In the waiting line

 ああ、ふりだしだ。
 戻って来たこの場所に、絶対にやらないけど、唾でも吐きつけてやりたくなる。
 日本の平均降水日数は一年のうち百日と少しもあるのだから、そのたびにいちいち地団駄を踏んだりしない。でも、今、この今にも落っこちて来そうな曇天の空に向かっては、喚き散らかしたくもなる。

 その日、二徹していたわたしと、同期入職だけどいくつか年上である冬島くんの深夜トークの議題のひとつは、アインシュタインの相対性理論についてだった。片手に煙草、片手にコーヒーを携えて。
 そんな時間があるなら寝ろ、と過去に戻って肩を叩いてやりたいが、ふたりとも定期的に訪れるハイになっていた時間帯だ。正論は通じない。
 さて、光速に近い速度で運動する物体は時間の流れが遅くなる。理論上、高速で宇宙旅行をして地球に戻ってくると未来にたどり着くことが可能だ。机上の空論とはいえ、これはわりと現実味があった。われわれ──わたしは行かないが──は、宇宙にはよく行っている。
 しかし、わたしたちはあまり未来に興味がなかった。未来に来たぞ! という確証は絶対的には持てないと思ったのだ。でも、過去であれば自分たちの記憶が、それを保証してくれる。それに、行った先の未来でまだこの終わりの見えない戦いが行われていたら、めちゃくちゃ萎える。だから、行くなら過去だろう、と。
 では、過去に向かう場合。過去の時空間に到達するためには光速を超える速度が必要になるが、光速を超えることは不可能である。よって、過去には行けない。いや、行けないとされていた。
 トリオンと、トリガーホルダーに肉体を保管する技術、および他国から入手したあれこれ、そしてわたしたちのありったけの知識とちょっとのひらめきで、それは可能となった。吹いたら飛ぶくらい軽い存在だと見積もられている実験用ラットが、無傷で戻って来た姿を見たわたしたちは、ゆっくり顔を見合わせた。
 偶然できたわけではないが、積極的に開発を進めていたわけでもない。気分転換のために、少しずつ手を動かしていた。わたしたちが無茶な残業をしていた時間のなかの、数十分とか、まあ長いときは数時間の累積だ。最初にその話をしてからは、三年半以上は経過していた。
 ご都合主義で申し訳ないとは思うが、わたしたちも明確に要件定義したわけでもない。だから、そういう話を冬島くんとして、実際に職権濫用してやってみた結果です。という説明しかできない。
 開発をスタートした日にデスクに設置し、翌日には撤収したICチップ入りのチーズをくわえて、現在より少し進んだ地点に戻ったラットは、見た目としては健常に帰ってきたし、あらゆる数値にも異常は見られなかった。人間に生じる不具合について論ずるのは、時間の無駄だった。やってみなければ、わからないのだから。
 わたしも冬島くんも、技術者だか開発者だか研究者だかとしての好奇心が勝ったと言うほかない。それから三か月、人を飛ばす保険として計算から弾き出した量の四倍のトリオンを貯めよう、とわたしたちは開発用と称してトリオンをこつこつ貯めた。実際、非常用にも使えるので、開発室にやって来る隊員にもたまにチャージさせた。あと数か月は貯蓄に時間を費やすだろうと思われたのだが「非常時の備えは大切ですよね……!」と手をかざした雨取千佳にかなりもらったということで、その日は突然訪れた。
 善かどうかはわからぬが、急げということかと思い、ちょっくら人体実験しますかね、とわたしが飛んだのは、冬島くんがトリオンが目標量に達したと告げて、ものの数十分後だ。
 ラベンダーの香りを嗅いだり、スポーツカーに乗ったり、日記に見知らぬ一節を見つけたり、誰かと握手したり、ドクターペッパー片手にメールを送信したわけではない。わたしはトリガーを起動した。
 残業の副産物は、ボーダーが抱える機密事項のひとつとなるだろう。だろう、というのは、現時点でこのことをわたしと冬島くんしか知らないからだ。
 寺島くんは薄々勘づいてはいたかもしれない。寺島くんが開発室に転属する前にも、転属してからも、例え話として、意見を求めたこともある。でも、共犯にはしなかった。寺島くんは、わたしたちを止めるだろうと思った。これは偏見だが、こと寺島くんはさまざまなことに無頓着に見えるが、現場にいた人間というのは、そういうところがある。冬島くんもそうだったけど、わたしをはじめとする女の押しにすこぶる弱いのでなんとかなる。なった。
 わたしが時間の行き来をくり返しているから、知られていない。飛ぶ前に戻っているから、自己申告しない限りは日の目を見ないし、大目玉も喰らわないはずだ。
 くり返すとは言っても、これは三回目だし、三度目の正直とも言うので、結果の如何に関わらずこれで終わりにして、冬島くんとひとまず、この偉業を祝して乾杯したいと思う。

 それで、わたしが過去と現在を行き来して、三つも世界線をいたずらにつくってまでなにをしているのかと言うと、わりとシンプルなことだった。
 水上敏志を、大阪へ向かわせたい。
 どこに飛ぶかを数秒考えたとき、ここのところずっと雨が降っていたからだろう、わたしは水上くんとの会話を思い出した。
 水上くんが中学生まで弟子入りしていた将棋の師匠が、この日の夜、大阪の病院で亡くなる。その前段、今から約二時間後、数日のあいだ、たまに止んでは降り続いた雨によって三門市で土砂崩れが発生し、停電。通信機器は繋がらなくなる。雨足は弱まることなく川が氾濫し、近郊の交通機関もストップする。それは翌々日まで続く。
 なにもわたしは、師匠を生き返らせたり、災害を阻止したりしようとしているわけではない。ほんとうは、冬島くんと〝過去を無闇に変えない〟ことを約束していた。でも、これくらいのことで、大きな波がたつとも思えなかった。せいぜい、水たまりに落ちる雨のひと粒くらいなもんだろう。
 ただわたしは水上くんに今のうちに大阪へ戻ってもらい、できれば最期に少しでもいいから話をして、通夜と葬儀に参列してもらいたいのだ。
 それが叶わなかった結果この大災害の日から数年後、水上くんは開発室でトリガーの調整を行うわたしに向かって、こう言う羽目になる。
 
「雨、嫌いなんすよね」
「えっ?」
 開発室に窓はなく、わたしはこの二日間、開発室と、隣接している休憩室以外を行き来していないので知るよしもないのだが、おそらく雨が降っているのだろう。
「そんな驚かんでも。好きなやつのが少ないやろ」
 わたしは、キーボードを打つ手を止めて、隣で椅子の背もたれを抱え、くるりくるりと回転していた水上くんのことを、わざわざ見ていた。
「水上くんが気象なんて人の手でどうにもならないことに対して、いちいち好きとか嫌いとかいう感情をもつとは思わなくて」
「俺をなんやと思っとるんすか」
「水上敏志」
 うざ、と水上くんはわたしを視界に入れずに鼻で笑った。
「……数年前の豪雨、覚えてます?」
「ああ、うん。近界民のほかにも怖いものがあったことを、あの日三門市民は思い出したね」
 ブルーライトカットの眼鏡を外して、デスクに置いていたマイクロファイバーの生地をとる。
「その日に、師匠が亡くなったんや」
 師匠というのは、以前なにかの拍子に聞いたことのある、水上くんの将棋の師匠のことだとわかる。
 わたしは水上くんが言葉を繋ぐのを、レンズを拭きながら待った。
「……雨やなくても、連絡がついとったとしても、新幹線が動いとったとしても、そんときの俺がそれを選んだんかは正直わからんけども。少なくとも選択肢としてはあったんやけどな、って、雨が降るたびにまあまあ思うわけです」
 眼鏡をかけ直して、検索エンジンで『三門市 年間降水量』と入れてエンターキーを弾くと、平均日数108日と表示された。

 この日、水上くんは朝から昼過ぎまで防衛任務についていたらしい。任務終わりに駅まで行ってもらえたら、なんとか間に合う。
 というわけで、わたしは生駒隊が担当していたエリアを過去のデータから探して、そこに乗り込むことにした。その日のわたしの行動をわたしは詳細には覚えていなかったが、どうせいつものパターンだ。わたしがわたしと鉢合わせることはない。
 わたしの指定した日時や場所に冬島くんが微妙な顔をしたのは、気のせいではないだろう。思い当たる出来事のない日時と場所。冬島くんは、わたしが選ぶだろうと思っていたときがあったのだ。数えきれない時間を冬島くんと過ごしているはずなのに、ことごとく気が合わないらしい。
 ボーダー隊員の水上敏志。そのトリガーを担当している開発室の女。ただ、それだけなのに。
 ただ、それだけだからか、わたしはわりと気楽に飛び立った。案じるべきは自分の生死などだったのだろうけれど、そこにわたしはあまり頓着がない。歴史を動かす発明の過程で犠牲になるなら本望とも言えよう。ボーダーで働くには丁度よい人材である。
 
 一回目。
「あっ、えーっと、水上くん。えー、最近、地元帰ってる?」
 エリアは絞った。とはいえ、半信半疑だったし、急ではあったし、まさか歩いて数歩で出くわすとも思っていなかったので、これといった作戦を用意していなかった。
 目の前にいる、現在よりいくらか若く見えるような見えないような水上くんは、警戒区域内にいるはずのない人間を認識して、片脚を引いた。
「いやいや、なんで開発室の人がこんなとこおるんすか」
 水上くんがわたしを呼ぶときは、下の名前にさん付け──たまにちゃん付けもされるけど──もしくは自分、という関西人特有の呼称なのだが。
 そうか、この時点でまだわたしとB級の水上くんはまともに出会っていない。呑気に膝を打ちたくなっている。
 ここから水上くんと信頼関係を築くのか? あまりにも時間が足りなさそうだし、あまりにも相手が悪い。この際、じゃあ現在のわたしたちに強固な絆があるのかどうかという問題は、置いておく。
「さ、散歩? 気分転換的な」
 言い訳に無理がありすぎて、泣きたかった。わたしの涙の代わりに、ぽたぽたと雨粒が頬を叩いた。降って来たな。
「死と隣り合わせの気分転換とか、どんだけ普段生を自覚しとるんすか」
「どっちかと言うと業務過多による死のほうが……いやほら、現場を知るのも大切っていうか」
「ほなせめて換装して──いや、しとるな」
「あ、えっと、うん。ばっちり」
 反射的に顔を下げて自分の身体を確認する。見た目にはわからないけれど、たしかにわたしは今、トリオン体だ。
「で、わざわざ換装して、視察来て、地元帰っとるか、て?」
「えーと、世間話をしようかと……」
 すでに敗北を意識していて、わたしは二度目のことを考えはじめていた。
「とりあえず、本部戻りましょか」
「やー、うん……」
「気分転換、付き合いますよ」
「あ、ありがとう?」
 そう言って、水上くんはしとしとと、嵐の前の静けさよろしく、やさしく降ってくる雨を苦としない様子で、歩みを進めた。
 わたしの知る水上くんはトリオン量が少ないくせに、しょっちゅうベイルアウトをするという方法で、本部に帰ってくる。強制送還してもらえばいいものを、業務時間終了後の活動を拒否しているに違いない。このころはまだ、善意が残っていたんだろうか。
 たしかに、今わたしが外部要因によってベイルアウトした場合、どうなるかはわかったものではない。検証してない。
「地元、帰りたくない?」
「なんなん、地元地元って……。帰りたくないわけやないですけど、べつに帰らんでもええかな」
「気分転換に、帰ったら? ほら、今日とか?」
「俺は今、転換したい気分やないですね」
「そ、そう言わ──

 心臓の横、見えないトリオン器官が沸騰するような、凍結するような、激しい熱を感じる。
 
ごめん、ベイルアウトだ──」

 この場合〝ベイルアウト〟という表現が正しいのかはわからないが、わたしの蓄えているトリオン量が減ると、現在に戻らざるを得ないらしい。そしてその九割くらいは、ここへ辿り着くまでに消費されているのだろう。あんなに貯めたのに。時間は限られているとは想定していたが、これほど短いとは。
 戻った先、冬島くんは「ほんとうにいいのか」とわたしに日時・場所の確認をしていた。冬島くんがスイッチを押し、わたしがトリガーを起動する直前に戻ってきたらしい。
 ここで、やっぱりリスケしよう、と言ったら、冬島くんはさすがに目が覚めて、この人体実験を諦めるかもしれない。
 実験の成功は報告せず──冬島くんには悪いけど、わたしはもういちど行かなくてはいけない──ダメ元で水上くんに「師匠の葬儀には、参列できたんだっけ」と電話した。「はあ?」と、明らかに不審がる声に答えを催促すれば、「知っての通り、できひんかったけど。それがなにか?」との返答に、わかりきっていた失敗を知る。もはや、あの過去の出来事がちゃんとここまで引き継がれているのかすらわからない。
 とはいえ、あの開発室での会話はこの世界線でも行われていたようだ。わたしたちの関係性は、そう変わってはいないらしい。

 二回目。
 そういえば、なぜ迅悠一は、こんなものが開発されてしまうことに気が付かなかったのか。
 否、おそらくは、気がついたうえでスルーしたのではないか、とも思う。わたしはまだしも、冬島くんの未来くらいは視ようとするタイミングがあってもおかしくない。
 一、視えた映像だけではなにが起こったかわからなかった。二、仮にタイムトラベルをしても、たいしたことは起こらない。もしくは、迅悠一に都合のよいことが起こる。三、迅悠一は孤独だ。時間旅行できる人間がいれば、なにかをわかり合えるかもしれない。そんな可能性を、残しておきたかったのではないだろうか。
 と、考えた結果、その未来が視える男を説得材料として使うことにした。
 
「大阪、帰ったほうがいいって、迅悠一が言ってたよ」
「いやいや、なんで開発室の人がこんなとこおるんすか」
 初対面に近いと推察されるので、名乗ってみることにする。や、知っとるけど、と予想外の返事がある。
 なるほど、あえて〝開発室の人〟呼称で、防衛隊員じゃないだろ、との嫌味を選択しているだけで、わたしの名前は知っていた、と。わたしたちのこの時点での関係性が、わからない。わたしは水上くんと、一体どんな会話をしたことがあるのだろうか。
 わたしの水上敏志像は、わたしが水上くんのトリガーを担当するようになってから、要するに水上くんがA級に上がってから現在までの一年に満たない時間だけで構成されている。
「迅悠一からの伝言を、伝えに来ました」
 目に雨粒が入って、ぎゅっとまぶたを閉じる。もう、大人しく止んどいてよ、と舌打ちしたくなる。
「ほなせめて換装して──」
「してます! ばっちり!」
「……わざわざ換装して、迅悠一のおつかい?」
「うん。だから、今日あたり、帰りな?」
「理由は?」
 水上くんの師匠が亡くなる。なんて、馬鹿正直に言ったら、どうなるのだ? 
 突然、怖くなる。バタフライエフェクト説をとれば、すでになんらかの変化が現在に生じているだろうから、いまさらではある。どちらかと言えば、わたしと水上くんのあいだに起こる変化が怖かった。
「理由、は……聞きそびれた」
「なんやねんそれ。ってか、なんで迅悠一がそんな伝言頼むん」
「知らない。とりあえず、帰ったほうがいいって」
「や、無理。これから用事あるんで」
「これから土砂降りだよ? 天気予報見てないの?」
「やし、本部に戻るんすよ。迅悠一、おんねやろ? ま、一緒戻りましょ」
 迅悠一に、直接聞きに行くとでもいうのだろうか。そんなこと言ってない、と否定されるだろう。もしかしたらなんらかの未来を視て、話を合わせてくれるかもしれないけど、迅悠一はその時点でどんな未来を視るというのだろう。見当もつかない。
 とはいえ迅悠一は本部にいるだろうか。いないかもな。いや、ほぼ百いないだろう。仮にわたしの味方をしてくれたとしても、迅悠一を見つけるまでに時間切れが濃厚だ。

「ごめん──

 ぐうっと、また猛烈な熱が迫り上がってくる。こっちも、タイムアップだ。

ベイルアウト──」

 わたしの信頼は地に落ちて、わたしは水上くんの担当をしていないかもしれない。
 冬島くんが「ほんとうにいいのか」とつぶやいている横で、すぐさま叩いた端末、わたしの担当リストに水上敏志の名があることが確認できた。冬島くんには悪いとは真剣に思っているけど、わたしは本来、負けず嫌いな性格をしていたのだ。また行かせてもらう。
 わたしは「師匠の葬儀には参列できたんだっけ!?」と、懲りずに電話した。今のわたしには焦ったく感じられる短い沈黙があって「あー……そらまあ、できたかもしらんけど。自分、まさかとは思うけど──」すぐに切った。
 変わった。たぶん、わたしの(迅悠一の)忠告どおりにするべきだった、と、そういうことだろう。ついでに、おそらくわたしがなにかをやらかそうとしていることに、二回目の水上くんは気がついている。
 大阪へ帰れ、の真意について問われたこの世界線のわたしは、当然未来の自分がなにをしたのか知らない。ただ、あの地点でもタイムマシン(仮)は絶賛開発中ではあったはずなので、そのあたりどういった帰結をしているのかは気になるところではあったが、確かめたところで次の勝率が上がるとも思えない。

 そして、三回目。
 場所と時間を変更するという手もあったが、そこへ無事にたどり着けるかわからない。それに、この試みが成功しようと失敗しようと、水上くんからちょっとしたトラウマが消える、もしくは消えないだけの話。水上くんが世界を救ったり、滅ぼしたりすることはない。水上くんの人生にとてつもない変化が訪れることも、ないだろう。
 ほかの人のことは知らない。たとえば、もし水上くんが新幹線の自由席に座ったとして、そこに座るはずだった人のこととか。でも、そんなものはわたしには関係ない。わたしが責任をもてるとしたら、自分の手の届く範囲のことだけだ。
 だから、なにも必死になる必要はない。キリがいいから、三回もくり返しただけだ。
 そうは思っても、相変わらず手札のないわたしは、聞き分けのない子どものように癇癪を起こしそうだった。路地裏で水上くんの気配を感じながら、縋るような思いで空を見上げてあの日の会話の続きを反芻する。
 
「葬儀くらいは参列したかったわ。形式的に」
「まあ、そうよね。でもさ、亡くなったあとに会ってもしょうがないじゃん」
 後悔するべきは、師匠が生きているうちになにかを言ったり、なにかをしたりしなかったことではないのだろうか。
「あっちやなくてこっちのためですからね、そーいうもんは」
「ひとつの区切りだよね。準備でバタバタと忙しくできるし、気も紛れる」
「いうて自分は、絶対墓参りとか律儀にするタイプやんか」
「……先祖のお墓参りは、お盆には行きますよ」
「そこにおらへんのに、そこに向かってなんやろいろいろ話しかけたりしそうやし」
「まあ、そういうときもあるけど……」
「でも、花とか持って行かんやろなあ」
「枯れたあとがかわいそうだから……って、分析されるの、気分悪いなあ」
 洞察力に優れる水上くんは、よくこうやって隊員や一般職員の一を知り十を盛って、わたしに話して聞かせる。
 ついに分析対象になってはじめて、これがかなり当たっていることと、不愉快であることを知った。
「そういえば、そんな人を見る目がある水上くんなのに、よりによってなんでわたしを担当に指名したの?」
 通常、そのとき手の空いている開発室の人間にトリガー改良の業務がランダムでつけられるのだが、水上くんはわたしを指名したらしい、と冬島くんに聞いていた。
 よりによって、というのは、わたしがわたしを能なしだと卑下しているわけではなく、人には向き不向きがあるという話だった。わたしはトリオン兵をいかにスムーズに捻り潰すかの研究開発を専門としていたのでトリガーまわりのことの経験が浅かったし、逆にそれに長けているエンジニアはほかにいる。
 水上くんはくるりと椅子をまわして、今度はしっかりとわたしと目を合わせてから、口を開いた。
「俺が死んだあとも、永遠に話しかけてくれそうやなあ、って。そういう間柄に、どうやったらなれるんかなあ、ていう、好奇心やな」

 はたと気がつく。
 水上くんはわたしのあることないことを想像して、ものを言っていたわけではない。わたしを見ていたのだ。見られていたのではないか。
 わたしの曾祖父、曾祖母、祖父、祖母たちが眠る墓地で、ではない。水上くんの親族の墓は三門市にないのだから、水上くんが足を踏み入れることはそうそうないだろう。

「いやいや、開発室の人がなんでこんなとこおるんすか」

 わたしにとっては三度目の揶揄うような問いかけに、わたしはベイルアウトする寸前のような、滾るなにかを感じる。
 なんでって、水上くんを──、
 
 必要がないと判断され、その瓦礫が片付けられることもなくほとんどすべて残されている、警戒区域内の一画。ここから地下通路を使わず本部に戻ろうとすれば通らざるを得ない、基地からほど近い、木造家屋が建ち並んでいたエリア。
 換装もせず、花も手向けず。隊員や上層部に目をつけられない程度、ちょっと危険な気分転換のように思ってもらえそうなわずかな時間だけ、近況を伝えに行くわたしのことを、いつか水上くんは、見たことがあったのだ。

「──やることやったら、すぐわたしも行くからさ」
 その空間に、彼に、話の締めくくりとして、さよならの代わりにいつも語りかける言葉を、わたしはゆっくりと吐き出していた。
 そして、目の前の男のために、その続きを、時と場所を変更して続ける。
「……新大阪駅で、待ってて。大阪で、今日、わたしとデートして」
 戻ることができた暁には、その世界がどうなっていようとも、そのとき、わたしたちの関係がどうなっていようとも、また、水上くんをかならず誘う。雨の日のデートへ。
 彼のいる過去を選ばなかったわたしは、薄情なのだろうか。
 それでもわたしは、ただ列に並んで、見えない先頭のことを想像することすら放棄したり、振り返って見えない最後尾を確認して安堵したりするような女で居続けたくなくなってしまった。
 冷たい水滴が頬を伝って、唇の端をなぞる。
 ああ、降りだした。