の声が雑音混じりに入った。
諏訪隊が本部で人型近界民と交戦中というところか。
諏訪隊、と聞こえたことにすこしも安心はできなかった。わたしだって何度も防衛任務についているから知っている。現場に諏訪洸太郎がおらずとも、堤と笹森だけであろうとも、そのふたりは"諏訪隊"と呼称されるのだ。
──はたして、そこに、洸太郎はいるんですかね。
まさかわたしがそんなことを考える立場になろうとは。走りながら心配する暇も与えてくれない。こんな状況を、ありがたいことだと今は思うしかないか。身を翻してトリオン兵に銃口を向けた。
深い緑に身を包んだ体が落ちてきたということに三人が気がついたのは、トリオンのひかりが周囲を照らしたのとほとんど同時だったと思われる。本部基地前で突っ立っていた三人が見上げたときには、諏訪隊に不在のはずの狙撃手が落下中、アイビスを一発ぶちかましていて、同じ隊服の男が近距離で緊急脱出するのを、ふたりは見送ることしかできなかった。
「模擬戦以外での戦闘はご法度じゃ?」
寺島の鼻で笑うような問いかけに、
「隊員同士……ではないし、逃げ道はあるだろう」
風間が答える。
「まあ、たしかに?」
「それに、やってもらってスッキリしたところはあるな」
「まあ、それもたしかに?」
何かあれば俺が庇おう、とまで風間は言ってのけた。
救護班と合流し、民間人の救助を終えたが冬島と屋上で一服していたところ、ふたりは諏訪、寺島、風間の存在を地上にとらえた。一発殴る、と物騒なことばとともに拳をつくったを冬島は止めず「撃ったら、旧麻雀部屋な」と、殴らず撃つことと、その後の行動についてアドバイスした。
そして、諏訪の緊急脱出先に指定されていたのは、旧麻雀部屋だった。これは冬島なりの、あの誕生日のせめてもの償いだった。諏訪が身体チェック後、再度換装するであろうこと、そしてが一発お見舞いすると言い出すことを見越して、トリガーの設定をいじっていたのだ。簡易も簡易のベッドに放り出された諏訪は埃っぽい部屋にむせた。
「ほめて……くれる顔じゃねーな」
開いた扉の先のベッドに転がっていた洸太郎をみるなり、安堵よりもやはり怒りに似た感情がわきあがってくる。
「なんで緊急脱出しなかったのよ」
閉まる扉に押し出されるように、一歩二歩と歩み寄る。目線だけこちらを見上げていた洸太郎が腕をついて上半身を起こす。
「勝算があって食われたよ」
「だれよ、生き残る方法を考えろと言ったのは」
「だから、考えたって」
掴みかかろうかと言うほどのわたしの語尾の力の入りように洸太郎は食い気味に否定をした。
「あんなでかい図体して人ひとりしっかり捕獲しようとする動きするんだ、まさかむしゃむしゃ食われるわけでもねーだろうと思ったんだよ。連れ去りが目的だろ」
それに迅にも諏訪さんは死なないんで、って言われてたしなと洸太郎が頭をかく。
風間くんや堤くんたちから一部始終を聞く前後ではわたしが抱える気持ちは明らかに変わっていた。洸太郎は、逃げられたのに逃げなかったのだ! とわかっては、どうしても腹が立つというものだった。
洸太郎が助かるところまで、予知にはみえていたのだろう。だから洸太郎は逃げなかった。ただ、どうやって助かるのかは不確定要素だった。だから、食われてどうなるか、確かめる必要があったのだ。そして、助けてもらえさえすれば元に戻れる、という安心感を場にもたらすために。
そんなことはわかっている。それをやっちゃうのが洸太郎だ。それでもわたしは、おそろしかった。わがままな話だが、洸太郎にそんな危険なことをしてほしくなかったのだ。よりによってなんで洸太郎が、と思うのだ。
「これで機嫌直してくれとは言わねーけど。食われに行こうと腹くくったときに、さんの顔を思い返したよ」
「……そう」
「さんがいるところに、帰りたいと思った」
「……」
「待っててくれたかは、わかんねーけど。そんなこと、言ってねえし。そういう関係を、明確にしなかったし」
こう言えばわたしの怒りもしずめられるだろうと考えている時点で、おかしな関係なのだ。実際、わたしのめらめらと燃えるような気持ちは、また風向きを変えた。
「待ってたに決まってんでしょ! 泣き叫んで抱きついて感動の再会でもすればよかった!?」
「いや、俺んとこの隊服でアイビスぶちかましてくれて最高だったぜ、本懐だ」
「悪趣味」
あの日、決定的なことばを、万が一、億が一、自分が戻れないことを考えて言わなかったくせに。ずるいことばかり言うのだ。洸太郎がそばにいられないわたしの未来よりも、自分のわがままを、ほんとうはわたしにぶつけてほしかった。それくらいの気持ちが、ほしかった。ないものねだりなのだ。わたしのことを第一に考えて口をつぐんだ彼の思いは、まぎれもなく愛情だとわかっているのに。
「このままのほうがいいのかとも思ってたよ。けどよ、いやなんだよ、見てるだけじゃ。俺がさんの人生にちゃんと関わりたかった」
「……わたしも」
「これから先のことはよくわかんねーけどよ、わがままも聞きたいし、言いてーんだよ」
「……言うんだ」
「悪いかよ」
「悪くないよ」
「そのわがままの皮切りだけどよ」
洸太郎の表情は、引かれた腕がわたしの体勢をくずしてしまって、見られない。ただいつかのように、ばくばくと打ちつける心臓の音と、短いけれどたしかに求めていたことばが鼓膜にそっとひびくだけだ。
「……ねえ、それ、海で言われたほうがロマンチックだった」
「うるせーよ」
胸元に頭をあずけて、まぶたを閉じる。ぎこちなく行き来する手のぬくもりが心地よかった。いつか片手間に頭を背中を、なでられる未来すら今から愛おしいと思う。