Lettuce hot dog
この世界には、姿形が似ている人が三人いるという。「今日、嵐電乗ってへんかった?」「昨日の夜、心斎橋のライブハウスおった?」と、その日のわたしの行動と微塵も一致しない目撃情報を大学の友人に伝えられたことが二度ある。嵐電に乗っていた子、ライブハウスにいた子。そのふたりは同一人物かもしれないし、もしかしてこんな狭い活動圏内に三人勢揃いしてるのかも、と思うとちょっとわくわくしないこともない。
そんなわけで、わたしのアルバイト先の同い年の後輩は誰かに似ている気がした。今日はじめて顔を合わせた、先週入った新人の不破くんを横目に考えあぐねていたところ、ついに高速道路沿いのラブホテルの外観が浮かんだ。━━いやいや、人じゃないじゃん。うっかり氷の入ったグラスにコーヒーを規定量超えて注いでしまった。バイト中に何を思い出しているのか。
これは形容しがたいことで、それでもただ思い出したのだ。正確に表現しようとすれば、似ているのではなく、不破くんを見ると思い出すのだ。ラブホの錆びれた汚い外壁を。そこへ片手のビニール袋をゆらゆらさせながら躊躇うことなく入っていった人の背中を。
それは腑に落ちない、不可解なことだった。その人は不破くんとちがって、バイト中に皿やグラスを割ったり、多すぎる注文量にレジで硬直したり、カフェラテとカフェモカを間違えたりしないだろうから。
同じ大学の心理学部に通っているという不破くんはわたしよりよっぽど賢そうだったし、事実そうだと思うけど、仕事ができるかといえばそうでもなかった。仕事内容や方法を覚えてはいるのだろうが自信がないようで、判断が遅いところがちょっと残念なのである。そして前述のようなおっちょこちょいなところも散見する。
「言われても困ることトップ5に入ると思うんだけど、不破くんをみると、思い出す知人がいるんだよね」
ついに腹をくくって、言ってやったのはクローズ作業を社員と三人で終わらせ、お辞儀をして社員と別れて、並んで自転車を押しながら同じ方面に歩き出したときだった。同い年だからか、なんとなく、じゃあね、と手を振って各々颯爽とペダルを漕ぐ流れには至らなかった。
「その調子だと、あまりいい間柄ではなさそうだけど」
「そんな顔してた?」
うん、と笑う不破くんに、人差し指と中指で眉間を押さえて何にかは定かではない謝罪を述べた。「同じ大学の人?」「そうなの」「ああ、それじゃあ、」。そうしてついに出てきた名前に鈍い声を出すわたしを見て、不破くんは困ったように頭をかいた。あまりいい間柄ではないと考えていることをだめ押しで認めてしまった。
その帰り道に聞いたことだけど、雷蔵くん(雷蔵でいいよ、と言われた)と鉢屋は俗にいう幼なじみらしい。幼稚舎から高等学校まで同じ学舎で育ち、さて大学進学となったとき、鉢屋が京都へ行くと言い出した。当然内部進学をするつもりだった雷蔵くんに鉢屋は、親戚の持ち家が空いてるからいっしょに住むぞと誘い━━というより既定路線か━━、ふたりして京都の大学を受験したそうだ。大学でその後の人生が確定するわけではないとはいっても、そんな理由で進学先を決めるものだろうか。恐ろしい話のように思えたし、同時にうらやましくも思えたのは本音だ。
それだけ同じ時間を同じ空間で過ごしていれば、性格は異なれど似た雰囲気をかもしだせるのかも、と「雷蔵くんをみると鉢屋を思い出す」現象についてはおおむね答えが出たといえた。
「見に来たぜ」
水曜日の夕方、カウンターの返却口からひょっこりと洗い場を覗き込み、わたしにそう声をかけたのは鉢屋だった。繁華街にある映画館のすぐ隣の路面店のコーヒーショップは、平日の中でもレディースデーの水曜日は来店数がそこそこ多い。昼時と夕時の狭間、ドリンクだけのオーダーが目立つ、ちょうど落ち着いてきたころだった。わたしはしこたま溜まっていた洗い物を食洗機に詰め込んでいる。
出来上がりましたらお呼びしますのでお席でお待ちくださいという声かけを無視し、カウンター前でフードを待っている鉢屋の背後の二人がけのテーブルの椅子に、派手な茶髪の女が肘をついて座っていた。店内の出入り口からいちばん離れた洗い場にいたわたしも、鉢屋がその女を連れて入店してきたことはみえていた。こんなチェーンのコーヒーショップに連れてこられて、さぞご不満だろう。これから映画でも観るのだろうか。観てきたのだろうか。鉢屋が女と映画デートをする、というのはあまりおもしろくなく、かつはっきりと想像できる光景ではない。べつに、この街には映画以外の娯楽もあるのだ。
アルバイト姿を冷やかしに来たぜ、ということなのだろうが、いくら鉢屋がわたしがバイトしている姿をはじめてみたとしても、わたしはもうすでに一年は働いているのでさして愉快なこともなかろう。つまり、
「雷蔵くんでしょ?」
今休憩中だよ、と顎で休憩室のあるほうをさす。もうすぐ戻ってくると思うけど、と言い終わるのが早いか遅いか、
「なんだ、随分親しげなんだな」
揶揄うような、意に染まないような口ぶりだった。幼なじみという所有物に近寄る虫は男女問わず排除したいタイプなんだろうか。鉢屋に独占欲というものがあったとは、素直に驚きだ。安心してほしい。こんな厄介な男が周囲をうろちょろしている男を、とっ捕まえたりするほどわたしの趣味は悪くない。口紅のついたカップのふちをスポンジで拭う。
「文句あるの? 三郎くん」
「くん、は止めろよ。ちゃん」
「……うわあ。ちゃん付けはなんか、気持ち悪……」
「理解できたか、」
「そうだね……三郎」
「よし。今、文句はなくなった」
カゴにならべていくグラスやお皿がかちゃかちゃと音を立てる。選択を誤ったのはわたしだ。ここは、鉢屋と同列に、雷蔵くんから不破への呼称変更を主張すべきだった。呼び方が変化したからといって大きく関係性が前進したり後退したりするわけでもないだろうに、なんだか悔しいので、この際雷蔵くんも雷蔵に変更することにしよう。
首をのばしてカウンターについているタイマーを確認する。早くフードを提供してもらい、とっとと着席していただきたかったのだが、繁忙時間帯の合間を縫ってきた三郎のためのソーセージの湯煎にはもう一分はかかりそうだった。
食洗機に汚れた食器をつっこむわたしをながめていて、なにが楽しいんだろうか。こちらをみつめる視線を振り切るように返却口とカウンター内を遮るための木製扉をぴしゃりと閉める。最初からこうしていればよかったのだ。「おい」とふたたび文句の色が読み取れる声も、「三郎?」休憩から戻った雷蔵が三郎の存在に呆れた声にかき消される。そっと扉を数センチだけ開けて、雷蔵にテーブルを拭くための布巾を手渡してやる。一杯になったカゴをぐっと力をこめて押し、起動のボタンを叩くと同時にタイマーがぴぴっと鳴って、社員がパッケージを引き上げるためのトングを手に取った。
隙間から並び立つふたりをみると、どこか空気が整うのがわかる。それは人を惹きつけるようでもあり、遠ざけるようでもあった。━━似ているのではなくて、たがいの足らないパーツを補う間柄だったのか。むしろ、対極のふたり。色相環上は対角線であるのになぜか混ざるような。ふたりをながめるのは不本意ながら心地よいものだったけど、そのあいだにわたしが割って入る光景はあまり鮮明に浮かべられなかった。それは、あの外壁と背中をみたときのように、ぐったりと、さみしくも、残念にも思えた。