「野球やめちゃうんだって?」
背後からダーツを投げるように鋭く聞こえてきた声にのろりと振り返る。人気の少ない5時限後の廊下でその声はよく通った。階段の上で手すりに寄りかかってこちらを見下ろすような格好で眉毛がちょうど隠れるラインで切りそろえた前髪・肩につくかつかないかの長さの栗色のボブヘアーが印象的なは目が合うと肩を竦めておどけてみせた。
「野球は辞めない。野球部を辞めるだけで」
「ありゃ、そうなの」
「小学生の野球チームの監督補助を頼まれてるんだ」
「でも自分でプレーはしないんじゃん」
「何が言いたいんだ」
は、なんだよもーだとかなんでもないよーだとかそんなことをぶつぶつ呟きながら俺が突っ立っていた踊り場まで下りてきた。半袖から伸びるまっしろな二の腕とジーンズ生地のミニスカートから出ているひょろ長い両脚は、服装こそは夏を思い出させたがその色は今の季節にそぐわない、と思った。
「いやまあ、よく今まで続いたなあ、と思ったのさ、お疲れ様」
「なんだよ、ったく」
大きすぎる黒いリュックを背負ったはステップを踏むように階段を下りた。くるっとこちらを振り向いて今日の夜の予定について尋ねてくるので特に予定のないことを伝える。じゃあ、あそこに行こう、と行きつけの居酒屋の名前を出されたので断る理由を探すのが面倒だったので了承した。
「もうね、自分一人で戦う必要はないのだよ。なぜならば君はもうグラウンドにどかんと座るみんなの頼りになるキャッチャーではないからさ」
そんな君も好きだけれど、とリュックの紐を両手で掴んで少し前かがみになって笑うはずいぶん計算高いな、と思いながら外に出た時の熱気に身構えた。